高野街道を歩いていて、
気になったのは高野マキが
家に植えられていることが
多いということともう一つ。
地蔵の足元や常夜灯の近くに置かれている、
若干緑色の置き石が多いようだ。
そうこの紀ノ川沿いは、
日本最大の広域変成帯とされ、
低温高圧型の変成岩が多く分布するところ。
中央構造線が通るところですねえ。
このあたりでは緑色をした
板状の石が産出され、
それがかさ上げや簡単な構造物の
支えに使われていることが多いようです。
う~ん、ブラタモリだったら
もっとしっかり解説されるんでしょうけど。
高野マキと緑色の緑色変性岩?
この二つがこの街道の
印象にかかわっています。
あ、そうそうも一つ気になることがありましたね。
道端に常夜灯がよくあることです。
でもこれは堺からずっと歩いているときにも
そんな印象はありましたね。
国道に並行して続く高野街道を、
歩いていると、ずっとここを
歩いてきた人々と街道周りの
信心深い人々のほんのりした
人のつながりがこの常夜灯から感じます。
やがてコースは、
「御幸辻(みゆきつじ)」という
場所に到着してゆきます。
なぜ御幸辻というか、
これは西高野街道の本にこう書かれています。
「上皇や法皇あるいは女院が外出することを御幸、
天皇が外出するときは行幸ともいわれるが、
この御幸辻の御幸は法皇の高野参詣をいい、
かつて幾人かの法皇がここを通ったので
この名前が残されたのであろう」
と書いてありました。
ふむふむ、まあありがたそうな名前ではありますね。
少し寄り道して、
御幸辻の駅の方までいってみましょう。
寄り道とはいえ、この道は
高野街道の学文路に至る近道なんだ
と書かれた石がその交差点の
ところに立っています。
これです。刻んであるのは
「高野道かぶろ村へ出る近道あり。
日本最初 子安帯解 田和地蔵尊
従是十三町 易産山地蔵寺」という文字。
その地蔵寺の横を通り、
JRの紀伊山田の駅を越えて
学文路に降りてゆく道があるそうです。
まあ地蔵寺の宣伝だけでなく、
高野に参る人にも来てもらおうという
意図が見えますね。
しばらく歩いて行きますと、
南海高野線の御幸辻の駅に出ます。
立派な駅ですね。
このあたりの地名は和歌山県橋本市なんですが、
大阪で仕事をする人たちが多いそうです。
難波まで一直線だしね。
なのでまあ、郊外の環境を求めて
やって来た人も多く、
利用する人もきっと多い駅なんでしょう。
そしてこの駅の裏側には、
橋本市最大の公園である
「杉村公園」もあります。
駐車場も整備されていて、
ここに駐車すれば紀ノ川から
よく見える三石山に登れるそうです。
旅は新たな旅へとつながってゆきます。
これはまた次の課題としましょう。
では駅から高野街道に戻ってゆきます。
歩いてゆきますと、
今度は牛頭天王社が鎮座しています。
ここの樫の木が、枝と枝でつながっており、
縁結びおよび人と人のつながりを
強める神徳がある表れ
であるというらしい。
へ~と思って読んでいるときです。
doironの耳を、震わせるように
樫の木から実が落下し、
大音量で案内版の鉄板を
カココココーンと鳴り響かせたのです。
これは神様の答えですね。
友達は大事にしないとねえと、
高野街道で教えられました。
では少し山から下りてゆくようにして、
橋本の市街地へ向かう
高野街道へと戻っていきます。
このあたりからコースの横に
橋本川が大きく広がって
流れるようになってきました。
交通量のかなり多い国道を、
その川に沿って気持ちよく
進んでいきます。
続く
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