天王寺の地下街でおなかを膨らせたら、
天王寺駅に戻ってゆきましょう。
天王寺駅の周りにはグルリンと
1周回れる道があります。
地下の食堂から地上に上がり
ハルカスの方にまわってゆきます。
天王寺駅を少し過ぎたところで、
駅の上に架かる小さな歩道に出ます。
それを歩いて渡ってゆきましょう。
ここからホームの屋根が見えますね。
ここにもいろいろ秘密があるんでしょうねえ。
上から見えている線路とかあれば
おおわれている線路もある。
あ、なんか二か所緑を植えている
屋根がありますねえ。
屋上緑化?
そしてその歩道橋を渡ったところにある
このコンクリートの壁が、
かなり古くからある駅の壁なんだそうです。
見る人が見たらとても感心する
壁なんだそうですが、
こんなところに落書きするやつも
いるんですねえ。
許せませんね。
そうして駅の地下道を抜けたら、
天王寺駅一周ですね。
さあではここからまた電車に乗って、
次の目標駅である美章園駅を
目指しましょう。
美章園は天王寺の次の駅ですね。
実はdoironと阪和線との付き合いは
結構長いのです。
小学生の頃におふくろに連れられて
デパートなんかに行ったころからだと、
もう60年の付き合いになりますね。
なので阪和線の駅は
どこも降りたことがある駅ばかりですが、
記憶の中ではこの美章園駅だけは
一度も降りたことがないのです。
なのでそういう意味でも
この駅の探索は期待大です。
そもそも高架の上にあった駅なんですが、
その歴史は大変古いです。
高架になったのは1929年。
そこに1931年に新たに作られた駅だとか。
ここは高架の周囲に鉄骨系支柱を
組みその上にホームを作った駅です。
なんか対岸のホームも
ちょっと頼りない構造にみえますね。
高架の上に無理から設置した駅
という感じはこの写真からも
うかがえます。
そして駅の中身をいろいろ見てみます。
この駅の歴史を証明するものの
ひとつとして、見つけたのが、
駅のホームの柱に張られた
一枚の財産票のプレートです。
それによると、この柱は鉄でできていて
昭和6年すなわち1931年に
設置されたものであることがわかります。
駅の歴史と一致しますねえ。
で、ふとホームの端を見ると
男の人が一人ぽつんと立っています。
これは鉄男君か世の中をはかなむ男性かの
どちらかです。
じっと見ていましたら、
電車が通過するときに、
カメラを構えて撮影しています。
ああ、これは鉄男くんに間違いありません。
他にもあちこちでよく写真を
撮りまくっている若者が
いたりしますから意外に
多いんでしょうねえ。
あとで調べたら、この阪和線の
電気の線を通す架線柱に古いのがあって、
このあたりに立っているそうなんで、
それと電車との撮影とかしてたのかなあ。
残念ながら、それが新しいのか
古いのか、doironにはわかりません。
美章園の駅の中はこんな感じです。
では初めてこの駅の改札から出てゆきましょう。
かなりの急傾斜の階段がついています。
降りたところが改札で、
外へ出てみると、高架の線路の下には
家のようなものが並んでいるのかがわかります。
住んでいるんでしょうねえ。
また反対側の高架下はこんな感じで
鉄骨が駅をささえています。
かなり大胆な構造ですねえ。
高架下を歩いて行くと、
こんな慰霊碑もありました。
昭和20年2月14日の空襲で
駅に爆弾が落ち、駅の職員及び
旅客十数名が犠牲になったという慰霊碑です。
駅の周りの盛り土の部分や
この架線柱は被害を受けているようです。
初めて降りた美章園駅の周りは
とってもレトロな雰囲気でした。
続く
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