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「安倍チルドレン」の悲惨な末路 杉田水脈議員がすがるも袖にした“山口のドン”

2024年10月11日 19時26分02秒 | 社会

杉田水脈議員がすがるも袖にされた“山口のドン”、不出馬表明でわかった「安倍チルドレン」の悲惨な末路

Yahoo news  2024/10/11(金)   SmartFLASH

 

クラウドファンディングを呼びかけるも、共感を得られなかった杉田水脈議員

 

 10月11日、自民党の杉田水脈議員が自身のXで、次の総選挙には立候補しないことを発表した。杉田議員は過去2回の総選挙では中国ブロックの比例単独候補者になっていたが、党の内規で、比例単独立候補は2回までと決められている。

 そのうえ、旧安倍派で起きた裏金問題に連座していたこともあり、杉田議員の単独立候補は困難との認識を、複数のメディアが報じていた最中のことだった。

「実際、10月7日に杉田議員が所属する自民党山口県連は、杉田議員について党に公認申請を提出したものの、党選対は杉田議員を公認しない方針とされていました。ただ、杉田議員もただ手をこまねいていたわけではありません“山口のドン”であり、県連を牛耳っている柳居俊学・県議会議長の自宅に何度も“相談”のために足を運んでいました

 と、明かすのは地元紙記者だ。

「杉田さんは、そもそも兵庫県出身で大学は鳥取大学。卒業後は西宮市役所に勤務し、政治家になってからは、みんなの党、旧日本維新の会を渡り歩いています。山口県との接点は安倍晋三元首相しかありませんね。その安倍元首相が亡くなって、身を寄せる場所が県内にはなかったようです。安倍さんに代わる地元のドンにすがったわけですが、袖にされてしまったということですね」

 

 安倍元首相の選挙区補選で当選し、新区割りの影響で林芳正官房長官に選挙区を譲り渡した吉田真司議員も、この柳居議長の“手のひらの上”だという。

「吉田さんは、党内で共有された最初の公認名簿に名前が入っていなかったそうですよ。今年の9月には吉田さんの選対も作られていたので、比例区からの立候補は、県連では織り込み済みだったはず。7日に東京にいたようですが、名簿に名前がないと聞いて、吉田さんは8日に慌てて地元に戻っています。そもそも、県連から党に対して公認要請が出ていなかったそうです。『出るんだよね?』と県連から本人に一声かけてあげればいいはずなのですが……意地悪ですよね」(同前)

 この“意地悪”の背景には、先の総裁選が関係している。

「県連関係者によれば、総裁選で吉田さんが小林鷹之さんの支持に回ったことが柳居さんの逆鱗に触れたようです。山口県連としては当然、地元の林芳正さんを推したかったはずです。勝手な行動をした吉田さんにお灸をすえたということでしょう」(地元紙記者)

 

 杉田議員は来夏の参議院選挙で自民党の全国比例の公認を目指すというが、公認を受けられるか不確かな状況だ。

杉田さんは山口県連にとってはあまり関係のない人ですからね。さらに、吉田さんも今回公認されたとはいえ、比例中国ブロックの名簿順位でどこまで優遇されるかは不透明です。通常であれば、林氏に選挙区を“譲った”わけなので優遇されてしかるべきですが、怪しい状況です。

 杉田さんは安倍元首相、吉田さんは安倍昭恵さんのプッシュというどちらも“安倍チルドレン”ですが、かなり悲惨な末路が待っていそうです。そもそも安倍派議員がパージされている現状で、誰も救いの手を差し伸べてくれることはないでしょう」(政治部記者)

 あれほど栄華を誇った安倍派がまさか……。政治の世界は容赦がない。

 


米不足で露呈した「日本の農政」の異様さ「日本の米に未来はない」と専門家が断言する、衝撃の理由

2024年10月11日 12時59分02秒 | 社会

米不足で露呈した「日本の農政」の異様さ…「日本の米に未来はない」と専門家が断言する、衝撃の理由

Yahoo news  2024/10/11(金)   現代ビジネス  中島 茂信(フードライター)

 

今年8月、日本各地のスーパーから米が姿を消した。入荷をしてもすぐに売り切れ、さらに価格も大きく高騰。「いつも当たり前にあるはず」のお米が無いことに、どことなく不安感を覚えた方も多くいたのではないのだろうか。新米が並びはじめて、元通りになったかと安心する一方で、“令和の米騒動”の原因を明らかにしなければ問題は繰り返されかねない。

東京大学大学院農学生命科学研究科特任教授で『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』など農業安全保障関連の多くの著作を持つ鈴木宣弘氏はその原因を政府が行う「減反政策」に求めたうえで、その政策により、多くの米農家が苦境に立たされていると説く。政府の政策が変わり、そして消費者の行動が変わらない限り、「日本の米」に未来はないーー鈴木氏がそう断言するのはなぜなのか。

取材・文/中島茂信

 

コメを作ってくれる人がいなくなったら……

「コメを食べないと落ち着きません」

東京大学 大学院特任教授の鈴木宣弘先生の生活には、コメが欠かせない。奥様の手料理で朝一膳。昼は仕事で抜くこともあるが、夜も一膳いただく。鈴木先生の大好きなコメが2024年の夏、ほぼ全国の小売店から消えた。10月になり、各地の新米が並び始め、“令和の米騒動”もひと段落。10月6日、記者の地元千葉県のスーパーでは、千葉県産新米コシヒカリが5キロ3580円。令和の米騒動前の、ほぼ倍になった。

けれど、鈴木先生は「全然高くない。もっと高くていい」と言い切る。コメ5キロは茶碗約80杯分。5キロ3580円なら茶碗1杯約44.8円。

菓子パンと比べたら茶碗1杯50円でも高くありません」

消費者としては安いほうが有り難い。けれど、「コメを作ってくれる人がいなくなったら、高いのなんのとは言っていられなくなる」と鈴木先生は指摘する。

 

1993年に比べると、大騒ぎする状況ではなかった

昨夏の猛暑の影響で、一等米の比率が落ちたこと。コロナがほぼ終焉し、インバウンド需要が増えたこと。この2点が“令和の米騒動”の要因だと報じるメディアが目立った。けれど、この説に鈴木先生は異論を唱える。

インバウンド需要が増えたところでせいぜい1%。2023年のコメの作況指数は、平年を100として101。減っていません

まだ記憶に新しい1993年のコメ不足は、記録的な日照不足と冷夏が原因だった。

「あの年は作況指数が70ぐらいまで落ち込みました。それに比べれば、今年は大騒ぎするような状況ではありません」

 

備蓄米を流通させなかったワケ

8月末、大阪府知事は、「備蓄米を流通させてほしい」と政府に要望。けれど、政府は、「全国的に見て需給は逼迫(ひっぱく)しておらず、備蓄米を開放する予定はない」と回答した。

「1993年の大不作をきっかけに政府は、1995年から毎年100万トン程度のコメを備蓄しています。この備蓄米をもっと柔軟に運用すべきでした

どのような状況になったら備蓄米を放出するのか。数値を決めていれば府知事も国民も納得したはずだというのだ。

役所は面子を重んじます。コメは余っていると言い張ってきた以上、放出すると自分たちが間違っていたことを認めることになる。備蓄米を流通させる状況ではないと判断したのでしょう」

 

そもそもの発端は「減反政策」

2024年の夏は、南海トラフ巨大地震の注意報が出たことでコメを買いだめした人も多かった。

「買いだめもコメ不足を招いた要因のひとつですが、そもそもの発端は政府が長年続けてきた『減反政策』にあります」

減反政策は2006年に廃止されたことになっているが、実はいまも実施されているという。

「さらに最近ひどいのは、財務省を中心に、農水省以上に権限を持っている財政当局の政策が短絡的になってきています。コメは余っているのだから田んぼを畑に変えてしまおう、田んぼをつぶせば一時金を出す、という政策を導入しています」

 

米農家がおかれた現状

なぜ「コメはもっと高くていい」のか。米農家がおかれた現状を説明してもらった。

「海外情勢の悪化で、肥料が2倍近くになり、燃料代も5割高。現在の正確な統計はまだ出ていませんが、コメ1俵(60キロ)のコストが16000円とか17000円になっている可能性が高いです」

農家が米農家に払う概算金(集荷時に支払う前払い金)は地域により異なるが、2023年はコメ1俵が12000円ぐらい。今年は上がったとはいえ16000円とか17000円程度

「やっとトントン。これでは利益が出ず赤字が膨らむ一方。辞める人が続出しています」

 

流通の自由化がもたらした弊害

20年前までは、米農家はコメ1俵を20000円で売っていた。その後、米価は下がり続けた。コロナ禍で外食需要が激減した頃は、9000円まで下がった。20000円がなぜ半分以下になったのか

コメの流通を自由化したからです」

どういうことか、教えてもらった。

「『食糧管理制度』(1942年施行)により政府は長年、全国の農家からコメを買い上げていました。供出価格と供出量を政府が決定していたのです。たとえば、農家から1俵20000円で高く買い入れ、消費者に安く売っていました」

その差額を政府が補填していた。ところが、1994年に食糧管理制度が廃止。コメの流通が自由化された。それでも当初はまだ政府がコメを大量に買い上げていたため、政府が米価を調整できた。

「やがて買い上げの量が縮小。100万トンに減ったことで、政府が米価を動かせなくなりました」

 

農家は米を買い叩かれる

諸物価高騰を理由に多くの食品メーカーが値上げしている。農家も米価を上げればいいはずだが、できない裏事情がある。

米価は、大手小売チェーン店がいくらで売りたいかで決まります。農家は買い叩かれています

農家の懐具合もコストも関係なく、農家不在のもとで米価が決定されている

「価格転嫁ができない農家に対し、『農業は大変だよなあ』と言う人がいます。でも、これは他人事ではありません。農業問題はわれわれ消費者の問題。自分の、子どもの命の問題です」

 

先進国でもっとも農家への補助金が低い日本

米価を上げられないとしても「農家は補助金で保護されているじゃないか」と多くの人が思っているのではないか。記者も長年そう思い込んでいた。けれど、鈴木先生は、「農家は補助金漬けではない」と自著『農業壊滅』に記している。

日本の農家の所得のうち、補助金の占める割合は30%程度なのに対して、英仏では農業所得に占める補助金の割合は90%以上、スイスではほぼ100%と、日本は先進国でもっとも低いのだ。(『農業壊滅』より)

この一文にはないが、アメリカは40%だと鈴木先生は指摘。日本と大差がないようだが、この数字には裏がある。市場価格の状況で補助金が変動するのだ。

「たとえば、アメリカの農家がコメ1俵を4000円で売っているとします。生産には12000円のコストがかかるとすると、差額分の8000円を政府が全額負担しています。そのおかげで農家はコメが安くても安心して農業を続けることができます」

鈴木先生は自著『世界で最初に飢えるのは日本』でアメリカの農業政策について言及している。

アメリカでは、コロナ禍による農家の所得減に対して、総額3.3兆円もの直接給付を行っている。また、3300億円を支出し、農家から余剰在庫を買い上げて、困窮世帯に配布している。(『世界で最初に飢えるのは日本』より)

 

食料こそがもっとも安い武器

アメリカは農家を手厚く保護するだけでなく、農作物を輸出している。その意図はなにか。

「補助金を付けることで、農作物を安く輸出するためです。その結果、たとえば、日本人の胃袋をコントロールしてきました。『食料こそがもっとも安い武器』だというのがアメリカの国策。農産物の補填だけで多い年は1兆円を使っています」

民主党政権時の2009年、アメリカの農業政策に似た「戸別所得補償制度」が施行された。

「販売価格と生産コストの差額を農家に補填する制度でした。米農家の所得が増え、大規模農家がさらに拡大するような動きがありました」

その後、自民党政権に戻り、制度が廃止された。だから、いま、農家が厳しい状況に置かれていると鈴木先生は説く。

 

アメリカの対日対策だった「減反政策」

先に、令和の米騒動の要因は減反政策だと述べた。実は、減反政策も、第二次世界大戦後のアメリカの、対日本の政策だった。

すべてはアメリカの、戦後の過剰農産物の処理のためでした。アメリカ産の小麦を日本にねじ込むには、コメを食べられてはと困るそのために“コメを食うと馬鹿になる”と主張が載った本『頭脳―才能をひきだす処方箋』が1958年に出版されました」

著者は慶應大学名誉教授の林髞(たかし)氏。

当時は発売3年で50刷を超える大ベストセラーであり、日本社会に与えた影響は非常に大きかったのである。(『世界で最初に飢えるのは日本』より)

コメを食うと馬鹿になる。いま思えばまさに噴飯ものだが、慶應大学名誉教授が書いたこともあり、「コメ食否定論」がまかり通り、朝日新聞の天声人語でもコメ食否定論が紹介された。

日本を米国産農作物の一大消費地に仕立て上げるため、コメの消費を減らす政策をアメリカが行ないました。それがいまの流れの根底にあり、日本の農業政策を狂わせてきました」

小麦の関税を実質、日本に撤廃させ、アメリカ産の小麦が大量に輸入されるようになった。日本では小麦を長年コメの裏作で栽培してきたが、生産量が激減。いまや輸入小麦の割合が9割になってしまった。

 

いざとなれば罰則で脅す

2024年6月、「食料供給困難事態対策法」が成立。有事や異常気象などの緊急事態には、政府がコメやサツマイモ、ジャガイモなどカロリーの高い作物への生産転換を指示できることになった。簡単に書くと、輸入・生産拡大や出荷・販売調整の計画作成と届け出を政府に指示し、従わなければ、20万円以下の罰金を科すという法律だ。

価格転嫁ができずバタバタ倒れている米農家を支援せず、いざとなれば罰則で脅し、コメを作らせる。そんなアホな発想しかできないんです」

 

コメの備蓄を進めるべき

今後、日本はどうすべきなのか。

コメの増産を奨励すべきです。生産量は農家に一任する。赤字になりそうなときは政府が補填する。コメができすぎたときは買い取り、備蓄すべきです」

中国では有事に備えて14億人の国民が1年半食べられるだけの備蓄をするため、世界中の穀物を買い占めているという。

現在、日本のコメの備蓄量は100万トン。全国民の1.5か月分しか確保されていません」

鈴木先生が提案している超党派議員法案がある。数兆円規模の援助金を農家に出す「(仮称)食料安全保障推進法」だ。

「超党派の議員連盟『協同組合振興研究議員連盟』が検討してくれています。自民党の『責任ある積極財政を推進する議員連盟』の方々をはじめ、自民党からも多くの賛同を得られる可能性があります」

 

「日本のコメ」の未来

日本のコメに未来はあるのか。

「いまのままではありません。あと5年もつかどうか。そのことを政府はわかっているのか」

日本の農業は風前の灯火(ともしび)である。農家の平均年齢は68.4歳。フランスの農家の平均年齢は51.4歳であることを考えると、これがいかに異常な数字かがわかるだろう。(『国民は知らない『食料危機』と『財務省』の不適切な関係』鈴木宣弘・森永卓郎共著より)

安い輸入小麦に飛びついてきた結果、コメの消費量が減り続けてきた。高いのなんのと言わず、地元産のコメを食べるようにすれば農家が助かるし、結果的に自分たちも助かる。

「そのためにも地元産のコメを地元で消費する、循環させる仕組みをつくるべきだ、と私は提案しています。そのひとつが学校給食です」

千葉県いすみ市では2017年以来、市内の全小中学校(公立小学校10校と公立中学校3校)の学校給食を地元産の有機米を提供している。その後、野菜も地元産有機野菜に変わった。その話を鈴木先生のセミナーで聞いた京都府亀岡市の市長は、亀岡市でも地元産のオーガニック米の給食を実施することにした。

給食を核にした地域循環が各地で盛んになり、国内で地元でとれたコメや野菜を大事にする食生活を見直すことができれば、流れを変えられます。少々高くても地元のコメをもっと食べるべきです

 

自給率は「見た目の数字でしかない」

カロリーベースの自給率は約38%だが、「見た目の数字でしかない」という。

野菜自体の自給率は80%あるが、種を計算に入れると、真の自給率は8%しかない。種は日本の種会社が売っているものの、約9割は海外の企業に生産委託しているのが現状だ。(『世界で最初に飢えるのは日本』より)

卵はどうか。

鶏の卵は(中略)97%を自給できているが、鶏の主たるエサであるトウモロコシの自給率は、ほぼゼロである。(中略)そもそも、鶏のヒナは、ほぼ100%輸入に頼っている。(『世界で最初に飢えるのは日本』より)

 

日本の食生活の「危うさ」

日本は「美食の国」といわれている。本当に美食の国と呼べるのだろうか。

「料理人の腕はあると思いますが、野菜の種もヒヨコもエサも化学肥料もほぼ全部輸入。イタリアのように地元産の食材を大事にし、おいしい料理を作るのが本来の姿。日本の食生活は、非常に危ういと思います」

食材がどこから来ているのか、農薬の問題も含め、食材にどれだけリスクがあるのか。そういうことも含めて考えると、単においしいだけではすまされない。

「農は国の本なり」。食料危機が到来し、農の価値がさらに評価される時代が来ている。今を踏ん張れば、未来が拓ける。(『世界で最初に飢えるのは日本』より)

「美食の国」の民として、現状を直視し、考えるべき時代が来ている。選挙へ行こう。


ゲッベルスの宣伝戦 令和「大フェイク時代」に日本人がいまこそ学ぶべきこと

2024年10月11日 11時50分37秒 | 社会

ナチスの「プロパガンダの怪物」が実践した「おぞましすぎる宣伝戦」が”再注目”されるワケ…! 令和「大フェイク時代」に日本人がいまこそ学ぶべきこと

Yahoo news  2024/10/11(金)   現代ビジネス 潮書房光人新社

 

9月2日放送のNHK「映像の世紀バタフライエフェクト」でナチスドイツ時代の宣伝大臣ゲッベルス(1897~1945年)の鬼気迫る扇動やプロパガンダが取り上げられて以降、この稀代の宣伝家をめぐる関連書籍に注目が集まっている。その一つが広田厚司著『新装版 ゲッベルスとナチ宣伝戦』(光人社NF文庫)だ。

1万5000人の職員を擁した世界最初にして、最大の「国民啓蒙宣伝省」に君臨し、全てのメディアを掌握した「プロパガンダの怪物」。その実像に迫るべく戦慄の宣伝手法や宣伝戦の再現にスポットをあてた同書には、「大フェイク時代」を生きる「令和の日本人」が学ぶべきことが詰まっているとして、注目が集まっている形だ。おぞましいプロパガンダの実態を知ることで、フェイクから身を守るための術も見えてくる――そんな話題の同書から一部抜粋・再構成してお届けする。

 

書き言葉より、話し言葉にこそ力が宿る

スローガンは新しくなくてもよい、反復することで決定的な効果を挙げられる」

新聞は数十万部が毎日読まれているという理由だけで記事が効果的だとするのは間違いである。これに比べて、たとえ1000人に話しかける演説であっても話し言葉には強い影響力があり、聴いた者から拡散される幾百回の言葉の方がはるかに効果的である」

「演説草稿は書いてみるが、重要なことは、聴衆に自然に出てくる言葉として受け止められるようにしなければならない。そうでなければ聴衆は感動も信頼もしない

「宣伝には一定の理論はなく、求めたとおりの結果が良い宣伝であり、それ以外は悪い宣伝である」

以上が当意即妙な才能により強烈な個性を発散する扇動家ゲッベルスの主な"宣伝哲学"だが、その骨子は「宣伝は方策や手段が問題ではなく目的を達することが重要である」ということに尽きる。

 

大衆に突き刺さった"想定外"の一人芝居討論会

ゲッベルスはワイマール共和国末期の首相ハインリッヒ・ブリューニングに公開討論を申し入れた。だが、公開討論が断わられるとゲッベルスは演説会場でブリューニングの演説を収めた録音レコードをかけながら一人芝居の討論会を行なった。演説の内容はユダヤ人を攻撃してブリューニング首相をこきおろす低劣なものであったが、趣向の変わった想像外の演説は宣伝技術の面から見れば非常に刺激的でかつ効果的であり、強烈な印象を大衆の心に残して成功した

 

ゲッベルスの宣伝組織はドイツ中を騒音の渦に放り込み、褐色シャツの突撃隊に暴れさせて市街地の治安の悪さを演出することで不安を煽り、競争相手の主張をかき消して飲み込んでしまうレベルの低いものだったが、大衆とはどういうものであるかを知り尽くした戦術だった。

国民を世界から完全に隔離して現在の状況が最高なのだと信じさせれば宣伝は成功である。判断とは比較対象があってこそ成立するものだが、長年檻に閉じ込められた農民や労働者は主体的知性による判断力をなくして現在の体制に反抗することができない

これは、ゲッベルスが宣伝をどのように考えて、国民の思考と感情を操ったのかをよく示す言葉だ。ゲッベルスこそヒトラーとナチ体制を支えて牽引した真の闇将軍だった。

 

集会は人々の抵抗心が減退する「夜8時以降」に照準

ゲッベルスは総統伝説を創造するためにナチ党が行なう集団的示威行動(パレード)を利用していたが、国民感情を操作してゆくには巨大な集会がより効果的であると見なして、「巨大な渦巻きの中で小さい人間は変身してしまい、参加者も傍観者も総統中毒になった」と述べている。こうした集会は一般に夜の8時以降に行なわれたが、これは人々の抵抗心が減退して説得に対してもっとも効果的な時間帯であったからである。

ニュールンベルグ党大会の演出はヒトラーのお気に入りの建築家で党建築責任者のアルベルト・シュペァが行なったが、夜間に大会会場の周辺に130基もの巨大なサーチライトを12メートル間隔で設置しておき、直線に上空に放たれる多数の光線流が照らし出す光景は「光の大聖堂」と呼ぶ独創的なものだった。1936年の党大会では神秘性を演出する「たいまつの火行列」が行なわれた後で、150基のサーチライトを群集の上空の一点に集中させて巨大な光の丸屋根を空に浮かべることで観衆を放心状態に導いた。

 

恐るべき「ラジオ番人」制度とその監視網

ゲッベルスは「この戦争は長期間にわたり我我にとって厳しいものになるだろう。勝利で大衆を熱狂させるより義務を遂行する堅い決意を持たせることが大事だ」と語ったが、ナチ政府の指導者の中では誰よりも先行きを見通していた。この考えからゲッベルスは耐久性と弾力性に富む宣伝省の強化を精力的に行ない、その結果として、ドイツが破滅するまで国民を引っ張り続けるのである。

そのナチ党と政権の政策を宣伝によって国民に浸透させる上で、ゲッベルスが最も活用したのがラジオ放送だった。1933年以前のドイツの大都市では独自の放送番組を有するラジオ放送局があったが、放送局の分散方式は宣伝省にとっては不都合だったので、すべての放送局を宣伝省放送局で統制して中央指令を発出した。同時に聴取者を増やして宣伝を徹底させるためにヨーロッパでもっとも安価なラジオセットが売り出された。

さらにラジオ放送を徹底させるべく、集合住宅区画に「ラジオ番人」というのを置いた。彼らの役割はラジオを買えない隣人にナチ党員が金を貸すか、あるいは知人や友人の家で重要な演説や発表を聴くように指導させることだった。そして、「ラジオ番人」にラジオ番組に対する人々の反応を報告させた。

また、もうひとつ、別の情報を伝えてくる外国からの放送を密かに聴取する住民がいないかどうか、生活の細部を監視して報告するという特別な役割を持たせた。

 

ラジオ宣伝戦の凄まじい舞台裏

ラジオ放送はドイツのオーストリア併合(アンシュルス)とともにザール地方の国民投票では大きな役割を果たした。ザール峡谷は重要な工業地帯であるが、第一次大戦の末からフランスにより占領されていた。このために、ヒトラー政権下の1935年に国民投票によって地域の帰属を決定することになり、ナチ政権はザールの国民投票の1年以上も前から宣伝戦を実行していたのである。

具体的に述べれば、1934年1月にゲッベルスはザールにラジオ放送局を設立して、毎週水曜日に「ザール地方の行方を明確に理解する」というテーマ放送が流された。1934年1月と35年4月に5000台の「国民ラジオ」がザール地域に配布された。

これに対してフランスは、投票が迫った最後の瞬間だけにザール住民への影響力を行使しようと試みただけだった。国民投票の結果は90パーセント以上がドイツへ回帰することを望んでザールはドイツへもどされたが、この帰属問題は明らかにゲッベルスの計画的なラジオ宣伝戦の勝利であった。

 

「スターリングラード敗戦」の驚愕のプロパガンダ

ゲッベルスにとってはナチ党の隆盛時の1933年からロシア戦線での電撃的勝利の時期である1941年末までは、あらゆる分野で宣伝戦を遂行するのに何も障害はなかった。これは勝利原則をそのまま国民に伝えればよいという方針を維持していたからである。ただ、敗勢になると、その宣伝戦も試練を迎える。

東部戦線では1942年12月から43年1月にかけて、赤軍がスターリングラードで一大反撃に転じて、同盟国ハンガリー軍の弱い包囲線を突破してドイツ第六軍を逆包囲した。この事態についてソビエトの公報はすでに43年1月1日にスターリングラードの解囲を発表していた。

ドイツ側はスターリングラードの敗北をついに語った。連合国も驚いたこの衝撃的な放送心理戦は成功。ゲッベルスは「敗北にともなう犠牲には意味がある。敗れはしたが、兵士たちは武器を棄てずに再び軍に合流して進んでいる」と叫んだ国民は真実を告げる政権は信頼できると考えるに至り、絶体絶命の淵からゲッベルスは這い上がって再び国民を騙せるようになった

 

扇動の歴史に残る10項目の質問

ゲッベルスは1万5000人を前に大演説を行う。「スターリングラード戦はドイツ国民に対する大警告である!」と切り出し、「西欧2000年の文明の危機を防ぐのは唯一つドイツ国民と国防軍である。ドイツが崩壊すれば世界がボルシェヴィズム(過激主義)に屈服することになる」と長広舌を振るい、総力戦への信用を調達した。

この1時間にわたる演説の白眉は国民に対する10項目の質問だった。「敵はラジオ電波を通じてこの成り行きをじっと聴いている。諸君は敵の前で明確に答えなければならない」と問いかけた。

一、諸君は総統とともにドイツの最終的かつ全体的勝利を信じているか。二、英国はドイツ人が戦争に疲れたというが、変転にかかわらず勝利するまで総統とともに戦争継続の覚悟があるか。三、英国はドイツ国民が戦時労働に応じなくなったと主張するが、総統からの指令があれば、1日10時間、12時間、時には14時間から16時間さえ労働して勝利に尽くす決心があるか。

聴衆はひとつひとつに「ヤー(そうだ!)」と叫び、興奮の坩堝の中に放り込まれて、ゲッベルスが希求する目的地へと誘導されていた。

 

後世の歴史に名を刻むための宣伝

1943年半ばから44年中のドイツは、日々強化される連合国空軍の爆撃で都市は次々と廃墟と化してゆき、生活基盤を奪われた国民の心は急速にヒトラーから離れていった。そして、45年の敗戦までの残り数カ月間、ゲッベルスは二つの宣伝戦を実行した。

一つは国民の士気の維持を意図した「必勝」を唱える短期宣伝である。もう一つはゲッベルス自身を歴史上に残すための時限信管がついた長期宣伝、つまり、後で爆発するプロパガンダ爆弾という予言的な宣伝戦の展開であった。具体的に述べれば、前者の短期宣伝は(ドイツ軍もソビエトで同じことをしたのだが)、ソビエト軍に占領されれば、ドイツ人は老若男女を問わずに暴虐非道な目に遭うという恐怖を煽り立てて、「戦闘で死ぬ方がまだましだ」という考えになるまで続行する。

また、後者の長期宣伝では「ドイツの敗北とともに第三次世界大戦が開始され、ソビエトは英国を破壊して彼の国民は共産主義になる」、それから「米国に対する攻撃が始まる」といったものだった。要するに「これから起こること」を予言した人物として、歴史上に記録されることこそが終局の目的であった。だが、ゲッベルスの死後、稀代の宣伝家が自らの死にざまに企図したはずの「神話的英雄性」など誰も気にもかけなかった。


中国経済はハリボテか…「官製バブル」の裏で発表されていた「不都合なデータ」

2024年10月11日 10時28分54秒 | 社会

やはり中国経済はハリボテか…「官製バブル」の裏で発表されていた「不都合なデータ」

Yahoo news  2024/10/11(金)  現代ビジネス   真壁昭夫(多摩大学特別招聘教授)

 

株価は急騰したが…

9月末まで中国本土株は9営業日続けて上昇した9月24日の金融緩和、不動産支援策、株価維持策の発表、26日の中央政治局会議で明らかになった財政支出拡大方針の表明などを見る限り、中国政府はこれ以上の景気後退懸念の高まりは容認できなくなっていると考えられる。

主要投資家の一部は、中国の経済政策運営スタンスが変化したと判断し、これまで売りに回っていた本土株など中国関連の資産を急速に買い戻したようだ。中には、中国株を空売りし続けたところ想定を上回る経済対策発表に直面し、やむなく空売りした銘柄を買い戻さざるを得なくなった投資家もいる。

また、商品市況にも影響は表れた。9月上旬、シンガポールで取引される鉄鉱石の先物価格は2022年以来の安値水準で推移していた。しかし9月30日、不動産市況の支援策などの発表を材料に鉄鉱石の先物価格は急反発し、一時11%近く上昇した。

今回の経済政策の発表後、金融緩和、財政支出の拡大方針がこれまでより明確になったとの見方は強まっている。

29日、中国人民銀行(中央銀行)は既存住宅ローンの金利を10月31日までに引き下げるよう銀行各行に指示すると発表。広州、上海、深圳、北京なども住宅購入規制の緩和や解除を相次いで発表した。政策対応のスピードはかなり速い。

しかし、中国の景気が持続的に回復に向かうかは現時点で疑問符が付く。

 

中国経済はいまだ厳しい状況

気になるのが、中国の国家統計局が9月27日に発表した、8月の“工業部門企業利益(工業利益)”だ。工業利益とは、主な事業の年間売上高が2,000万元(4億円)以上の工業部門の企業収益を経済全体で集計したデータ。これが前年同月比で17.8%減と大幅な落ち込みを見せているのだ。

30日に発表した製造業PMI(購買担当者景況感指数)も、景気の回復と減速の境目である50を下回った。製造業の景況感は5カ月連続で悪化していることになる。

さらに、9月後半以降に政府などが発表した中国関連のデータを確認すると、個人消費、設備投資、雇用・所得環境など経済の基礎的な条件(ファンダメンタルズ)も悪化の一途を辿っている。

おそらく、中国政府にとってもこううした景況感の悪化は想定以上だったのではないか。中でも、前述の工業利益の減少幅は大きく、中国政府にとっても都合の悪いデータだったはずだ。

 

近年、中国政府は民間企業のリスクテイク支援よりも、国有、国営企業などに対する産業補助金や工場用地などの供与を優先してきた。EV分野のBYDや通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)、半導体受託製造企業の中芯国際集成電路製造(SMIC)など政府との関係が強固といわれる民間主要企業向けの支援を厚く実施し、政府主導の経済運営を推進したと考えられる。

中国政府はこれらの支援等を通じて国内企業の世界市場におけるシェアを高め、外需を取り込もうとしてきたのだろう。輸出が増えて企業業績が拡大すれば、雇用や所得の機会は増加し、個人消費も下支えされるからだ。

ただ、供給サイド重視の中国政府にとって、工業利益の大幅減は、年初来に実施したEV販売補助金の拡充などの支援が、十分な効果を発揮していないことを意味するのではないか。

 

家が売れない…

政府の指針通りに主要メーカーの利益が増えていない状況が続くと、中国の国民は政策の効果を疑問視するようになるだろう。

そうしたリスクに対応するため、前出の工業利益発表後の29日、中国人民銀行は住宅ローンの引き下げを迅速に行うよう国内行に指示したと考えられる。広州市などの住宅取得規制の緩和発表にも、工業利益の落ち込みなどは影響したのだろう。

とはいえ、住宅分野においても都合の悪いデータがすでに出ている。9月30日、中国房産信息集団(CRIC)が発表した速報値によると、9月の大手不動産デベロッパー100社の新築住宅販売額は前年同月比37.7%減だった。

住宅価格の下落に歯止めがかかるには時間を要するとの懸念は高まっている。中国政府はこの問題に対しても、住宅在庫の圧縮、家計の住宅ローン負担軽減、生産活動の持ち直しなどを目指し、追加の経済対策を打つことになるだろう。金利の引き下げや住宅、耐久財の購入支援の拡充などは当然考えられる。

今後も、雇用や所得、個人消費の環境が悪化すれば、追加の対策を打つと予想される。しかし、中国政府がいくら人々の心理から先行き不安を払拭しようとも、国内には手付かずの大きな問題が横たわっている。そしていまだに中国政府は解消に乗り出そうとしていない。

 

つづく記事〈このままでは中国が「不況」を世界各国に輸出しかねない…!中国のハリボテ経済が抱える「恐ろしい爆弾」〉では、その大問題について解説する。

 

このままでは中国が「不況」を世界各国に輸出しかねない…!中国のハリボテ経済が抱える「恐ろしい爆弾」

中国は景気後退を回避できるのか?

9月下旬、中国政府が急速な経済対策を発表したことにより、中国経済の先行きに弱気だった主要投資家の一部は、慌てて本土株など中国関連資産に資金を振り向けた。その結果、中国企業の株価は急騰。日本株の買い持ち・中国株の売り持ちを急速に解消せざるを得なくなる投資家もいた。

ただ、こうした動きが続き、中国の景気が持続的に回復に向かうかは現時点で疑問符がつく。

前編記事〈やはり中国経済はハリボテか…「官製バブル」の裏で発表されていた「不都合なデータ」〉では、中国の先行きの暗さを示唆する各データについて解説した。

 

では今後の展開はどうなるのか。

短期的に追加の経済対策によって中国の株価が上向き、住宅価格の下落ペースが緩和する可能性はあるだろう。それに伴い、一時的に中国の消費者信頼感が上向き、個人消費が反発するような変化が起きる展開も想定される。

実際、そうした見方から、これまで非保有としてきた中国株を急速に買い戻す投資家も増え、国慶節の連休中、深圳などの大都市でマンション購入を検討する人も急増しているようだ。

問題は、今後に出てくるものも含め経済対策が景気の下げ止まり、持続的な持ち直しにつながるか否かだ。少なくとも9月後半に発表された経済対策の政策運営方針が続く限り、中国経済が本格的な回復に向かうか不確実な部分が残る。

一つの要因は、依然として中国政府が供給サイドの支援を重視しているとみられることだ。

 

国有企業を優先するも…

バブル崩壊から経済を立て直して成長率を高めるには、需要サイドの支援が必要だ。1930年代の米国が行ったように、公共事業などを増やして雇用と所得の機会を増やす。その上で規制緩和などを実施して起業や成長期待の高い分野での産業支援を実施し、需要を創出する。

しかし、9月26日の中央政治局会議の内容からは、供給サイド優先から需要サイド支援へ政策の軸足を移す考えは読み取れなかった。

米ピーターソン国際経済研究所の試算によると、2024年6月時点で時価総額上位100社の中国企業で国有(混合所有含む)は67%の一方、純粋な民間企業のシェアは33%に低下した。2021年に中国政府がIT先端企業への締め付けを強めて以降、主要企業に占める民間企業の時価総額、売り上げともに低下傾向だ(国進民退)。

今なお国有企業などを重視し、先端分野を中心に民間企業への締め付けを重視する政策指針に変更はないと考えられる。

米国株式市場で新規株式公開(IPO)を断念したネット通販会社の“SHEIN(シーイン)”は、英国でのIPOを目指しつつ代替案として香港上場も検討していると報じられた。中国政府によるデータ管理、民間企業の創業経営者による資産の海外移転などの監視もあり、同社の資金調達の選択肢は少なくなっているように見える。

ただ、中国では国有企業なども業績懸念が高まっている。

 

「不況」を輸出しかねない

2024年上期、世界最大手、中国宝武鋼鉄集団傘下の宝山鋼鉄は、売上高、純利益ともに前年同期を下回った。同社が予想した以上に川下(消費者)の需要は減少し、収益を得ることが難しい。大手企業の競争力向上に向け、中国政府が主要企業の経営統合を指示することも考えられる。

しかし、中国政府は過剰生産能力の解消には一向に着手しようとしない。

こうした状況が続けば、この問題はさらに深刻化するかもしれず、場合によっては中国の過剰生産能力はさらに膨張し、結果として中国が世界に“不況”を輸出するという構造が鮮明化する恐れがある。過度に安価な製品や鋼材が流出し続ければ、各国企業の業績は悪化しかねない。

加えて今後は、企業や投資家が自由に意見を交換し、中国での成長の機会を模索すること自体が難しくなるだろう。情報統制を強化するからだ。

9月30日、中国政府は2025年1月1日にネットワークデータ安全管理条例を施行すると発表した。自国の経済、安全保障にかかわる内外のデータ処理に関し、内外の企業に対して政府の命令に従うよう徹底する。国民生活に悪影響を与える恐れがある場合、法的責任も追及する。社会と経済への統制は強まるものと考えられる。

主要先進国の企業は、法律や条例の適用基準があいまいとの懸念を示したが、中国政府は配慮を示していない。状況によっては、中国でビジネスチャンス発掘を目指す企業の取り組みが中国政府によって摘発され、何らかの罰則を科されるリスクも高まっているようだ。

 

リスクは常につきまとう

こうした展開を踏まえ、日米欧などを中心に、中国では主要企業などと合弁事業を継続しつつ、米国、インド、アセアン地域の新興国などに経営資源を再配分し、収益性向上を目指す企業は増えるだろう。収益源の分散化の必要性はますます高まっている。

引き続き、中国政府の発表には注視が必要だ。中国政府が景気後退リスクに配慮して一連の経済対策を発表したことは重要だが、景気が本当に回復するかは見通しづらい不良債権処理の遅れ、国有企業重視の経済・産業政策、情報統制など、今後の中国の政策内容を慎重に評価する必要性は高い。

さらなる政策発動観測から中国株、銅や鉄鉱石価格などのボラティリティーが高まり、主要投資家が思わぬ損失に直面、中国の金融市場が不安定化するという事態も大いにあり得る。


山形市文化財展示室②菅沢古墳二号墳出土埴輪 嶋遺跡 双葉町遺跡

2024年10月11日 08時58分47秒 | 山形県

山形市文化財展示室。山形市本町。やまがたクリエイティブシティセンターQ1内。

2024年9月8日(日)。

双葉町遺跡。

双葉町遺跡は、山形市の中心部に位置する古代の集落と中世・近世の山形城跡の複合遺跡である。馬見ヶ崎川が形成する扇状地の扇端に位置している。扇状地の扇端は地盤が安定しているうえに地下水が高く生活用水が得やすいという利点があるため、周囲には遺跡が点在している。

菅沢(すげさわ)古墳二号墳。

古墳時代中期(5世紀後半)の築造と推定されている。山形市西南部に位置し、丘陵突端部にあり、3基の円墳からなる。2号墳は直径50m、高さ東側で6.6m、墳頂部は平坦である。二段築成で、周壕がめぐらされている。内部主体は未発掘であるが、木棺直葬の可能性が高い。

1985~86年に山形市教育委員会によって墳丘部の発掘調査が行われた。墳頂部・墳丘中段および墳麗部に埴輪列がめぐり、円筒・朝顔型のほかに、家型・甲冑型・楯型・靭型・きぬがさ型などの器財埴輪や馬型などの動物埴輪も発見された。このうち、8点が県指定有形文化財(考古資料)に指定されている。

円筒・朝顔形と器材埴輪を主体とした特徴と構成は5世紀中葉から後葉の焼成と考えられ、これが古墳の築造年代と考えられる。これらの埴輪は畿内の影響を受けている。

甲冑形埴輪。

朝顔形埴輪は口縁部径57.3㎝で凸帯は5条、上端の頸部がくびれる。

円筒埴輪2個体は約30㎝の口径を計り2~3条の凸帯が回る。

家形埴輪は切妻の家を模し、壁の下端を欠く。残存高は31.3㎝。

盾形埴輪の盾面は鋸歯文と菱形文で構成され復元高は77.0㎝である。

靱(ゆき)形埴輪は全形が器高は88.1㎝ほど。2個体の甲冑形埴輪は短甲を模す。

 

国史跡・嶋遺跡は、古墳時代後期(約1400年前)の集落跡で、山形駅の北北西約4㎞に位置し、馬見ヶ崎川の形成した扇状地扇端部に立地する低湿地遺跡である。

1962年~1964年に行われた発掘調査で、打込柱による平地式建物跡や高床式建物跡、土器、木製の道具などが発見され、その保存状態が良いことから全国に知られるようになった。

東北地方の古墳時代の村落形態や生活様式を研究するうえで重要な遺跡であることから、1966年に国の史跡に指定された。現在は「嶋遺跡公園」として整備されている。

発掘調査で、打込柱による住居と見られる平地建物跡1軒と、高床倉庫と見られる高床建物跡3棟のほか、土師器、竪杵・鋤・大足(田下駄)などの木製農具、植物の種(籾)などが検出された。

集落は、土師器の様相から古墳時代前期(4世紀)に形成され始め、後期(7世紀)に最盛期を迎えたと考えられている。

木製の道具や植物の種などは通常では土中で腐ってしまうが、嶋遺跡は水分を多く含み酸素の少ない低湿地遺跡であるため、保存状態は非常によかったという。

打込柱式の建物は東北地方では嶋遺跡と、同じく山形県内にある西沼田遺跡(天童市)でしか見つかっていない。低湿地で水はけがよくない土地であったために、柱を地面に深く打ち込み建物をつくるという打込柱式が採用されたとされ、柱は地下1.6mまで埋め込められていたという。地上にあった柱は腐り失われてしまったが、地下に埋め込められた部分の1.5倍〜2倍に想定されている。

その他にも子持勾玉といった玉類や、馬の背に乗せて使う鞍なども発掘され、これらの出土品は山形市文化財展示室や山形県立博物館で展示されている。

 

双葉町遺跡。

 

このあと、霞城公園の駐車場に戻り文翔館へ向かった。

山形市文化財展示室①縄文 熊の前遺跡 山形西高敷地内遺跡 弥生 河原田遺跡