会津坂下町埋蔵文化財センター。福島県会津坂下町青木字青木。
2024年5月30日(木)。
湯川村の道の駅で起床。会津坂下町埋蔵文化財センターは偶然に知った。国史跡で福島県最大の古墳・亀ヶ森古墳と隣接する前方後方墳の鎮守森古墳を見学するルート確認のため、自宅でグーグルマップで眺めているとルート途中に埋文センターがあることを知り、古墳見学前のガイダンス施設かと思い、訪問することにした。グーグルマップには8時30分開館とあったのも日程消化上都合がいい。ただし、それ以外は9時開館になっている。
8時30分ごろ駐車場に入ると、よくある学校校舎の再利用だった。受付で尋ねると、2階にあると言われた。展示室に入ると、終始女性職員が横で質問に答えてくれた。古墳だけかと思ったが縄文から近世までの埋蔵文化財が展示されていた。会津若松市の福島県立博物館が休館状態だったので会津の古代史を理解する点で参考になった。
会津地方には、古くから阿賀野川(阿賀川)をさかのぼって多くの人や文化の流入があった。盆地西側の丘陵には出崎山遺跡や鍛冶山遺跡など旧石器時代の遺跡がある。
古墳時代になると県内最古級の杵ヶ森古墳(4世紀前半)や県内で最大の亀ヶ森古墳(墳丘の長さ127m)、東北地方の前方後方墳で初めて銅鏡が出土した森北1号墳などがあり、この地に有力豪族が勢力を伸ばしていたことが分かる。また、高寺山伝承が物語るように、仏教に関する文化財が多数存在し、仏教文化が花開いていた。
近世には、阿賀川・只見川を利用した水上交通網とともに陸上交通網も発達し、越後街道の宿場町として発展してきた。
宇内青津(うないあおつ)古墳群は、会津坂下町にある16基の古墳からなる古墳群である。前方後円墳13基と前方後方墳3基が残る全国有数の大型古墳群である。この古墳群の主要古墳のほとんどは前期古墳と考えられる。古墳時代前期を通じて古墳が継続的に築造された地域は、大和などの中枢を除けば列島内を見渡してもほとんど存在しない。