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小泉進次郎氏は「山際衆院議員の旧統一教会汚染」告発を握りつぶした〈議員歴25年自民県議が離党し証言〉

2024年10月12日 18時23分16秒 | 社会

小泉進次郎氏は「山際衆院議員の旧統一教会汚染」告発を握りつぶした〈議員歴25年自民県議が離党し証言〉

Yahoo news  2024/10/12(土)文春オンライン 「文藝春秋」編集部/文藝春秋 電子版オリジナル

 

自民党神奈川県連会長の小泉進次郎氏 ©文藝春秋

 

「山際議員は、旧統一教会と決別などしていない」

 そう断言するのは、自由民主党所属の神奈川県議会議員、小川久仁子氏だ。1999年から7期連続当選を果たし、県議会副議長や決算特別委員長などを歴任したベテラン議員である。その小川県議が、衆院選を目前に控えた10月11日、離党届を提出した。自民党を離れてまで、彼女が訴えたいものとは――。

 

旧統一教会関連団体のデモでマイクを握り……

「私の手元に、一枚の写真があります。これは、山際大志郎衆議院議員(元経済再生担当相)の事務所で、現在も公設第一秘書として働くA氏が、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)関連団体によるデモでマイクを握り、街宣車上から群衆をアジる様子を撮影したものです。

 現役の、それも国から給与を支払われる公設秘書が、旧統一教会信者であった事実を示す『動かぬ証拠』として、2023年12月、小泉進次郎会長率いる自由民主党神奈川県支部連合会(以下、県連)に、この写真を提出しました」

 

 山際議員と同じ川崎市高津区選出の小川氏が、A秘書と初めて会ったのは2012年頃。03年に初当選を果たした山際議員が09年の落選を経て、政界復帰を目指して活動を活発化させていた頃だったという。

 しばらくすると、小川氏のもとにA氏が旧統一教会の信者だったという情報が寄せられた。

「自販機の販売をする統一教会系企業の信者がうちに営業に来た際、『信者のAさんが山際さんの秘書として働いているのを知ってびっくりした。子どもが同じ保育園に通っていたから昔から知っている』と教えてくれたことがあります。また、勝共連合の時代に知り合った古参信者からも『支部は違うけど仲間だよ』との証言を得ました。いずれも、安倍さんが亡くなる前後の出来事です」

 

 22年7月、安倍晋三元首相銃撃事件で、自民党の“統一教会汚染”が一気にクローズアップされると、真っ先に集中砲火を浴びたのは、岸田内閣で2度目の入閣をしていた山際議員だった。旧統一教会関連団体イベントに何度も出席し、19年に韓鶴子総裁に面会していた事実まで発覚した。

さらに、22年11月放映のTBS「報道特集」では、秘書のA氏が旧統一教会信者だったことが報じられる。番組を見た後、21年総選挙の際に山際議員の街頭演説取材で知り合った鈴木エイト氏に連絡を取った小川氏は、冒頭で紹介した“純潔デモ”に参加するA氏の写真を託された。

「“統一教会汚染”の膿を出し切り、自民党が生まれ変わるための一世一代のチャンスだ」

 強い覚悟で山際議員と旧統一教会の関係について追及を始めた小川氏だったが、その思いは踏みにじられる。

 

「誓約書を提出したのだから、再調査は必要ない」

 小川氏は山際議員について再調査をすべきだと訴えたが、県連会長である小泉氏の下した結論は、こうだった。

「誓約書を提出したのだから、再調査は必要ない」

 旧統一教会との関係断絶を誓約した書類に署名をしたのだから、問題はないというのだ。

 2023年6月30日、自民党本部は川崎市連、神奈川県連の推薦を受けて、山際議員を新しく編成された神奈川18区の支部長に選任。つまり、今回の衆院選に向け「公認」したのである。一方、統一教会汚染を追及する小川氏の行為は「党の規律をみだす行為」とされ、「2年間の党員資格停止」という処分が下されたのだった。

「山際議員については再調査が必要。小泉進次郎県連会長には、きっと理解して頂けるものと期待していましたが、誓約書をもって不問に付すという判断は、非常に残念なものです。自民党から出ていくべきなのは、私ではなく山際議員の方ではないでしょうか。

 裏金問題も、旧統一教会の問題も、こうした自民党の隠蔽体質が変わらないのであれば、私はそこにはいたくありません。総選挙を前に、自民党の実像を多くの有権者のみなさまに知っていただきたい。その上で下された審判こそ、自民党の未来に繋がると信じています」

 ◇

「 文藝春秋 電子版 」には小川氏の手記「 議員歴25年の自民党県議が証言! 小泉進次郎選対委員長が握り潰した『山際衆院議員の旧統一教会汚染」告発 』が掲載され、秘書のA氏だけにとどまらない山際議員と旧統一教会との関係、そしてそれを小泉氏が不問に付した経緯が詳述されている。


山形市 山形県郷土館・文翔館(重文・旧山形県庁舎・旧県会議事堂)①

2024年10月12日 12時02分46秒 | 山形県

山形県郷土館・文翔館(重文・旧山形県庁舎・旧県会議事堂)。山形市旅篭町。

2024年9月8日(日)。

山形市本町にある山形市文化財展示室(やまがたクリエイティブシティセンターQ1内)見学後、山形城跡(霞城公園)方向へ戻り、最上義光歴史館を見学した。入館無料なので入館者は多いが撮影禁止である。展示は多くない。霞城公園内の駐車場へ戻って山形県郷土館・文翔館(旧山形県庁舎・旧県会議事堂)に向かい、文翔館北側の無料駐車場に着いたのは、12時過ぎだった。

見学途中に玄関に常駐しているガイドから説明を聞いた。山形市は空襲を受けていないので建築物が残っているという。

3階正庁からはバルコニーに出られ、一直線の七日町大通りを眼下に見ることができる。

1876(明治9)年に現在の山形県が成立した後、初代県令三島通庸の手によって明治10年に山形県庁舎が、また同16年に県会議事堂が旅篭町に建設されたが、1911(明治44年)5月の山形市北大火により両棟とも焼失した。ただちに同地で両棟の復興が計画され、1913(大正2)年4月に着手、1916(大正5)年6月に完成したものが現在の旧県庁舎及び県会議事堂である。

旧山形県庁舎。右側面外壁。装飾はアールデコ風である。

旧山形県庁舎。左奥のレンガ建築が旧山形県会議事堂。

旧県庁舎及び県会議事堂は、英国近世復興様式(ルネッサンス・リバイバル建築)を基調とした建物で、 明治以来の様式建築の中でもその正統を継いだ手堅い作風をみせ、大正初期の煉瓦造公共建築として数少ない遺構で意匠的にもすぐれ、県庁舎と議事堂及びそれらを繋ぐ渡廊下が一体となって保存されている点でも貴重である。

設計は米沢市出身の建築家中條精一郎を顧問として御雇外国人として来日した英人建築家ジョサイア・コンドルの弟子田原新之助が担当し、工事は山形県の直営で行われた。

旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外廻りの壁面は山形県産の花崗岩石貼りで覆われている。両翼62.721m、中央の時計塔までの高さは25.149mである。時計塔は、札幌の時計台に次いで2番目に古いもので、銅板飾りの塔屋と重錘式の動力で動く時計が珍しい。

屋根は玄昌石のスレートになっており、石柱、明かり窓、換気塔を施している。

内部の設備や装飾は、リノリウムの床と照明器具、壁や天井の漆喰装飾と木部の装飾など、大正時代初期の洋風建築の特長を伝える貴重な文化財である。

内部は二、三階を吹抜けとした中央階段室を中心に、三階には意匠を凝らした主要室を並べる。 

山形県旧県庁舎は、1975年まで県庁舎として使用されていたが、同年県庁が山形市松波に移転して新庁舎を建設した後、1984年に国の重要文化財に指定された。1986年からは修理工事が始められ10年の歳月を経て1995年完成した。修理工事にあたっては必要な構造補強を行ない、在来の材料と工法で進められ創建当時の姿の復原が図られた。

山形県では、「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」を貴重な文化遺産として保存するとともに、県民の郷土への理解を深め、また本県文化の振興を図るための施設「山形県郷土館」(愛称:文翔館)として活用することとし、1995年10月1日に開館した。

文翔館では、重要文化財としての保存公開を実施するほか、郷土についての常設展示コーナーを設けるなど新たな機能を備え、多目的な文化施設として利用している。

正面玄関。旧県庁舎の玄関はこの建物の2階にある。

中央階段室の玄関を進むと、大理石の柱と3階へと続く大きな階段が目に入る。階段の踊り場にあるステンドグラスには、月桂樹の葉の輪飾りがデザインされている。

中庭。

漆喰飾天井。

山形市文化財展示室②菅沢古墳二号墳出土埴輪 嶋遺跡 双葉町遺跡