山形市文化財展示室。山形市本町。やまがたクリエイティブシティセンターQ1内。
2024年9月8日(日)。
双葉町遺跡。
双葉町遺跡は、山形市の中心部に位置する古代の集落と中世・近世の山形城跡の複合遺跡である。馬見ヶ崎川が形成する扇状地の扇端に位置している。扇状地の扇端は地盤が安定しているうえに地下水が高く生活用水が得やすいという利点があるため、周囲には遺跡が点在している。
菅沢(すげさわ)古墳二号墳。
古墳時代中期(5世紀後半)の築造と推定されている。山形市西南部に位置し、丘陵突端部にあり、3基の円墳からなる。2号墳は直径50m、高さ東側で6.6m、墳頂部は平坦である。二段築成で、周壕がめぐらされている。内部主体は未発掘であるが、木棺直葬の可能性が高い。
1985~86年に山形市教育委員会によって墳丘部の発掘調査が行われた。墳頂部・墳丘中段および墳麗部に埴輪列がめぐり、円筒・朝顔型のほかに、家型・甲冑型・楯型・靭型・きぬがさ型などの器財埴輪や馬型などの動物埴輪も発見された。このうち、8点が県指定有形文化財(考古資料)に指定されている。
円筒・朝顔形と器材埴輪を主体とした特徴と構成は5世紀中葉から後葉の焼成と考えられ、これが古墳の築造年代と考えられる。これらの埴輪は畿内の影響を受けている。
甲冑形埴輪。
朝顔形埴輪は口縁部径57.3㎝で凸帯は5条、上端の頸部がくびれる。
円筒埴輪2個体は約30㎝の口径を計り2~3条の凸帯が回る。
家形埴輪は切妻の家を模し、壁の下端を欠く。残存高は31.3㎝。
盾形埴輪の盾面は鋸歯文と菱形文で構成され復元高は77.0㎝である。
靱(ゆき)形埴輪は全形が器高は88.1㎝ほど。2個体の甲冑形埴輪は短甲を模す。
国史跡・嶋遺跡は、古墳時代後期(約1400年前)の集落跡で、山形駅の北北西約4㎞に位置し、馬見ヶ崎川の形成した扇状地扇端部に立地する低湿地遺跡である。
1962年~1964年に行われた発掘調査で、打込柱による平地式建物跡や高床式建物跡、土器、木製の道具などが発見され、その保存状態が良いことから全国に知られるようになった。
東北地方の古墳時代の村落形態や生活様式を研究するうえで重要な遺跡であることから、1966年に国の史跡に指定された。現在は「嶋遺跡公園」として整備されている。
発掘調査で、打込柱による住居と見られる平地建物跡1軒と、高床倉庫と見られる高床建物跡3棟のほか、土師器、竪杵・鋤・大足(田下駄)などの木製農具、植物の種(籾)などが検出された。
集落は、土師器の様相から古墳時代前期(4世紀)に形成され始め、後期(7世紀)に最盛期を迎えたと考えられている。
木製の道具や植物の種などは通常では土中で腐ってしまうが、嶋遺跡は水分を多く含み酸素の少ない低湿地遺跡であるため、保存状態は非常によかったという。
打込柱式の建物は東北地方では嶋遺跡と、同じく山形県内にある西沼田遺跡(天童市)でしか見つかっていない。低湿地で水はけがよくない土地であったために、柱を地面に深く打ち込み建物をつくるという打込柱式が採用されたとされ、柱は地下1.6mまで埋め込められていたという。地上にあった柱は腐り失われてしまったが、地下に埋め込められた部分の1.5倍〜2倍に想定されている。
その他にも子持勾玉といった玉類や、馬の背に乗せて使う鞍なども発掘され、これらの出土品は山形市文化財展示室や山形県立博物館で展示されている。
双葉町遺跡。
このあと、霞城公園の駐車場に戻り文翔館へ向かった。