黒澤明の『夢』を見て
金澤ひろあき
夢は不条理なものであるから、美しいものも恐ろしいものも、不可解なものも含んでいる。
かと思うと、現実が出てくるものもある。
古い映画だが、黒澤明の『夢』を見直した。「こんな夢を見た」で始まる七つの話をつないだオムニバスである。
狐の嫁入りを見て、狐を怒らせた話や桃の精に会う話。文明を批判・拒否して生活する水車のある村などは、映像が美しく何回も見たくなる。
と同時に重いテーマもある。東京にいる市民が爆発した原発の放射線に追い詰められて行く話、核戦争後、生き残った人間が鬼になる話など、世界を破滅させる危険を予見している。
これらの重い話の後で、「水車のある村」の美しい明るい生き方をラストに置く。どんなに苦しくとも、最後に救いや希望を見出したいという願いもあるのだろうか。
確かに、夢と違い俳句は基本的に不条理の世界を描かない。現実をベースに描いて行く性質のものであろう。しかし、それだけになおさら、現実の危うさやそれを越える希望を描けるのではなかろうか。
『主流』NO、651に、
片陰をあるく俳句に何ができるかと 田中陽
私も同じ悩みを考え続けている。色々な答えが出てくる。その時、この黒澤映画のことを思う。現実を描く。予見する。希望を持つ。そして、それらの中に美を見出す。口語で描けるものを描く中で実践したい。
また、同じ号で印象深かった句がある。
死んで神さまと云われるよりも人間をかえせ命をかえせ 暉峻康瑞
「死んだ」というよりも「死なされた」人の本当の思いだろう。死んで神さまになった人達、例えば軍神などがある。日本の神は自然神以外に、偉大な人物や非業の死を遂げた人への慰霊で祀られているものがある。慰霊だけでなく、時の権力が「神さま」を利用することも、歴史で繰り返されてきた。
死んで神様にされた人達の本音は何だろう。神になれて嬉しいのか、それとも「平和にもっと生きていたかった」なのか。危うい世界で生きている私達にとっても、過去の話、他人事ではない。
夕陽折れているコロナ禍の無音 野谷真治
現在、コロナと戦争が突き付けてくる不条理。どんなことが起こり、そしてどう生き延びてきたか。カミュのように書いて伝えて行くべきだと思う。この句の「夕陽が折れ」と「無音」がなまなましい。
確かにコロナは収まりつつあるという。町には人出が回復しつつある。しかし、コロナはなくなったわけではない。コロナによって引き起こされた問題もまだ続いている。コロナは格差や分断、少子高齢化など、もとからあった問題をさらに増幅させてしまった。カミュも『ペスト』の中で書いている。「病は無くなったわけではない。じっと潜んでいて、いつかまた人類に不幸と教訓をもたらすのだ」と。
法事終わり小鳥が水を飲みに来る 鈴木瑞恵
私もこの四月に父を亡くした。大切な人を失った直後は、日常から切り離される思いがした。
私の場合、あわただしく日常へ戻ったが、この句の筆者の場合、小鳥がそっと気を遣うようにやってくるのに気付いている。
日常が戻ってくる。それは悲しみを癒す静かな日々であってほしい。小鳥という小さな命が、そのきっかけとなっている。

金澤ひろあき
夢は不条理なものであるから、美しいものも恐ろしいものも、不可解なものも含んでいる。
かと思うと、現実が出てくるものもある。
古い映画だが、黒澤明の『夢』を見直した。「こんな夢を見た」で始まる七つの話をつないだオムニバスである。
狐の嫁入りを見て、狐を怒らせた話や桃の精に会う話。文明を批判・拒否して生活する水車のある村などは、映像が美しく何回も見たくなる。
と同時に重いテーマもある。東京にいる市民が爆発した原発の放射線に追い詰められて行く話、核戦争後、生き残った人間が鬼になる話など、世界を破滅させる危険を予見している。
これらの重い話の後で、「水車のある村」の美しい明るい生き方をラストに置く。どんなに苦しくとも、最後に救いや希望を見出したいという願いもあるのだろうか。
確かに、夢と違い俳句は基本的に不条理の世界を描かない。現実をベースに描いて行く性質のものであろう。しかし、それだけになおさら、現実の危うさやそれを越える希望を描けるのではなかろうか。
『主流』NO、651に、
片陰をあるく俳句に何ができるかと 田中陽
私も同じ悩みを考え続けている。色々な答えが出てくる。その時、この黒澤映画のことを思う。現実を描く。予見する。希望を持つ。そして、それらの中に美を見出す。口語で描けるものを描く中で実践したい。
また、同じ号で印象深かった句がある。
死んで神さまと云われるよりも人間をかえせ命をかえせ 暉峻康瑞
「死んだ」というよりも「死なされた」人の本当の思いだろう。死んで神さまになった人達、例えば軍神などがある。日本の神は自然神以外に、偉大な人物や非業の死を遂げた人への慰霊で祀られているものがある。慰霊だけでなく、時の権力が「神さま」を利用することも、歴史で繰り返されてきた。
死んで神様にされた人達の本音は何だろう。神になれて嬉しいのか、それとも「平和にもっと生きていたかった」なのか。危うい世界で生きている私達にとっても、過去の話、他人事ではない。
夕陽折れているコロナ禍の無音 野谷真治
現在、コロナと戦争が突き付けてくる不条理。どんなことが起こり、そしてどう生き延びてきたか。カミュのように書いて伝えて行くべきだと思う。この句の「夕陽が折れ」と「無音」がなまなましい。
確かにコロナは収まりつつあるという。町には人出が回復しつつある。しかし、コロナはなくなったわけではない。コロナによって引き起こされた問題もまだ続いている。コロナは格差や分断、少子高齢化など、もとからあった問題をさらに増幅させてしまった。カミュも『ペスト』の中で書いている。「病は無くなったわけではない。じっと潜んでいて、いつかまた人類に不幸と教訓をもたらすのだ」と。
法事終わり小鳥が水を飲みに来る 鈴木瑞恵
私もこの四月に父を亡くした。大切な人を失った直後は、日常から切り離される思いがした。
私の場合、あわただしく日常へ戻ったが、この句の筆者の場合、小鳥がそっと気を遣うようにやってくるのに気付いている。
日常が戻ってくる。それは悲しみを癒す静かな日々であってほしい。小鳥という小さな命が、そのきっかけとなっている。
