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山形市 山形県立博物館教育資料館(重文・旧山形師範学校本館)

2024年10月14日 09時26分52秒 | 山形県

山形県立博物館教育資料館(重文・旧山形師範学校本館)。山形市緑町。

2024年9月8日(日)。

山形県郷土館・文翔館(重文・旧山形県庁舎・旧県会議事堂)の見学を終え、東に進み教育資料館へ向かった。駐車場はあると書いてあったが分からず、正門前まで行くと駐車場の案内図があった。「洗心庵」用駐車場に置いたが、道路側に教育資料館専用スペースがあったので移動した。門が立派な「洗心庵」は蕎麦屋かと思ったが、山形県の庭園文化学習施設という。

資料館の正門から建物に向かうと前庭で若い女性職員が草取りをして挨拶をしてくれた。

重文・旧山形師範学校本館は1901年(明治34)に建築されたもので、ルネッサンス様式の木造桟瓦葺き2階建である。一階と二階の境に巡らせたコーニス(胴蛇腹)にこの様式の特徴が見られる。

全体の構造は左右対称で、中央には1878(明治11)年に創建された旧校舎時計台の名残である塔屋がある。

中央屋根は櫛形で、両端には切妻形の飾り破風を施し、その間には屋根窓(ドーマー)を取り付けてある。一階正面には車寄せがあり、軒下は装飾が多く施されている。

外壁は、下地に竪瓦(たてがわら)型レンガを使用し、その上にモルタルを塗った当時としては画期的な耐火構造になっている。また、廊下や教室の床と天井は斜め板張りになっており、美的効果と筋交(すじか)いの効果を持ち構造躯体の強化にも役立てるなど、建築技術史的な価値も高い。

山形師範学校は、1878年(明治11)9月に山形市旅篭町に校舎を新築し、入学生135名で開校した。明治5年の明治新政府による学制の発布により、文部省は県立師範学校の設置を奨励したが、この方針に初代県令三島通庸が対応したものである。その後、教育制度の変更などにより下記の沿革となる。

1886年(明治19)山形県尋常師範学校と改称

1889年(明治22)初めて女子生徒20名の入学が許可される

1898年(明治31)山形県師範学校と改称

1901年(明治34)現在地(山形市緑町)に新築移転

1943年(昭和18)官立山形師範学校と改称

1949年(昭和24)学制改革により山形大学教育学部となる

1951年(昭和26)山形師範学校が廃止される

1963年(昭和38)施設が山形県に移管され、山形県立山形北高等学校の管理となる

1971年(昭和46)山形北高校の校舎改築により、旧師範学校の本館と両翼の階段室を残して解体される。残された建物は、1973年(昭和48)6月に国の重要文化財に指定され、修理工事を経て、1980年(昭和55)山形県立博物館教育資料館として開館した。

展示室には師範学校当時の教室が活用され、江戸時代から現代にかけての教育に関する資料が展示公開されている。

昭和初期の小学校授業風景再現。

 

14時過ぎに見学を終え、天童市の西沼田遺跡公園へ向かった。山寺立石寺は90年代後半に上に登って見学している。山寺芭蕉記念館が休館中なので立ち寄らないことにした。裏・山寺の峯の浦(垂水遺跡)は旅の後半に見学した。

山形市 山形県郷土館・文翔館(重文・旧山形県庁舎・旧県会議事堂)②3階知事室 貴賓室



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