6月22日(火)
梅雨晴れ間耳の水虫ありやなし
思えば遠くへ来たものだ。一つの区切りであろうなあ。としみじみする。
七〇歳の区切り六〇歳の区切り五〇歳の区切り二十歳の区切り。二十歳の区切り時は喜多見駅から小田急で新宿へ出ていた。常にすし詰め状態で密着した女の人に股間が硬直し震えていた。そのあとの区切り区切りは何も記憶にない。それからなんと六〇年だ。ヤダね。失ったものも得たものも何もない。くぐっていけば日記は取り出せれるだろうけれどめんどくさい。今日がすべてだ。たまたま今日は休みで部屋に居られた。プールは休みで仕方なく午前中図書館へ行ったり昼ご飯の後佐奈川べりを歩いたりした。退屈も時にはいい。
で、買いに出たスーパーで 寅千代 という新潟を見つけ冷やしておいたのを夜更けに飲んでいる。
根っから無精でたくさん不義理を重ねてきている。真理子さんには居てほしかったなあ。中学生のころアタシはたぶん一人で生きていくことになるだろうと夕焼けをにらみながら感じていた。どうやら人とたくさんまみえることができて油断してたのだ。ある日ことごとくあっさりとみんないなくなった。
自業自得ということだろう。
わがままなので一人暮らしが似合ってる。
ある日死んで腐っていれそれはそれでよかろうべえ。なんとなくそんな予感がする。
いいのですその時アタシは死んでいる。
それでも来週頭に新しきパソコンが来る。死ねないなあ。
ベランダから見ていて雀がちょっかいをかけてかけられた雀が逃げていた。いいなあそういうものだよ。