ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

阪和貨物廃線跡を追う3

2021-11-15 21:06:39 | ウォーキング

阪和貨物の線路跡を追っています。

杉本町を出て、
しばらく街中を走ってから、
大和川に出ます。
そしてその堤防下を線路跡は
東進してゆきます。
いよいよ場所的には天見西と
矢田地区を結ぶ大和川の
行基大橋というところに出てきました。



河原に沿ってかなり広い公園が作られています。
大和川東公園と言います。



堤防に沿ってかなり広く作られていますねえ。
公園の端の方を見に行くと、



う~んこれが阪和貨物跡かなあ。
空き地は多いのですが、
線路跡がはっきりしません。

実は空き地のこの広さが、
この先の堤防の状況を物語っているのです。



公園を歩き、しばらく行くと
大和川に大きな橋が架かっています。



この橋が「下高野橋」といい、
松原市の天美から大阪市内に
わたってくる橋です。
なぜこんな名前かというと、
わかりますよねえ。

「下高野街道」といわれる街道筋に
架かる橋だからです。

大阪市内を抜ける高野街道のひとつで、
堺市内で西高野街道に合流する
という道です。
まあ言ってみれば最近よく歩いている
高野街道のひとつですね。
高野に参る人々の大切な道のひとつでした。



その橋のたもとを抜けても
公園は広く河川敷に沿って続きます。



気持ちいい散歩道ですね。
でもここもまた線路跡はよくわかりません。
堤防の道はかなり交通量も多く、
阪神高速松原線がないころには、
大阪市内に行く大切な道路でした。



その堤防道路には、大和川の
看板が立っていますね。



あっ前に線路が見えてきましたよ。
濃い茶色と白の電車が走っています。



近鉄南大阪線の大和川の鉄橋ですね。
doironも飲み会があったりするときには、
この電車で通っていました。



でもなんか雰囲気が違っているなあ
と思ったら、退職後にこの鉄道橋は
建て替えられています。

確か水害で被害を受けた
からじゃ無かったかなあ。

その線路を踏切で渡ると、
河川敷の様子がガラッと変わります。



河川敷の上にはまっすぐな道が一本走り、
堤防は巨大に広く大きくなっています。

そうここの堤防は路線が廃止された後に
巨大に埋め立てられています。

いわゆる「スーパー堤防」に
なっているのです。
河川の氾濫除けになったりしています。
なので、線路跡もどうなっているのか
よくわかりません。
堤防を降りて行っても、
巨大な草が大量に生え線路跡なのか、
埋め立てられた堤防の空き地なのか
よくわかりません。
なにせこんなまっすぐな道の横に
通っていた阪和貨物の線路ですから、
埋め立てられていなかったら
線路跡もまっすぐ続いていたはずですが、
痕跡はありません。

痕跡はないのですが、
何となく堤防の坂道がまっすぐの
斜面ではなくいびつな形をしていますから、
それがこの線路跡の痕跡なのかもしれません。

まあこの辺はあまり
よくわからなかったところです。



それにしてもここの河川はまっすぐですねえ。
だから線路もひかれていたんでしょうねえ。
大きな河川だとグニャグニャと
蛇行していると思うのですが、
都合よく異常にまっすぐです。

そうそれもそのはず、
大和川自身も大きく付け替えられた河川で、
このあたりはその付け替えられた部分なんです。
だから、まっすぐに流れているんですね。

JRの線路がついていた部分が、
この辺は松原市の土地でした。
なのでJR、当時の国鉄から
お金が振り込まれていて
当時の歳入に組み込まれていました。



向こうに見渡せる対岸も当然松原市のエリアです。



なんか広いグランドがありますね。
あれは「大和川西青少年運動広場」です。
松原市のマラソン大会や
防災訓練が行われたところでしたね。

続く


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