世界遺産・大平山元遺跡。青森県外ヶ浜町字蟹田大平山元。
2022年9月28日(水)。
十三湖周辺から東へ進み、世界遺産・大平山元遺跡へ向かった。
大平山元(おおだいやまもと)遺跡は旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡で、北海道・北東北の縄文遺跡群のなかで最も初期の遺跡であり、旧石器時代の遊動から縄文時代の定住へと生活様式が変化する様子を示す重要な遺跡である。
ガイダンス施設は「大山ふるさと資料館」(外ヶ浜町字蟹田大平沢辺)で至近距離にある。資料館は、旧蟹田町立大山小学校の校舎を利用した資料館である。
大平山元遺跡。ステージⅠa (13,000BCE) (史跡年代 13,000BCE)。
「縄文遺跡群」。1万年以上にわたる定住の発展と成熟。
ユネスコ世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、採集・漁労・狩猟を生業に1万年以上も続いた人々のくらしや精神文化を今に伝える貴重な文化遺産である。
日本列島北部では、ブナ・クリ・クルミなどの森林資源や暖流・寒流が交わる海域が育んだ水産資源を背景に、今から約1万5千年前に定住がはじまった。
その後、1万年以上にわたり農耕に移行することなく、採集・漁労・狩猟による定住を発展・成熟させた。この間、精緻で複雑な精神文化も育まれ、環状列石や周堤墓などの祭祀・儀礼の場も充実した。
17の遺跡で構成されており、6つのステージ、定住の開始(1居住地の形成2集落の成立)定住の発展(3集落施設の多様化4拠点集落の出現)定住の成熟(5共同祭祀場と墓地の進出6祭祀場と墓地の分離)に分けられ、大平山元遺跡は、その最初のステージに位置づけられている。
青森県津軽半島の外ヶ浜町に所在し、陸奥湾に注ぐ蟹田川沿岸の標高26mの河岸段丘上に立地する。サケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くで、石器に適した良質の石材が採取できる場所である。
遺跡からは、旧石器時代の終わりごろの特徴を持つ石器群とともに、土器片と石鏃が出土した。土器片に付着していた炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ、紀元前13,000年頃のものである可能性が指摘された。現在のところ北東アジア最古級の土器である。
大平山元遺跡は、1971(昭和46)年、町内の中学生が拾った石器を契機に青森県立郷土館によって学術調査が実施された。大平山元Ⅰ遺跡と名付けられ、拾われた石器が神子柴(みこしば)形石斧だったこともあって、担当者の想定どおりに無文土器片が見つかり、神子柴(みこしば)・長者久保(ちょうじゃくぼ)石器群に土器が伴うことを明らかにした考古学史上、重要な結果を示した調査であった。
さらに、発掘調査中の住民の情報や踏査によって、大平山元Ⅱ遺跡、大平山元Ⅲ遺跡と遺跡が発見され、続けて学術調査が行われた。
最も古い特徴を持つ土器片は、縄による施文や貼り付けなどの装飾がない無文のものである。重量があり壊れやすい土器の出現は、定住生活の開始を示す重要な要素であり、この土器片は土器の起源を語ることができるもののひとつと考えられている。
土器片の分布をみると、土器を中心とした居住空間を想定でき、柱穴や凹みは認められず、地下への掘り込みも無いことなどから、住居は移動式テントのようなもので、あらゆる建築物や土地の造成を行わず、最小限の土地利用で自然環境に適応した生活を送っていたと考えられる。
現在は民家と民家の間に挟まれた狭い空き地にある。田の近くにあるため、縄文時代には湿地帯のすぐ近くの小高い場所だったとされる。
列島各地との関係性を示す石器が多く見つかる希少な遺跡。
史跡「大平山元遺跡」は、石器の材料となる岩石(珪質頁岩)が採取できる蟹田川の近くにある。後期旧石器時代後半期から縄文時代草創期まで、石器などの特徴の移り変わりを追うことができる遺跡である。
※ 湧別技法(ゆうべつぎほう)
細石刃の作り方の種類のひとつ。北海道北部を中心に本州まで広範囲に見つかる。両面を加工した石器の1側縁を側縁に沿って剥ぎ取るように割り、その割れ面から、短軸方向に向きを変え細石刃を連続的に作る。
旧石器時代の石器などの特徴では、主に関東地方や中部地方で見られる石器、北海道で流行した石器、西日本との関係がある石器などが見つかっている。これらのような日本列島各地との関係性を示す石器が多く見つかる遺跡は、北日本では他に例がない。縄文時代草創期では、無文土器片が見つかり、石鏃(矢じり)や大型の石刃(ナイフの素材)のまとまりなどがある。
ナイフ形石器やいわゆる有樋尖頭器(ゆうひせんとうき)や舟底形の細石刃核(さいせきじんかく)等いくつかの石器群が確認され、県内の旧石器時代解明する大きな成果を得ることができた。
※ 神子柴形石斧(みこしばがたせきふ)
縄文時代はじめの頃の、全体の型は打製、刃の部分だけを研磨するなどの特徴的な石斧。長野県の神子柴遺跡から見つかった石斧に由来。
※ 神子柴・長者久保石器群(みこしばちょうじゃくぼせっきぐん)
縄文時代はじめの頃の神子柴型石斧や石刃素材のナイフ等を特徴とし、土器が伴うこともある。神子柴・長者久保文化とも言う。長野県の神子柴遺跡と青森県の長者久保遺跡に由来。
※ 石刃(せきじん)
旧石器時代を特徴づける、長さが幅の倍以上あるもの。薄く短冊のような形で連続的に作る。割られて残った方は石刃核という
※ 有樋尖頭器(ゆうひせんとうき)
旧石器時代の後半期の頃、主に両面を加工した石槍(尖頭器)の1側縁に沿った縦長の割れ(加工)を作るもの
※ 細石刃(さいせきじん)
旧石器時代の終わり頃に発達し、各地で独特の作り方(製作技法)があるものの、長さ2、3センチ、幅1センチほどの小さな石刃を連続的に作る。割られて残った方を細石刃核という
大平山元遺跡を見学後、津軽半島最北端の龍飛崎に向かった。