ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

doironご先祖ヒストリーかも2

2021-08-15 21:00:53 | 日常

学校で、ここは土器を発掘してるんや
と言う話を聞きました。
土器のそばには石器もあったりしたそうです。

そんな公園で子どもの頃、
ここを流れる川で遊んでいたら、
これが土器やあという
土の塊をひらったりしたし、
川の底にはとんがった石が
落ちていたりしたのは、
今思えば石器のかけら
だったのかもしれません。

そうしてみんなで遊んでいた田んぼも、
あちこちで掘り返されるようになり、
僕らの遊び場もどんどん
変になっていってがっかりした
記憶もあります。

そして起こった大事件。

そんな掘り返しのなかで、
大きな井戸の後なんかも見つかったし、



巨大な宮殿のような建物跡を
見つけたころには、
その地もかなり変わった感じになりました。
もう愚かな私たちはここで
遊べないなあという雰囲気になって、
近づかなくなった頃には、
どんどん公園として整備されていきましたね。

やがてここに外周路ができるぞ
と聞いて、ん?どれくらいの長さかなあ。
ランの練習に使えるかなあ
なんて考えるような、
doironもそんな年頃になっていたのです。

いま、こうして池上曽根遺跡と
なっている公園は、
直前はdoiron達の遊び場であり、
水のいっぱいひかれた
田んぼ地帯だったのに
大きく変わりましたねえ。

水路にはフナなんかも結構いて、
子どもの頃は魚とりなんかもしたし、
ザリガニなんかもたくさんいたのにねえ。
生き物は一気に減りましたが、
doiron達の遊び場のひとつは
こんな風に公園になっていったのでした。

この公園のファミリーヒストリーですね。

それからも発掘は公園の片隅で続き、
大きな宮殿跡があったりしたので、
偉い人が住んでいたのでは
ないかといわれるようになりました。

もしかしたら、卑弥呼がここにいた
なんて言う説もあるそうです。

doironは卑弥呼の子孫なんていう説も・・・。

そうして弥生人の村、田んぼ地帯、
doiron達の遊び場という過去を持つ
この公園を抜けて、
じゃもともと公園ルーツはどうだったのか、
どんなふうに繁栄してきたか、
それを展示しようとしている
博物館にいよいよ到着です。

家からあるいて5分くらいなんですが、
その間に2000年もの
歴史を鑑みながら歩いてきたわけですね。



博物館の中に入っていくと、
観光バスが二台止まっています。

フロントガラスの表示を見ると
どこかの小学校のようです。
ウヒャー、うるさいかなあ
と不安になりつつも、
せっかくですから入ってゆきましょう。

こどもらの動きを避けて見学しましょう。

入り口で入館券を渡し、
入ってゆきます。

幸い、小学生の団体は、
一般展示場の方にいますので、
これはチャンスです。

一般展示場は腐るほど見ました。
卑弥呼の人形もいますし、
弥生時代の犬の人形も置かれていますよねえ。
そして床にはこのあたりの
航空写真が貼られており、
ああここが自分の家やあって
いつも確認してしまいます。

子どもたちがそんな展示に
興味を示している間に、こっちは
目的の企画展の方を見ておきましょう。

まずは遺跡発掘の経緯が書かれています。
先程書いた発掘の歴史と自分の年代が
重なってゆきますねえ。

そして掘り出されたものが並んでゆきます。

これは占いに使われた鹿の角。



そして骨のペンダントや
いのししの牙の飾り。



また木で作った鳥など
祭礼的なものも多くありました。



そして見つかった土器の中には
建物の姿が書かれたものもあり、
いまある宮殿の元になっています。

そして見つかった土器の中で、
驚きだったのがなんと
「龍」の姿が書かれた壺でした。



続く


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