海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

協力隊の民間企業に対する人件費補てん制度の終了について所感

2019-05-26 | イベント
数年前になりますが、青年海外協力隊に現職参加する民間企業への人件費補てん制度がなくなりました。これについて、最近再度考える機会がありました。以下、個人の所感です。

人件費補てん制度がなくなった時点で、補てんを前提につくられていた「青年海外協力隊休職制度」は立ち行かなくなっていると思いますが、企業でのこの制度の改廃状況はどうなっているでしょう。給与の●割を支払う、という規定が含まれている場合が多かったと思います。私の勤務先にはもともとこの制度はなく、「社外業務専任休職」という制度があり、該当者一人ずつ、都度、人事部が稟議書を上げて人事担当役員決裁で承認されていました。最近、人事制度の改訂により、これにかわる自己啓発休暇というようないくつかの新制度ができましたが、このような休暇の期間が上限2年となったため、訓練期間を含め約2年4か月にわたる青年海外協力隊には実質参加できなくなっています。

人件費補てん制度が民間企業からどのように見えたかというと、国家が、ボランティア自身を、企業が支払っている給与に値する人材であり、企業にとっても重要な戦力であると認め、その上で、その戦力を国家のために貸してほしい、というスタンスを示します。これが、最も重要な制度の存在意義でした。隊員の生活確保や企業の損失補てん等の経済的な支援はそのコンセプトを具体化したものでした。給与10割と補てん8割の差は、ボランティアの活動内容については、最初から即戦力ではないため、という能力的な理由で企業、あるいはボランティア自身と痛み分け、また、途上国での生活は保障されるので、10割は払い過ぎ、というような理由もあります。

人件費補てん制度がなくなった時点で、国家は、企業の人材に対して、企業へのリスペクトを放棄した、と見えます。企業にいる優秀な人材を借りて派遣することが国家として重要だった時代を終わった、ということでしょう。ボランティアの人材として、企業戦力かどうかは不問となり、一人の日本人である、という見方にかわった、と言えます。ボランティアへの参加は、国家が個人に問うものとなりました。考え方としては理解できますが、現実問題として、企業に勤務している社員が、無給、あるいは持ち出しをしてまで活動に参加するか、できるかといえば、実際の応募数がかなり減少するであろうことは容易に想像ができます。

協力隊事業には魅力があり、国家事業なのだから、補てん等なくても国民が自ら協力するものだ、というような考え方でしょうが、現実からは遠いです。

当初、協力隊事業は、外交上の重要な国家戦略であるから、優秀な人材を企業から借りてでも派遣したい、という国家の思いがあったのだと思います。国家と企業が共同事業として行ってきた。それが、時代にそぐわなくなってきたんでしょう。

この流れはおそらく止めようがないので、協力隊事業が重要であると考える側としては、その流れを認識しつつ、事業の存続・発展の方法を考えて実行していく必要があります。その中で、個人のキャリア形成のステップ、という位置づけは、新しいコンセプトであり、個人にとっての参加動機、付加価値となります。現実として、国家としての協力隊事業の位置づけが低下しているように見える中、かなり苦しいとは思いますが、ボランティアに対する社会、あるいは若者の意識がかわりつつあるのであれば、その流れにのれるといいですね。

国家として協力隊事業を継続するのか、維持なのか発展させたいのか、協力隊事業の3つの目的はそれではどこで担保するのか、あるいはそれも重要度が低くなっているのか、といった点や、これにあたって、国家として、今までの協力隊事業の外交への目に見え難い貢献がきちんと評価できているのか、認識できているのか、が知りたいところです。

協力隊事業は、手っ取り早い方法ではないですし、隊員のひとつひとつの活動自体はそれほど大きなインパクトを与えられるものではありません。ただ、それが、地道に、何千、何万となったときに大きな外交基盤になっていたのではないか、小さな活動に、はかりしれない相乗効果があったのではないか。ないかもしれない。

若干余談ですが、私の配属先であったイエメンにおいて、10名あまりの協力隊員の現地での活動は、関わったイエメンの人たちに日本への好印象と信頼をもたらしていたと思います。イエメンの歴史の中で稀に見る平和な約10年間を振り返ったときに、日本人といっしょにすごした思い出を、切なくなつかしく思い出してくれるイエメンのかたが確実においでになります。日本という国の名前をきくだけで庶民個人の心の中に自分は日本人を知っている、知っていたことがあった、と実体験に基づくsweetな空気が流れる、これは、日本の閣僚が行ったところでできることでしょうか。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。