6月7日夕方から11日深夜まで、山口を留守にしていた時の出来事を、数日に分けて綴っています。
今回は、10日の日曜日に、小生の母校の埼玉県立春日部高等学校の文化祭での「メインイベント」といっても過言でない、小生が3年間の青春を捧げた、応援指導部主催のステージ演技『臙脂の集い』を観覧したことについて、詳細に綴りたいと思います。
ですがその前に…。
小生の母校では、文化祭開催前に、著名なお方に毎年お出でいただき、ご講演を頂くのが恒例となっております。
今年は、脳科学者として有名な、茂木 健一郎 先生にご講演を頂いたようです。
茂木先生のブログの6月10日のエントリー『test of time』に、小生が3年間の青春を捧げた応援指導部に対する、過分なるお褒めのお言葉が掲載されています。
先生…誠にありがとうございます。
本題に入る前に…。
実は、母校に向かう前に、ある方の所へ訪れてから母校に向かったのですが…関東地方にお住まいの読者の皆さんはご存知でしょうね。
この日は午前中、凄い雨で、時々雷が鳴るほどの荒れた天気でしたね。
何とかその雨を凌ぎながら、やっとのことで母校に到着したのが、12時ちょっと過ぎだったと思います。
校門をくぐると、母校オリジナルのグッズを、文化祭実行委員の生徒達が売っています。
これは、昨年度の文化祭に訪れたときに買った、Tシャツです。
今でも時々着ては、母校で過ごした3年間の青春を思い出したりしています。
こちらが、今年度のTシャツです。またまた買ってしまいました。
また、文化祭で小生が属した応援指導部は、毎年『展示』も行っております。
こちらは、応援指導部の「団則」です。もちろん今でも諳んじられます。
こちらは、腕章です。
小生の現役当時は、向かって右側の2つを身につけていました。
右上が下級生用で、右下が幹部のみが着けることを許される腕章です。
左側は、小生よりも先輩方が着けていらっしゃった腕章です。
こちらは、応援のときに着る「ユニフォーム」です。
(ちなみに、小生が現役のときは、着ることはなかったのですが…。)
左側は、かつて慶應義塾大学應援指導部よりコーチを招いた歴史を感じさせるもので、右側がそれよりは新しいものになります。
こちらは、野球の応援などには欠かせない、「幟」です。
この「幟」を見ると、本当に現役当時が懐かしく思い出されますね。
(風屋さんと、風屋さんのブログの読者の皆さんには、「たまらない」逸品かも…。)
さて、本題です。
こちらは、『臙脂の集い』はもちろん、ステージ演技前には必ず行う「発声練習」の前の「集合」の様子です。
若手OB達が一生懸命細かく指導してくれているので、小生からは手短に…。
でも、幹部にとっては、最後の本格的な「発声練習」なので、小生も指導に熱が入りましたね。
(WB先輩…ちゃんと指導してきました。)
何より嬉しいのが、1年生が8人も入部してくれたおかげで、少しばかり「大所帯」になったことですね。
幹部2名が、このステージで「引退」となりますが、残る11名で、盛り上げていって欲しいと思いました。
こちらが、『臙脂の集い』のパンフレット(両面)と、来場されるお客様に暑苦しい思いをさせたら失礼と考えて、毎年作成している、1本100円で販売する団扇です。
結構人気の商品らしく、多数売れるようですし、喜ばれてもいるようですね。
『臙脂の集い』の開演前の会場の様子です。
このように、毎年、体育館が観覧希望のお客様で埋め尽くされるほど、大盛況になります。OBとしても、とてもありがたいことです。
そして、開演です。
先ずは、下級生部員達による「演芸」(小生達当事者は、「余興」と呼んでいます)が10分程度行われます。
「余興」が終わって、司会の合図で、校歌の吹奏楽に合わせて「団旗」が「入場」します。とても、荘厳な感じです。
団旗入場後の「団旗紹介」で「団旗礼」をする場面です。
旗手は、団長を兼務する鈴木 將大 君です。
なかなか頑張っていますね。
部員の人数の都合上、最近では、団旗はこれが終わると「降ろして」しまうのが残念です。
もっと大所帯なら、ステージ演技中、下級生部員が旗手を引き継ぎ、「揚げ続ける」ことが可能になるのですが…。
そして、母校の生徒なら、誰でも諳んじられる、1,2番合わせてもたったの30秒で終わる、第一応援歌「秩父の嶺」です。
メインリーダーは、団長の鈴木 將大 君。
写真のように、現役の生徒諸君がステージを囲んで盛り上げてくれます。
(数年前は、あまりの熱狂振りに、体育館の床が悲鳴を挙げて、抜け落ちてしまったほど、勢いが凄い。)
小生が現役当時はなかったことで、母校愛が本当に強い高校であることに、OBとしても誇りに思います。
その後、野球応援で得点が入ったときのみ歌われる「春高健児」と続きました。
今の生徒達は、この曲までも、アッという間に諳んじられるのですから、凄いな…と思います。
その後、伝統極めつけの「勝利の拍手」へ。
「勝利の拍手」は、文字通り、野球応援などで、母校が勝利したときのみ行われ、一拍子,二拍子,三拍子と続き、最後に「勝鬨」で締めます。
写真は、二拍子の動きの一部。
このように身体を反るわけですが、この身体のラインが綺麗なリーダーほど、鍛えられている証拠となります。演じているのは、団長の鈴木 將大 君。
厳しいですが、少し鍛え方が足りない…かな。
その後、第二応援歌「若き血潮」、走行歌(小生が現役当時は“寮歌”)「赤城おろし」、小生の持ちテクであった学生歌「母校よ春高」へと続いて…以下の写真の場面に。
写真が暗くて恐縮ですが、その後、「春高音頭」へ。
メインリーダーは、副団長の鈴木 顕 君。
(今年度の第82代目の幹部は、「ダブル鈴木」です。)
この「春高音頭」…別名、「たこ踊り」とも呼ばれます。
メインリーダーが羽織・袴に身を包み、高下駄を履いて登場し、これを脱いで左側へ蹴り倒し、手をくにゃくにゃ回す仕草から、この「たこ踊り」という別名がついた…とされています。
小生は、下級生部員のとき、このテクの終わりにメインリーダーが蹴り倒した下駄を拾って、メインリーダー(O先輩でしたが…)に履かせる役を命じられていました。
ところが、下級生リーダーにとっては、羽織・袴が着れるし、非常に目立つテクなので、人気があります。
その代わり、写真のような姿勢を常に保たねばならないので、練習は「勝利の拍手」と同じほど厳しい…。
(今回は披露されなかった、小生の持ちテクの「撃滅の拍手」と共に、この3つを総称して“三大テク”と呼ばれています。このテクを習う様子は、『応援団に捧げた青春』シリーズで詳しくお話しますので、どうぞお楽しみに。)
その後、いつも小生達の応援指導部のために、お骨を折っていただく吹奏楽部の紹介がありました。
下級生部員達にとっては、このときが暫しの「休憩」になりますが、吹奏楽に興味がおありのお客様にとっては、楽しみのようですね。
吹奏楽部紹介の後は、お待ちかねの…母校の全曲オリジナル(ウィキペディアの『応援歌』の記事でも、オリジナリティーが高いことで紹介されているほどです)の野球応援チャンスパターンメドレーです。
写真は、その1曲目の「鼓舞激励」のワンシーン。
このチャンスパターンメドレーのときが、最近の『臙脂の集い』では、最も盛り上がります…。
これは恐らく、他校には真似できないでしょう。
それだけの自信を持ってお届けできる、チャンスパターンメドレーです。
繰り返しになりますが…怒涛の5曲全てが「オリジナル」ですからね。
暗くて恐縮ですが、これも「鼓舞激励」のワンシーンで、小生の現役当時から存続している「ウォー看板」がスタンドを走るのに合わせて、観客と一緒に「ウェーヴ」を作ります。
今では当たり前のように行っているウェーヴを、既に20年以上も前から、取り入れていたんですね。
その後、「英姿颯爽」「前奏ラテン」「ビッグウェーヴマーチ」「勇者春高」と怒涛の如く進み、最後にエールを切って、7分弱のチャンスパターンメドレーが終わります。
ちなみに、後半3曲をまとめたものを「常勝春高」と呼んでいます。
小生が現役当時は、「勇者春高」のみ存在していたのですが、後輩達の頑張りのおかげで、「勇者春高」の持ち味も生きた、素晴らしいチャンスパターンメドレーができあがりました。そんな後輩達を誇りに思います。
余談ですが、小生は「勇者春高」を持ちテクにしていました。
最後に近づいてきましたが、第一応援歌「秩父の嶺」を“第二のチャンスパターンメロディー”として使う場合は、この「春高ブローク」と曲名が変わり、メインリーダーの「学生注目」の後、下級生部員(3学年が揃っているときは2年生部員のみ)も含めて、“突き”や“反り”などのテクを披露します。
こういった大きなステージ演技が近くなると、厳しさが増す練習が、実はこの「春高ブローク」です。
ですが、この厳しさを乗り越えたからこそ、こうしてメインリーダーが、紙吹雪が舞う中で迎え入れられるのでしょうね。
「春高ブローク」には、色々な思い出があります。これも『応援団に捧げた青春』シリーズで紹介しますね。
その後、たった2ヶ月でステージに立った「凄い」1年生達一人一人が紹介されました。
素晴らしいです。
リーダー部員減少化に歯止めがかからない最中、こうして1年生も一人一人紹介する…しっかり部員として尊重する姿勢、頼もしいです。
そして…最後の最後は、もちろんこの歌。
そうです。
「埼玉県立春日部高等学校 校歌」
です。
校歌を歌うためだけに、山口からやってきた…といっても決して言い過ぎではありません。
そんな思いも手伝ってか、今回の校歌…歌っていて、自然と涙が出てきました。
前日の『六旗の下に』で叫び連発のために、すっかり嗄れてしまった声が、震えてしまったほど…じんわりと涙が…。
(右隣に、KT先輩とO先輩がいらっしゃったのですが、多分、小生が泣いていたこと、気付いていらっしゃるかもしれません。)
母校の校歌のメロディーと歌詞に、改めて、「感動」を覚えました。
胸が熱く、一杯になりました。
これは、全演題が終了して、現役諸君がご来場いただいた多くのお客様にご挨拶するべく、直立不動の状態で待っている様子です。
きっと、1年生は感無量でしょう。小生も1年生の時はそうでした…。
本当に、素晴らしい『臙脂の集い』をありがとう。
こんな素晴らしい後輩達が、1人であっても入部してくれる限り、小生の『心の故郷』である『臙脂の集い』が回を重ねることは間違いないでしょう。
また、小生もOBとして、そうなるべく、現役諸君を改めてサポートしていきたい…。
そのための山口からの交通費なんて、ちっぽけなものです。
お金では決して買えない、貴重な財産を小生に授けてくれた現役諸君…本当にお疲れ様でした。
また、来年も来ます。
2年生の倉田君、佐野君、吉貝君の3人の幹部としての成長と、1年生が8人よりも増えていることを願いながら、来年も山口から駆けつけますね。
『心の故郷』である『臙脂の集い』に、栄光あれ。
そして、この数時間後、OB会で、しかも「校歌」にまつわることで「サプライズ」が起こります。
次回は、それをお話します。
(今回ほどは、長くはなりませんが…。)
どうぞお楽しみに。
今回は、10日の日曜日に、小生の母校の埼玉県立春日部高等学校の文化祭での「メインイベント」といっても過言でない、小生が3年間の青春を捧げた、応援指導部主催のステージ演技『臙脂の集い』を観覧したことについて、詳細に綴りたいと思います。
ですがその前に…。
小生の母校では、文化祭開催前に、著名なお方に毎年お出でいただき、ご講演を頂くのが恒例となっております。
今年は、脳科学者として有名な、茂木 健一郎 先生にご講演を頂いたようです。
茂木先生のブログの6月10日のエントリー『test of time』に、小生が3年間の青春を捧げた応援指導部に対する、過分なるお褒めのお言葉が掲載されています。
先生…誠にありがとうございます。
本題に入る前に…。
実は、母校に向かう前に、ある方の所へ訪れてから母校に向かったのですが…関東地方にお住まいの読者の皆さんはご存知でしょうね。
この日は午前中、凄い雨で、時々雷が鳴るほどの荒れた天気でしたね。
何とかその雨を凌ぎながら、やっとのことで母校に到着したのが、12時ちょっと過ぎだったと思います。
校門をくぐると、母校オリジナルのグッズを、文化祭実行委員の生徒達が売っています。
これは、昨年度の文化祭に訪れたときに買った、Tシャツです。
今でも時々着ては、母校で過ごした3年間の青春を思い出したりしています。
こちらが、今年度のTシャツです。またまた買ってしまいました。
また、文化祭で小生が属した応援指導部は、毎年『展示』も行っております。
こちらは、応援指導部の「団則」です。もちろん今でも諳んじられます。
こちらは、腕章です。
小生の現役当時は、向かって右側の2つを身につけていました。
右上が下級生用で、右下が幹部のみが着けることを許される腕章です。
左側は、小生よりも先輩方が着けていらっしゃった腕章です。
こちらは、応援のときに着る「ユニフォーム」です。
(ちなみに、小生が現役のときは、着ることはなかったのですが…。)
左側は、かつて慶應義塾大学應援指導部よりコーチを招いた歴史を感じさせるもので、右側がそれよりは新しいものになります。
こちらは、野球の応援などには欠かせない、「幟」です。
この「幟」を見ると、本当に現役当時が懐かしく思い出されますね。
(風屋さんと、風屋さんのブログの読者の皆さんには、「たまらない」逸品かも…。)
さて、本題です。
こちらは、『臙脂の集い』はもちろん、ステージ演技前には必ず行う「発声練習」の前の「集合」の様子です。
若手OB達が一生懸命細かく指導してくれているので、小生からは手短に…。
でも、幹部にとっては、最後の本格的な「発声練習」なので、小生も指導に熱が入りましたね。
(WB先輩…ちゃんと指導してきました。)
何より嬉しいのが、1年生が8人も入部してくれたおかげで、少しばかり「大所帯」になったことですね。
幹部2名が、このステージで「引退」となりますが、残る11名で、盛り上げていって欲しいと思いました。
こちらが、『臙脂の集い』のパンフレット(両面)と、来場されるお客様に暑苦しい思いをさせたら失礼と考えて、毎年作成している、1本100円で販売する団扇です。
結構人気の商品らしく、多数売れるようですし、喜ばれてもいるようですね。
『臙脂の集い』の開演前の会場の様子です。
このように、毎年、体育館が観覧希望のお客様で埋め尽くされるほど、大盛況になります。OBとしても、とてもありがたいことです。
そして、開演です。
先ずは、下級生部員達による「演芸」(小生達当事者は、「余興」と呼んでいます)が10分程度行われます。
「余興」が終わって、司会の合図で、校歌の吹奏楽に合わせて「団旗」が「入場」します。とても、荘厳な感じです。
団旗入場後の「団旗紹介」で「団旗礼」をする場面です。
旗手は、団長を兼務する鈴木 將大 君です。
なかなか頑張っていますね。
部員の人数の都合上、最近では、団旗はこれが終わると「降ろして」しまうのが残念です。
もっと大所帯なら、ステージ演技中、下級生部員が旗手を引き継ぎ、「揚げ続ける」ことが可能になるのですが…。
そして、母校の生徒なら、誰でも諳んじられる、1,2番合わせてもたったの30秒で終わる、第一応援歌「秩父の嶺」です。
メインリーダーは、団長の鈴木 將大 君。
写真のように、現役の生徒諸君がステージを囲んで盛り上げてくれます。
(数年前は、あまりの熱狂振りに、体育館の床が悲鳴を挙げて、抜け落ちてしまったほど、勢いが凄い。)
小生が現役当時はなかったことで、母校愛が本当に強い高校であることに、OBとしても誇りに思います。
その後、野球応援で得点が入ったときのみ歌われる「春高健児」と続きました。
今の生徒達は、この曲までも、アッという間に諳んじられるのですから、凄いな…と思います。
その後、伝統極めつけの「勝利の拍手」へ。
「勝利の拍手」は、文字通り、野球応援などで、母校が勝利したときのみ行われ、一拍子,二拍子,三拍子と続き、最後に「勝鬨」で締めます。
写真は、二拍子の動きの一部。
このように身体を反るわけですが、この身体のラインが綺麗なリーダーほど、鍛えられている証拠となります。演じているのは、団長の鈴木 將大 君。
厳しいですが、少し鍛え方が足りない…かな。
その後、第二応援歌「若き血潮」、走行歌(小生が現役当時は“寮歌”)「赤城おろし」、小生の持ちテクであった学生歌「母校よ春高」へと続いて…以下の写真の場面に。
写真が暗くて恐縮ですが、その後、「春高音頭」へ。
メインリーダーは、副団長の鈴木 顕 君。
(今年度の第82代目の幹部は、「ダブル鈴木」です。)
この「春高音頭」…別名、「たこ踊り」とも呼ばれます。
メインリーダーが羽織・袴に身を包み、高下駄を履いて登場し、これを脱いで左側へ蹴り倒し、手をくにゃくにゃ回す仕草から、この「たこ踊り」という別名がついた…とされています。
小生は、下級生部員のとき、このテクの終わりにメインリーダーが蹴り倒した下駄を拾って、メインリーダー(O先輩でしたが…)に履かせる役を命じられていました。
ところが、下級生リーダーにとっては、羽織・袴が着れるし、非常に目立つテクなので、人気があります。
その代わり、写真のような姿勢を常に保たねばならないので、練習は「勝利の拍手」と同じほど厳しい…。
(今回は披露されなかった、小生の持ちテクの「撃滅の拍手」と共に、この3つを総称して“三大テク”と呼ばれています。このテクを習う様子は、『応援団に捧げた青春』シリーズで詳しくお話しますので、どうぞお楽しみに。)
その後、いつも小生達の応援指導部のために、お骨を折っていただく吹奏楽部の紹介がありました。
下級生部員達にとっては、このときが暫しの「休憩」になりますが、吹奏楽に興味がおありのお客様にとっては、楽しみのようですね。
吹奏楽部紹介の後は、お待ちかねの…母校の全曲オリジナル(ウィキペディアの『応援歌』の記事でも、オリジナリティーが高いことで紹介されているほどです)の野球応援チャンスパターンメドレーです。
写真は、その1曲目の「鼓舞激励」のワンシーン。
このチャンスパターンメドレーのときが、最近の『臙脂の集い』では、最も盛り上がります…。
これは恐らく、他校には真似できないでしょう。
それだけの自信を持ってお届けできる、チャンスパターンメドレーです。
繰り返しになりますが…怒涛の5曲全てが「オリジナル」ですからね。
暗くて恐縮ですが、これも「鼓舞激励」のワンシーンで、小生の現役当時から存続している「ウォー看板」がスタンドを走るのに合わせて、観客と一緒に「ウェーヴ」を作ります。
今では当たり前のように行っているウェーヴを、既に20年以上も前から、取り入れていたんですね。
その後、「英姿颯爽」「前奏ラテン」「ビッグウェーヴマーチ」「勇者春高」と怒涛の如く進み、最後にエールを切って、7分弱のチャンスパターンメドレーが終わります。
ちなみに、後半3曲をまとめたものを「常勝春高」と呼んでいます。
小生が現役当時は、「勇者春高」のみ存在していたのですが、後輩達の頑張りのおかげで、「勇者春高」の持ち味も生きた、素晴らしいチャンスパターンメドレーができあがりました。そんな後輩達を誇りに思います。
余談ですが、小生は「勇者春高」を持ちテクにしていました。
最後に近づいてきましたが、第一応援歌「秩父の嶺」を“第二のチャンスパターンメロディー”として使う場合は、この「春高ブローク」と曲名が変わり、メインリーダーの「学生注目」の後、下級生部員(3学年が揃っているときは2年生部員のみ)も含めて、“突き”や“反り”などのテクを披露します。
こういった大きなステージ演技が近くなると、厳しさが増す練習が、実はこの「春高ブローク」です。
ですが、この厳しさを乗り越えたからこそ、こうしてメインリーダーが、紙吹雪が舞う中で迎え入れられるのでしょうね。
「春高ブローク」には、色々な思い出があります。これも『応援団に捧げた青春』シリーズで紹介しますね。
その後、たった2ヶ月でステージに立った「凄い」1年生達一人一人が紹介されました。
素晴らしいです。
リーダー部員減少化に歯止めがかからない最中、こうして1年生も一人一人紹介する…しっかり部員として尊重する姿勢、頼もしいです。
そして…最後の最後は、もちろんこの歌。
そうです。
「埼玉県立春日部高等学校 校歌」
です。
校歌を歌うためだけに、山口からやってきた…といっても決して言い過ぎではありません。
そんな思いも手伝ってか、今回の校歌…歌っていて、自然と涙が出てきました。
前日の『六旗の下に』で叫び連発のために、すっかり嗄れてしまった声が、震えてしまったほど…じんわりと涙が…。
(右隣に、KT先輩とO先輩がいらっしゃったのですが、多分、小生が泣いていたこと、気付いていらっしゃるかもしれません。)
母校の校歌のメロディーと歌詞に、改めて、「感動」を覚えました。
胸が熱く、一杯になりました。
これは、全演題が終了して、現役諸君がご来場いただいた多くのお客様にご挨拶するべく、直立不動の状態で待っている様子です。
きっと、1年生は感無量でしょう。小生も1年生の時はそうでした…。
本当に、素晴らしい『臙脂の集い』をありがとう。
こんな素晴らしい後輩達が、1人であっても入部してくれる限り、小生の『心の故郷』である『臙脂の集い』が回を重ねることは間違いないでしょう。
また、小生もOBとして、そうなるべく、現役諸君を改めてサポートしていきたい…。
そのための山口からの交通費なんて、ちっぽけなものです。
お金では決して買えない、貴重な財産を小生に授けてくれた現役諸君…本当にお疲れ様でした。
また、来年も来ます。
2年生の倉田君、佐野君、吉貝君の3人の幹部としての成長と、1年生が8人よりも増えていることを願いながら、来年も山口から駆けつけますね。
『心の故郷』である『臙脂の集い』に、栄光あれ。
そして、この数時間後、OB会で、しかも「校歌」にまつわることで「サプライズ」が起こります。
次回は、それをお話します。
(今回ほどは、長くはなりませんが…。)
どうぞお楽しみに。