Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

6月10日の出来事(2)/応援指導部OB会で、『史上初』の人物に…

2007-06-20 23:51:24 | その他の応援団関連
6月7日夕方から11日深夜まで、山口を留守にしていたときの出来事を綴っていますが、大きな「イベント」としては、残すところ2つとなりました。

前回は、文化祭で応援指導部(応援団)の現役諸君のステージ演技『臙脂の集い』をのOBとして観覧した感想などを、かなり長めにお話してしまいました…

今回は、その後行われたOB会で起こった出来事について、お話しましょう。

そもそも、小生が高校3年間の青春を捧げた「応援指導部」のOB会が発足してから、今年で、まだ8年目です。

応援団リーダー部員減少化に歯止めがかからない状況と相まって、現役諸君が、普段の練習や、各部活動の応援活動がスムーズに行える環境を、様々な面で「支援」することを目的として、立ち上がった組織です。

物故会員も含めると、300名弱が所属しており、毎年、『臙脂の集い』が行われる日に、このステージ演技が終わってからでも駆けつけられる、17時ごろから総会を行います。
毎年、60名弱程度の会員…すなわち、応援指導部のOB達が集いますが、ある年代(小生よりも、ずっとお歳を重ねられた大先輩方)は、毎年この前日に1泊旅行をするなど、「同期との再会のきっかけ」にもなっているようです。

OB会総会自体は、物故会員への黙祷や、会計報告といったことや、様々な審議事項について審議したりといった議題があり、特に異論がなければ、30分程度で総会は終了し、「懇親会」に入ります。

今回は、その「懇親会」での出来事について主にお話します。

小生は、KT先輩やO先輩、カモや久しぶりに再会した1年後輩のKMと一緒に、母校から歩いて会場に向かいました。
そこでも、『臙脂の集い』を観覧しての、それぞれに感じたことを話をしていました。
小生達の現役当時とどうしても比較してしまうのは、仕方ないのでしょう…。

会場に到着して、総会が行われる間も、小生の左にO先輩、その左にKT先輩が並んで座り、小生の右にカモが席に着き、その向かいに、このOB会から出席の同期のAや先に紹介したKM、そして、この日は欠席した2年後輩のYYから数年前に「AYが、Dancho先輩に会いたがっていましたよ~」といっていた、そのAYが姿を見せました。

AYとの再会は…10年ぶりくらいにはなると思います。

現役当時は、本当に小柄だったAYは、こういったら失礼ですが「かなりおっさん」になっていました…
まぁ、小生もそれなりに年齢を重ねているので、AYもきっと「Dancho先輩…老けたなぁ~」と思っているに違いはないのでしょうけれど…

会うなり小生、「AY、お前、YYから聞いたけど、ワシに会いたがっていたそうじゃないか
それに対しAY、「ホント、久しぶりっすよね。10年くらい経つんじゃないですか。毎年のように来ていたのに、どうしたのかと思ってましたよ」と。
小生、「まぁ、職場が山口だから…なかなか来れなくてさ。でも、去年も校歌歌えて気持ちよかったから、今年も来ちゃったよ。」…

こんな会話をしているうち、小生と年代が近いKT先輩や2年後輩のAYまでの4世代の皆が、現役当時の顔に戻っていくのが、凄く不思議でしたね
でも、「同じ釜の飯を食った仲間同士」というのは、このようなものかもしれません

そうこうしているうちに、進行役を務めている8年後輩のクマから…

「えーそれでは皆さん、ご歓談中申し訳ないのですが、ここで、数人の方からちょっとご挨拶いただこうかと思います。」という説明がなされて、確か2番目だったと思います。

「じゃあ、次に、本州の一番西から、わざわざこの日のためにお出でくださった、Dancho先輩…一言お願いします。」と。

ビックリしました。何も考えていなかったので…。
これがまず、このOB会での『サプライズ1号』です

ですが、指名を受けた以上は断るわけにもいきませんので、大先輩を前に甚だ僭越ながら、挨拶しました。
あがることはなかったのですが、何を話したのか…詳しくは思い出せません。
多分、この雰囲気に「酔って」いたのでしょう。

でも、はっきり覚えているのは、以下の内容です。

「去年、ここに来て校歌を歌い、“ある先輩”の『何か辛いことがあったら、同窓会事務局に電話しなさい。そうすれば、こんなにもたくさんの先輩や後輩達が居るんです。“どうにかなっちゃい”ますから』とお話くださった言葉が、私の心の支えになりました。だから、また校歌が歌いたい…その気持ちだけで来ました。今日も、『臙脂の集い』で校歌が歌えて良かったです。また来年も来ます。」

そう小生は挨拶を終えると、小生よりももっと遠い福岡で、昼の12時まで仕事をしていたにも拘わらず、仕事を終えたその足で飛行機に飛び乗って駆けつけてくれた、凄く気持ちの良い、小生も大好きな後輩のMOへ、マイクを渡しました。

そうなんです。

遡ること2年前からの1年間は、『生きる』ということと題したエントリーでもさらけ出しましたが、辛いことがたくさんあった1年間でした。
だからこそ、この先輩のこの一言が胸に突き刺さり、この日までのこの1年間の小生の心の大きな支えになりました。

この言葉が小生に与えた力…凄く大きかったです。

このOB会には、そんな「どうにもならないこと」が「どうにかなってしまう」見えない力が宿っているのです。

だから小生は、このOB会に出席しやすいように、定期健診などのスケジュールを組んでいったのです。
(定期健診に、木曜日か金曜日にしか受けられない検査項目があったことも幸いしましたが…。)

席に戻ると、冷静なO先輩から、「Dancho…相変わらずまとまりないな…お前の話」と。

図星を突いているので、何も言い返せません…

そしてまた暫く歓談…その時です。

この埼玉県立春日部高等学校応援指導部からは、法政大学応援団で団長を務められた先輩を御一人、明治大学應援團で團長を務められた先輩を御二人輩出しています。
つい最近では、早稲田大学応援部でリーダー長を務めた12年後輩のKHなど、東京六大学応援団連盟にも、優秀な人材を送り込んでいる集団でもあります。

このOB会にKHの姿もあり、ちょっと話をしました。

ですが、それより凄い『サプライズ2号』は、明治大学の團長を務められた、小生の13年先輩の御方から、「山口からご苦労さん」と話しかけられ、これをきっかけに「凄いお話」をお聞かせ下さったことです。
(WB先輩…お話しすることができましたよ~。)

そのお話の内容…先輩から快諾に近い承諾を頂きましたので、後日記事にします。
(ブログネタ帳に、しっかりメモを取っています。字はぐちゃぐちゃですが、解読は可能なので大丈夫でしょう、きっと。)
くりはらさんからも「楽しみ」とコメントを頂いている、明治大学應援團の、かなり内情に近い「伝統」が、その「お話」の内容です。

『応援』という言葉の持つ意味…すごく崇高なことが、先輩のお話から改めて感じることができました
とても貴重ですが、これを惜しみなくお話下さったこと…本当に嬉しく思いました。

一通り整理ができてから、皆さんにもお話しますので、もう暫くお待ちください。
(『六旗の下に』を観覧した、このブログの読者の皆さんなら、きっと興味深い内容になると思います。)

そして、宴も酣のとき…小生に「力」を授けてくださった“ある先輩”から、本当に温かいお言葉を頂戴して、思い切り泣きました…

ちなみに、小生に「力」を授けてくださったこの先輩…慶応義塾から東京ヤクルトスワローズへ入団し、現在はスポーツジャーナリストとして大活躍なさっている、青島 健太 先輩と同期(小生の11年先輩)になります。

先輩は、そんな小生をしっかりと抱きしめ、こうおっしゃいました。

「本当に“何とかなる”でしょ。でもね、それは君の力で“何とかなった”んだ。元々そういう“力”が君にあるから、立ち直れたんだよ。だから、今度は、君から後輩達にこのお返しをしてあげてね。もう大丈夫だ。良かったな。」

今、思い出しても、ウルウルします

そうですね。

後輩達だけじゃなく、このブログの読者の皆さん御一人御一人に「元気」をお分けすること…このコンセプトを忘れずに、これからも記事をエントリーしていきたいと思いますね。

それが、先輩がおっしゃる「お返し」になると、小生は信じています。


そして…最大のサプライズである『サプライズ3号』が小生の身に…。

OB会の懇親会の、本当に「最後の最後」のときでした。

事務局を担当されている、小生の7年先輩と2人きりになったところで、以下の会話になりました。

先輩「Dancho…。お前、持ちテクは何だったっけ
小生「母校(よ春高)と、撃滅(の拍手)と、勇者(春高)です。」
先輩「そうか。お前、これから、ここで校歌…振ってみる気ないか
小生「えっ…私が…ですか。だって、私は現役のとき副団長でしたよ。団長歴任者が大勢いらっしゃるのに…恐れ多いです。遠慮します。できません。」
先輩「何。お前、山口行って、そんなに自信なくしちゃったの。とにかく俺は、今日は、お前にやってもらいたいと思っているんだ。どうかね。」
小生「…(自信なくしたわけじゃないし、引っ込みつかないし…など少し考えてから)分かりました。やらせていただきます。」

まさに「晴天の霹靂」ですが、OB会8年目にして、団長歴任者以外の者が、この場で校歌を振ることが、ここで決まりました。

その初代が、小生になりました。

そう考えると本当に恐れ多く、甚だ僭越ながら…ですが、「やる」と決めたからには、思い切りやるだけです。
光栄に思いながらも、無心で…。
でも、あるお方のへの思い(これは、7月2日にお話します)を込めて…とにかく頑張ろうと。

その前に、小生の母校、埼玉県立春日部高等学校の校歌の歌詞を紹介します。
風屋さんは、一部ご存知と思いますが…。)

一、 細き流れを集めきて
    木を裂き岩をうがちつつ
    大河滔々なみを揚ぐ
    これ大利根の壮観ぞ

二、 あしたに花の露をうけ
    夕べに富士の影ひたし
    八千草におふ武蔵野を
    二つに断ちて流るなり

三、 時世をつくる英雄の
    姿はこれに似たらずや
    忍耐剛毅わがつるぎ
    誠実質素われがたて

この歌詞とメロディーに合わせ、会場にいらっしゃる大先輩方から後輩達まで、約60名弱のOB皆さんを、小生の身体一つで指揮をします。

基本は、慶應義塾大学の塾歌のテクと、ほぼ同じです。
(『六旗の下に』を観覧した読者の皆さん、思い出してみてください。)
なので、常日頃から練習はしていて忘れてはいないので、その点は自信はありました。

実は、後から知りましたが、事務局を担当なさっている小生の7年先輩は、小生の出席の返事のはがきに添えた…

「事務局のお仕事、ご苦労様です。昨年、校歌が歌えて気持ち良かったです。今年も是非歌いたいと思いますので、喜んで出席させていただきます。皆さんにお目にかかれること楽しみにしております。」

のメッセージ(内容が記憶違いでなければ…)で、小生に校歌を振らせることを決めていたようです。
小生にとっては何気なかったこととはいえ、お気に留めていただき深謝です

また、これもビックリですが、三番の歌詞の最後の最後…

「誠実質素われがたて」

の部分の小生の姿を、同期のカモ(実は小生と同期で団長を務めたのは、カモです。彼はすでにこのOB会で校歌を振っています)が、携帯電話で録画してくれ、小生にプレゼントしてくれました

初の試みですが、その部分、ファイルを添付しましたので、ご覧ください。
(下の写真は、イメージのみです。本エントリーのトップにある『動画を見る』をクリックすると14秒間の動画を見ることができます。)



とにかく、こうして小生がOB会『史上初』の人物となりました。

素直に喜んで…良いんですよね
未だに、信じられないのですが…。

とにかくサプライズ続きの1日でしたが、恐らく一生忘れないでしょう。

来年はどんなドラマが待っているでしょうか…早くも楽しみです。


さて、山口を留守にしていた時の「イベント」のご報告も、次回で最後になります。

最後に、ミュージカル『レ・ミゼラブル』を20周年記念カーテンコールのおまけ付きで鑑賞してきましたので、その感想などを綴りましょう。

どうぞお楽しみに
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