非常に多くの人に面倒をかけた。 わたしにより多くの人々が受けた苦痛は非常に大きい。この先、受ける苦痛も察することができない。 余生も他人に荷物となることしかない。 健康状態が良くなく、何もできない。本を読むことも、文字を書くこともできない。 あまり悲しむな。生と死はすべて自然のひとかけらではないか。 申し訳なく思うな。だれも恨むな。運命だ。 火葬してほしい。そして家の近くにごく小さい碑石をひとつだけ残せ。昔から考えていたことだ。 |
盧武鉉前大統領遺書全文↑訳/実物コピー↓ |
ご冥福をお祈りすることに吝かでないが、どうも後味が悪くてならない。 疑惑が疑惑のまま、置き去りにされてしまうことよりも、少なくとも出回っている記事の印象では、韓国人自体が、引退した大統領へのスキャンダル攻勢に、飽き飽きしている観が否めないからだろう。 事件そのものの真相云々以前に、マスコミ報道等の姿勢は、不正を質すと言うより、一線から退いた人間相手だから、少々踏み込んでも問題なかろうというような『ワルノリ』であったような印象も否定できない。 果たして前大統領は、追い込まれたのか? 反転攻勢に打って出たのか?...。
こんな話を引き合いに出すのもどーかとは思うものの、こんなことが起きてしまうと、世界的に見て、金に関して一点の曇りもなし!と言い切れる政治家が、どれほど存在しているのか?と、思わずにはいられない。 近くはイギリスの議員が、便座に至るまで「経費」扱いして問題視されているというニュースがあったが、根っこの部分は、日本の西松事件と何ら変わりはない。 疑惑が持ち上がると、政治家個々の良識やらに訴えようとする割に、違法性の点で考えると、明確な規定がなかったりする...。
違法でなければ問題ないと、迂闊に突っ撥ねたりすると、その印象だけで『世論』と呼ばれる半端な調査結果を武器とするマスコミに、徹底的に叩かれる羽目に陥る。
結果、何が起きたとしても、マスコミに対する責任を追及するような事件には、発展することだけは決してない。 彼等は、調査手法に、どれだけ不備があったところで、結果は結果として、それを論拠に国民を味方につけているのだから...。
世の中に、これだけ出鱈目な暴力が、他にあるだろうか?
恐らく、この事件にしたところで、マスコミが批判の槍玉に上がるようなことだけはあるまい。 形としては、マスコミの提示した『結果』を利用して、現政権が叩いた...ということなのだろうが、これで現政権に対する批判の声が大きくなれば、逆の攻勢に打って出るのは目に見えている...。
情報は、マスコミが齎すものである。 突き詰めて考えれば、マスコミのみが、情報操作を可能とする立場にいる。 マスコミの中立性とその良識について、改めて冷静に判断すべき時期に、至っているのではないか?