
2011年3月13日
大地震は福島県に最悪の事態をもたらした。東京電力福島第一原発1号機は爆発後、天井が崩落、敷地境界では基準値を超す放射線量を記録した。一方、県警によると、震災による県内の死者は12日午後2時現在、116人、行方不明者は502人。県災害対策本部の発表によると、避難者は11万9197人で、大熊町1万1363人、双葉町7243人などが多い。住宅の被害は、全壊705棟、半壊120棟、一部破損1140棟。24万戸で停電している。午後3時半ごろ、ドーンという爆発音が福島第一原発からあがるとともに、白煙がもくもくとあがり始めた。約40年にわたり、大きな事故もなく運転を続けてきた第一原発の信じられない姿だった。
煙が見えたのは、原子炉建屋とタービン建屋の間付近だが、原子炉格納容器が壊れたかどうかはすぐにわからない。福島市内で取材に応じた東京電力幹部は「どういう原因で起きて、どういう影響をもたらすのかは精査しなければならない」と答えるのが精いっぱいだった。ただ、爆発によって社員数人が負傷したことだけはすぐに判明した。
12日は時を追うごとに、第一原発の状況が深刻さを増していった。東京電力は原子炉の水位を保つ懸命の作業を続けたが、午後1時半過ぎには燃料棒が人の背丈ほど水面から露出してしまった。
その後も炉心融解の恐れが伝えられるなど、緊迫の度は増すばかり。県幹部は「燃料棒が露出したことは尋常でない事態。国と事業者の責任において最善の策を講じてほしい」と強く求めた。
爆発はそれからまもなく発生。被災の様子を伝えるテレビ画面からは、大きな白煙をあげ続ける福島第一原発の姿が映し出され続けた。
原子炉で万一の事態が起きても、運転を「止める」、原子炉を「冷やす」、放射能を「閉じこめる」という何重もの防護が原子炉の安全を保つ。原発立地地域の人たちは、国や東京電力からそう安全性を説明され続けてきた。
しかし、そうした防護策が次々と破られ、爆発の事態に。十分な情報がないまま、避難場所を転々とした立地地域の住民は言葉を失った。
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