海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

アサヒ ラボ・ガーデンでの協力隊イベント

2017-08-02 | イベント
8月5日(土)、アサヒ ラボガーデン(大阪)で、協力隊のイベントがあります。
JICA関西とアサヒの初のコラボ企画!

お申込は締め切られていますが、2回目はまだ少し余裕があるようです。
ご参加にご興味ありましたら、ご連絡してみたら、入れるかも(できなかったらごめんなさい)。

<JICA (国際協力機構) 世界のコトバで世界と遊ぼう!>
青年海外協力隊経験者、ラボにきたる。英語や現地の言葉、お教えします。夏休み自由研究にもピッタリ
http://www.asahigroup-holdings.com/research/labgarden/event/detail/?NO=907

<アサヒ ラボ・ガーデンイベント情報>
http://www.asahigroup-holdings.com/research/labgarden/index.psp.html


追記:
見に行ってきました。
協力隊OB・OG4人、りっぱに講師をつとめ、子どもさんたちも楽しんでいました。
保護者のかたも、まだまだお若く、子どもさんの手が離れたらぜひシニアボランティアに!
すてきなひとときを、イベントを、ありがとうございました。
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青年海外協力隊春募集

2017-04-30 | Weblog
協力隊の春募集の時期だ。
東京の地下鉄に乗るとポスターを見かける。
ぜひ、応募してください。合格するかどうかわからないのだから、まずはチャレンジを。

民間企業からの現職参加を考えているかたは、募集説明会に行って、個別相談で制度を確認してきてください。
制度のある企業でも、現職参加制度がフルに適用される企業はほとんどない。会社との交渉は、精神的にとてもハードだ。だれも同じ立場で相談できる人のいない中で、孤軍奮闘することになる。
そんな合格者が、毎回何人かはいる。どうか、最善の結果、待遇を手に入れてほしい。

ボランティアに行くのに待遇や条件の交渉をするなんて、というような考え方はしなくてよい。しないでください。言われても気にしないように。日本が国として、それだけの価値を認めているからそれだけの制度があるのだ。その待遇ならだれでも行きますか?余剰にもらっていると思うなら、その分、途上国につぎこんできたらいい。戻ってから寄付してもいい。
一歩でも過去例より進歩があるように。あとに続く後輩のためにも。

心から応援します。
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粗にして野だが卑ではない

2017-02-26 | business
協力隊を言い表す言葉のひとつだと思います。
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国際協力出前講座

2017-01-15 | Weblog
今月下旬に久しぶりに国際協力出前講座に行く。中学2年生の講座だ。
いつもの「国際協力」について、青年海外協力隊の体験談を話す依頼と若干内容が違って、仮題は「国際社会で働くとは」となっている。
中学生が、職業について考え、各自で職場などを訪問して調べてまとめたので、その視野をもう少し国際に広げて理解を深める機会に、という目的だという。

協力隊の体験談は、帰国後フレッシュなほうがよいと思って最近遠慮していたが、国際社会で働く、ということだったら、協力隊経験のほか、海外駐在も、輸出入で海外取引をしたこともあるので、フレッシュでない部分を補った講座ができるかなと思って手を挙げてみた。

そろそろパワポなどもつくりはじめようと考えはじめ、いつものことながら産みの苦しみを味わっている。
ほんとに期日までにできるのかな、と毎回思って毎回なんとかなるので今回もたぶんなんとかなるとは思うけれど、まだどこに持っていこうか、落としどころが見えない。

毎回なんとかなる、というよりは、いやでも講座の時間はやってくるので、その時間をすごさないわけにはいかないだけのことだ。協力隊の体験談は、それだけで非日常であり、きかなければ知れないことなので、小学生、中学生、高校生ぐらいだと、その柔軟な心で体験談から自分に必要なことを吸収してくれるのは講師として救われる。

さて、どんな講座にしようかをいろいろ考えているとき、今までで、いちばんうれしかった反応を思い出し、今日このブログを書こうと思った。

「私も中学生のときにこんな講座をきいていたら、人生がかわっていたかもしれない。」

先生に言われたのか、父兄さんに言われたのか忘れてしまった。私に向かって言われたというよりは、つぶやきのような感想だった。だから、本当に思ったんだな、と私も感じたのだと思う。

いちばんうれしかった感想が、中学生の講座に行って、中学生の感想でないところは、本当にこの講座は正解だったのか、成功だったのか、という疑問を残すが、それはまた別の問題としておこう。

説教くさくならないようにしないとなあ。SDGsの話もしたいけれど、今この限られた時間と私の実力では1時間の講座でこれをもりこんでまとめあげるのは無理そうなので、まずは今までの手持ちネタを中心に構成してみようと思う。あと1週間ぐらいかけて構想をふくらませ、熟成させ、取捨選択してまとめに入らなくては。落としどころがどこにくるのか、今はまだぜんぜん見えない。
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協力隊で思ったこと(3)

2016-10-31 | Weblog
そして、企業人として最も深く心を打たれたことは、自分が、日本製品に守られていると感じたことだ。

タクシーに乗る。イエメンでは初乗りメーターは「ゼロ」からはじまる。整備も危ういぼろぼろのタクシーだが割とメーターはついていた。
乗るとほぼ例外なく「シーニー?(中国人か?)」ときいてくる。「ラー(いいえ)、ヤバニーヤ(日本人)」と言うと、これもほぼ例外なく同じ答えがかえってきた。「ヤバーン(日本)、タマーム(いいね!とか、すばらしい!の意味の方言。英語のgreat、good、というかんじ)」運転手によっては、後ろをふりかえって大げさなぐらい敬意を表してくれる。危ないから前見て運転してちょうだい。

イエメンでも電化製品は売られていた。うちのテレビは「Konka」だった。コニカの模倣品。町には「Pensonic」パナソニックの模倣品、そのほか似たようなまがいものがたくさんあった。バイクのカワサキやスズキも、上手にもじった名前の模倣品があったように記憶している。中国製品は、庶民でもなんとか買える値段だったが、1か月ほどでたいていこわれる。安定しない電圧に耐えられない設計なのだろう。日本製品は、ソニー、パナソニック、どれもぴかぴかだった。ショーウインドーがまぶしい。10倍の値段だとしても、10倍以上の期間使用に耐えるとわかっていても、庶民には手が出なかった。日本の製品は憧れであり、それがそのまま、日本への尊敬につながっている。と私は感じた。

家具付きアパートを借りていたうちの大家が、洗濯機のところまでわざわざ私をつれていき、日本製だと自慢気に言ったことを鮮やかに思い出す。当時はまだ日本企業のSANYO(サンヨー)製だった。隊員生活の2年間使ったが、こわれなかった。シャワーの水がかかり、トイレの上に置くという過酷な条件下だった。ペパーミントグリーンの二層式洗濯機だった。しばしば突然停電するので、全自動でないほうがありがたい。

配属先で、日本からの援助を受けられることになり、ジェネレーター(自家発電機)を買えることになった。停電は日常茶飯事なので、ジェネレーターは必要だった。単位は忘れてしまったが、1000何某かの馬力の中国製は1100ドルだった。2000ぐらいの馬力のKOMATSU(コマツ)製は、6000ドルだった。負担をかけるとすぐに中国製は壊れてしまうだろうから、配属先の同僚と相談して、中国製を2台買うことにした。KOMATSU製を買ったほうが長く使えることはわかっていたが、予算上、どうしても買えなかった。紫色のジェネレーターを、どんなにうらやましく眺めたことだろう。これがあれば夕方停電があっても授業を続けられる。数年は使えるはずだ。生まれてはじめてのどから手が出るほどほしいという思いを経験した。そして、中国製のジェネレーターは1か月たたないうちに2台とも壊れた。同僚はショップとかけあって、何度も修理を依頼し、何度か修理をしてもらったが、やっぱりだめだった。まともに動いたのは、最初の1~2回だけだったように思う。それでも、停電で初めてこのジェネレーターを使って発電し、明かりがついたとき、配属先の協会では学生たちから拍手と歓声が起こった。

かくして、イエメンの人たちは日本が好きだった、これが言い過ぎならイエメンの首都、サナアの人たちは、それでも言いすぎなら少なくともサナアのタクシーの運転手たちは、日本が好きだった。日本を信頼していた。

日本の政府のそれほど特別でもない一言で撃たれる覚悟をする生活の中で、日本製品への信頼とあこがれが日本人への信頼につながり、おそらく引き金をひくとしても一瞬迷うぐらいの影響は与えてくれていたと思う。日本人のつくるものは確かだ、ごまかしたりしない。町中を歩いている数少ない日本人に、彼らは日本製品の供給者をオーバラップし、米英寄りの日本政府は気に入らないけれど、(さらにイスラム教徒でもないけれど)、やっぱり日本人ってのはいいモノを誠実に作る国民性であることは確かだ、ここんとこは認めてやらなくちゃな、ってとこかと思う。(ちょっと眠くなってきたので、このあたりとこのあとの部分は後日推敲します。)

かつて、ビールの営業をしていたときに訪問した自社の工場で、現場の人たちの誠実でひたむき、真摯な製品づくりに心を打たれた。この人たちと同じ会社にいることを誇らしく思い、この人たちのつくってくれたものを売ることへの使命感を抱き、万一なにか事故やクレームがあったとしても、お客様との間で絶対盾になるぞと思った。今思えば、私は心を打たれただけでなく、心奪われ、現場に恋をしたのだと思う。そして今回、協力隊の赴任地で、私は再び恋に落ちた。日本製品と、それを供給する日本の企業に。帰国したら、私はそんな企業のひとつに戻るのだと思った。製品で世界の信頼を得られる国に戻るのだと。

・・・すみません、今日のところはここで投稿します。後日推敲、修正します。おやすみなさい。
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協力隊で思ったこと

2016-10-30 | Weblog
役員への回答は先の2つに留めたが、もうひとつ、

・ 西部戦線異常なし
  日本の政府がアメリカ寄りの発言をしたことが現地のテレビで報道された日、「今日は撃たれるかもしれない」と覚悟して家を出た。
  はじめて、国民として、政府の発言が国民に影響することを実感し、また、政府が全員は守れないかもしれないことに気付いた瞬間だった。
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協力隊で「何を思ったかね?」(現職参加)

2016-10-30 | Weblog
途上国の話の流れで、協力隊での経験について「何を思ったかね?」

会社の役員との別件打ち合わせの折、流れで出たこんな問いを受けて答えたのは、
・ 人が行かなければできないことがあるということ
・ 企業が儲けて利益から支援するほうが大きいことができると感じたこと
・ ほかにもありますが、主にこの2つです。

手短かに回答した。

青年海外協力隊は、「人が行かなければできないこと」をするために現地に赴く。
お金にはできない。
企業には現職参加をぜひ支援してほしい。


追記:役員との打ち合わせは、私にはそうそうあるものではなく、特にこの役員に関しては一生に一回かもな、ぐらいの気持ちで同席していた。上司とその役員との打ち合わせに事務局としてとなりにちょこんと座っていただけ。ただ、非常に学ぶことが多く、同席させていただけたことにはとても感謝している。この役員にききたいことは山ほどあったが、まあ今後もきく機会はないだろうし、それでよいと思っている。会社にとっては西部戦線異常なし。
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改題記録(旧題-イエメン 風の便り)

2016-10-30 | Weblog
今回、改題する前の表示内容記録。

■ ブログタイトル:
イエメン 風のたより

■ ブログの概要:
2010年1月、イエメンの首都サナアから日本へ帰着しました。
題は当分継続します。
(改題前)女性管理職日々雑感
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協力隊応援

2016-10-30 | Weblog
 このブログ、いったん終了しようと思い、前の記事を書いたのですが、どうも協力隊のことを書く場がなくなって落ち着かないので、題を変更し、主に青年海外協力隊の応援を趣旨として、協力隊関連のことを書いていこうと思います。(また気が変わるかもしれませんが。)
 11月4日の本年度秋募集締め切りを前に、迷っているかたがいらしたら、ぜひ応募用紙書いてみてください。書くことで、なぜ応募するのか、自分の中で見えてくることがあるかもしれません。

 応援しています。そして、お待ちしています。
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ブログ終了&お礼

2016-07-24 | Weblog
このブログを終了することにしました。
長い間、ありがとうございました。

はじめて部下を持つことになったときにはじめたブログでした。
dearmyboss、たちに育ててもらったことに感謝し、自分も dearmyboss と言ってもらえるような上司になれたらいいなという思いをこめたブログ URL だったことを思い出します。

月日は流れ、部下を持った時期も終わり、余生が見えてきました。
これからは、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
また新しいブログをはじめるときには日々の生活を綴っていきたいと思っています。

青年海外協力隊を、いつでもどこでも応援しています。

少し前に会社を辞められた、尊敬していた先輩が、退職時のメールに書いていた言葉を引用して終わります。
「またいつかどこかで。」

ありがとうございました。

青年海外協力隊OG 平成19年度(2007年度)3次隊
イエメン 青少年活動
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