大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

大同マルタ染工が残したもの

2016年04月07日 | 文化

 

 1. 「大同」が残したもの

 大同染工(株)は 1942年7月、戦時中の「企業整備令」により、京都地区の主な捺染工場7社が統合し設立。1970年5月、京都晒染工業(株)と合併し社名を『大同マルタ染工(株)』と改称。2008年3月、工場閉鎖。わずか66年の歴史しかなかったが、戦後の日本経済を支えた繊維産業の輸出捺染工場として、すぐれた設備・技術・意匠力を備え、日本を代表する最大手の機械捺染工場であった。 

会社が ツブレ、大同の痕跡は 8年前何もかも無くなった。唯一、奇跡的に残ったのが『大同コレクション』ですが、これとて肝心の大同製品はほとんど無い。1960~70年代の輸出最盛期、アフリカへ輸出していたワックス・カンガは、沢山の柄をローラー捺染機で毎月百万米以上生産していた。同じ頃、バット染料を使い欧米豪州に輸出していた初期の素晴らしいスクリーンプリントは全く見つかっていない。 

当時、大同染工は短繊維日本一の捺染工場で、その輸出比率は 上場会社 1,094社中、日本の輸出ランキングトップに挙げられていた。(1964.5.経済雑誌「プレジデント」)。輸出するためにはそれだけ沢山の 柄 デザインが必要であった。そのため商社と共に世界中からプリント見本を集め、新柄をおこしていた。工場閉鎖時、なにもかも廃棄してしまった中で、この世界中から集めた見本の一部が見つかった。それら見本は、当時の貴重な世界中の意匠デザインが集約されていた。 オランダ製その他の リアルワックス、ジャワプリント、イミテーションワックス、カンガ、ファンシイプリント などのアフリカンプリントばかりでなく、バチック、サリー、イカット、タバ、モラ、アロハ、その他中南米の民族衣装など341点。 

 大同無くなってから3年経って、大同マルタ会がこの貴重な資料を調査・分類し、寫眞集を作り、学界に働きかけた。その結果、更に3年たって 京都工芸繊維大学 文化遺産教育研究センターでとりあげられ、『”京都からアフリカへ”大同コレクションに見る1960年代京都の捺染産業』と題する展示会が、京都工芸繊維大学 美術工芸資料館で開催された。『大同コレクション』は、更に個人から集めた生地見本、技術文書・ノート、大同染工会社資料・工場写真、大同捺染カレンダー(1984~1995)などを追加し、全部京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 に寄付し、大学研究室で、機械捺染の研究に役立てて頂くことになった。 

「大同」の染色加工技術は業界で最も評価が高かつた。集めた見本も質の高いプリントが揃い、価値のある『コレクション』である。 

ここ50年 時代が急激に変り、反応染料が出てきて 染法は全部これに変わり、誰でも簡単に染色できるようになった。捺染は更に「インクジェット捺染」で即、コピーでプリントが可能になり、染色技術は大学で研究する対象ではなくなった。我々が学んだ色染学科はとっくに無くなっている。 しかし今、学界の美人の先生方が消えかけている「染色加工」を、加工技術面ではなく、デザインその他の面から、「機械捺染の歴史」などの研究をされている。大同で唯一残った『コレクション』が、今後の研究の役に立ち、これからも「大同」の存在に光が当たるよう、協力していきたい。

 

 

 



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7 コメント

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残念です! (河野 信子)
2017-02-25 10:38:06
大同マルタ染工さんには平成元年よりトレースに携わらせて貰っていました。
山形から飛び込みで言ったのもかかわらず
すぐに仕事を出してくれました。

その時の担当が高橋さんで退職されて後もずっと年賀状を頂いていたけれど
去年から来なくなり

そんなこともあり 朝からグーグルマップを見ていたら
大同マルタ染工が空き地になっていることに愕然として涙してしまいました

そしてこのサイトまでたどり着きました
娘が大阪に住んでいますので京都にも毎年行っていましたが南区までは行く事は無かったので今日まで知りませんでした

でも
いまだに 交流があるなんてさすが
大同マルタ染工さんだなって嬉しく思いました

大同マルタ会のHP立ち上げてくれていて
ありがとうございました
河野

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河野 信子さんありがとう (座敷童子)
2017-04-15 13:46:12
元社長をしてました田中 頌です。
私は大同マルタが無くなる前に脳梗塞で倒れ大同マルタを去りました。その後残念なことにあのようになってしまいました。
でも大同マルタ会ができて毎年1年に1度、4月の第3日曜日に京都タワーホテル(京都駅前)に集まって同窓会を開いています。多くの皆さんが集まっております。是非参加下さい。私も山形県人でした。
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是非 参加させて下さい! (河野 信子)
2017-05-10 09:58:19
大病された後も三度もの肺炎入院で険しい峠を何度超えられたのかと心配いたしました。
小平部長が未だ、ご健在の折に社長室に連れて行って貰った事があります。
ご本人が山形出身だったか親戚だったのかは記憶が定かではないのですがその時の社長に山形の思い出話を伺った事を思い出しました。
小平部長がフランス出張の時に買った生地をお土産に頂き今でもタペストリーとして飾っていたから ここに導いて貰えたかななどとも思いました。
来年の4月に入ってからホテルに詳細を聞き娘の居る大阪から伺いますので
宜しく お願い致します。
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お二人の訃報 (河野 信子)
2018-02-14 14:44:08
若林道夫さんと村山守生の訃報を知り寂しく思っております。

最初に山形まで来て頂いたのが若林さんで
最初と言う事もあり 観光案内に出かけたのですが着いて間もなくの事もあり

終始眠そうでお気の毒なことをしてしまいました。どこか浮世離れを感じさせる気さくな優しい方でした。

村山さんは「フォトデザイン」の社長になられた時に山形にいらして山形空港まで送って貰ったお礼にと

京料理を素敵なお庭の有るお店で御馳走になった事が有るのですが
緊張でお料理を味わえなかった事を記憶しています。

お二人にはとてもお世話になり
ありがとうございました
お陰様で 未だ楽しい人生を送る事が出来ております

心よりご冥福をお祈り申し上げます
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28年前 (ジャバラン)
2018-07-19 12:22:57
1990年ころ東京日本橋でプリントステーション
クリエイトまつなみの社員として仕事をしていました。
大同マルタさんとは会社としては古いお付き合いだったと思います。一度工場の見学もさせて頂き大変お世話になりました。
会社を辞める際、大同マルタさんで捺染して頂いたプリント生地をもらい、今でも大切に保管してあります。
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捺染のこと (織の資料館)
2019-09-06 11:05:14
長年名古屋の東海染工に勤め、定年退職し30年過ぎた今、小さな街角ミニ資料館「織の資料館」を開設し余生を送っています。令和元年8月21日付日本経済新聞の文化欄に「アフリカ染めた 京の職人」を読み、またこのブログを読み会社勤務当時大同マルタ染工の素晴らしい技術に、わが社も追いつけ追い越せえと勉強して、防染・抜染技術を研究したのが思い出です。
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最高の教師 (司馬遼太郎ファン)
2020-06-29 18:47:14
うちも5年ぐらい前からSLD-MAGIC使っている。寿命が10倍ぐらい伸びて、寿命バラツキが少ないのでメンテナンス管理がしやすい。おまけに防錆油メーカーがP系の極圧添加剤が入った防錆油を開発し鉄鋼メーカーが使いだしたことで、かなり寿命が延びた。伸びたら伸びた分だけ、冷間成形鋼種を革新し、従来工程の半分までこぎつけた。SLD-MAGICはいい材料以上にいい教師だ。
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