久方ぶりの投稿ですが、「大同コレクション」のニュースが途絶えたわけではありません。前回紹介した1960年のオランダから見た大同染工視察報告は、資料を見つけられた法政大学杉浦教授(専門は『近世オランダを中心とした流通史』)のその後の学術研究に非常に役だったそうです。
当方は、京工繊大の繊維科学センター・美術工芸資料館のつながりから、昨年夏以来週一回、資料館の染織資料調査を依頼され、主に「大同コレクション」の詳細調査に通っています。全くのボランティアとのんきにかまえていたら、今年の2月、「合同公開研究会」にて『美術工芸資料館収蔵品からみるローラー捺染の染色技術』について、染織関連資料研究会の一員として(若い先生方に混じって)発表せよということになり、急に忙しくなりました。
発表したタイトルは「1960年代の世界のローラー捺染事情」という大層なものになりました。 講演の結論部分を少し紹介します。
・・・・・・・これらの素晴らしい「アフリカンプリント」は当時の染料が殆ど製造中止になり、その染法技術が途絶え、機械設備もなくなり、永久に二度と生産出来ない状況にある。そしてそれまで「機械捺染」と言えば「ローラー捺染」を指していたものものが、1960年代から徐々に多品種少量生産に有利な[スクリーン捺染]に主役の座を奪われていった。更に最近の[インクジェット・プリント]至っては捺染のイメージをすっかり変えてしまった。
ロ―ラー捺染機が発明されてから 100年余り、日本に渡ってきてから更に 100年余、大量生産でローラー捺染の時代を築き、それから50年時代の変化と共にローラー捺染は衰退していった。大学から繊維・染色の名が消え、工場から技術が消えた捺染業界の変化は驚く他ない。
京都からアフリカへローラー捺染で繋いだ『大同コレクション』はローラー捺染の歴史の最後の輝きを残してくれた。・・・・・・・・・・・・・・・
それでも失って行くものを今でも研究されている人が居るとは頭が下がります。
私は西アフリカにJICAボランティアとして派遣されていたものです。
アフリカンプリントについて調べていてこちらに辿りつきました。
今は、日本製のアフリカンプリントが製造されていないこと、もうその存在すら見ることが難しいことが残念でなりません。また日本で展覧会などが催されることを痛切に願います。
私は西アフリカにJICAボランティアとして派遣されていたものです。
アフリカンプリントについて調べていてこちらに辿りつきました。
今は、日本製のアフリカンプリントが製造されていないこと、もうその存在すら見ることが難しいことが残念でなりません。また日本で展覧会などが催されることを痛切に願います。
アフリカンプリントに興味を持っておられる人に大同染工関係者以外では初めて連絡いただき喜んでいます。5年ほど前から沢山投稿していますのでごらんくださって、是非乾燥をお聞かせください。
アフリカンプリントに興味を持っておられる人に大同染工関係者以外では初めて連絡いただき喜んでいます。5年ほど前から沢山投稿していますのでごらんくださって、是非感想ををお聞かせください。