京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

フリー句(自由連句)「雨季終わる」の巻

2023-06-29 08:00:59 | 俳句
フリー句(自由連句)「雨季終わる」の巻
雨季終わる朽ちた戦車の笑い声    青島巡紅
魂なのか飛び交う蛍         金澤ひろあき
ランドセル行き交う道の木々の笑み  巡紅
夏休み計画話す晴れ間です      ひろあき
楽譜に書いてない皆んなの音に溶ける 巡紅
田んぼの中でオタマジャクシがダンスして ひろあき
沢山の魚嘴にぶら下げ巣穴に戻るツノメドリ 巡紅
お土産をまつ顔ほっこり目に浮かぶ  ひろあき
一直線に海目指す小亀達の危機一髪  巡紅
偶然の波の力で生き延びる      ひろあき
1/625の確率で地球衝突の可能性ある2023DW 巡紅
*2046/02/14バレンタインデーの宇宙からのサプライズ。2023DWは、そういう地球近傍天体の名前の一つで、本命トップ。
蝸牛殻の渦巻きぶつからず      ひろあき
初恋の人の隣ドキドキして寝られない 巡紅
どうやって愛をささやく蝶の舌    ひろあき
もう一度走ってもあの日の手には届かない 巡紅
勉強のはずが漫画を三時間      ひろあき
飛燕草浮気心か飛ぶ姿        巡紅
謝罪文文字美しいと評判に      ひろあき
メスティン裏向けて蒸らす夕暮れ   巡紅
足の裏が覚えている朝から歩いた道  ひろあき
六十代ドレミで肺痛いトロンボーン  巡紅
ウェットでスローなジャズにアレンジする ひろあき


西院の裏路地 三

2023-06-28 13:05:34 | 俳句
西院の裏路地 三
        金澤ひろあき
 少し面影の残る路地を歩いていると、三十年前のことがよみがえってくるのですから不思議です。
 この路地で、こんなことがありました。冬のさなか、ショートパンツで素足の女の子が、思い詰めた顔で立っていました。一番寒い時に素足で、しかもかなり思い詰めた表情だったのです。しばらくすると、路地のさらに奥に行ってしまいました。
 その後また戻ってきた時、男の子と連れ立っていました。幸せそうな表情でした。寒いけれど、彼のためのコーディネートだったようです。あの二人、結ばれたのかな、などと思います。
 また、こんなことも。狭い路地から、男の子が自転車で突っ込んで来たのです。その頃、私は健康のために太極拳を習っていました。自転車が突っ込んで来た時、自然と体が太極拳の型のような動きをしたのです。どう考えても不思議なのですが、私は飛ばされず、突っ込んで来た自転車が止まり、乗っていた男の子が痛がっているのです。今も何が起こったのか、分かりません。
 あの頃出会った人達、元気にされているのかな。
  つぎはぎの記憶の地図を呼び覚ます ひろあき




西院の裏路地 二

2023-06-26 20:56:21 | 俳句
西院の裏路地 二 
                  金澤ひろあき
 同じアパートに住んでいた人は、まず高齢の男性。身寄りがないようでした。
 若い会社員の男性も一人で暮らしていましたが、忙しいらしく、夜遅くに帰ってきてそのまま寝るという生活でした。この人は大家と喧嘩して出て行ってしまいました。
 六畳、四畳の二間に小さな台所、トイレと言った間取りでしたので、一人暮らしの人が多かったのです。一部屋だけ家族で住んでいて、子供は小学生、奥さんがよく洗濯機を回していました。たぶん他の家の洗濯もしていたようです。どういう事情かは、分かりません。
 私と同じ年齢ぐらいの女性が一人。猫と一緒に暮らしていました。彼女とは話もしました。繊維工場に勤めていました。ある政党の熱心な支持者で、勧誘したり、機関紙を買わそうとするので、居ないふりをすることもありました。
 夜中に私の部屋に入ろうとするので、お断りし、会うのは昼だけということにしたのです。不服そうでしたが、守ってくれました。
 その彼女の部屋に、知り合いと思われる若い男が訪ねて来たこともありました。
「こんな夜中に迷惑ですから、帰ってください」と言って、男を入れませんでした。二人の間に何があったのでしょう。
 短夜のカーテン越しのささめごと ひろあき


西院の路地裏

2023-06-26 14:04:35 | 俳句
西院の路地裏
                金澤ひろあき
 一
 用事があって西院へ行きました。京都市の西大路四条を西院と呼びます。平安の頃は京の西の果てだったようですが、今は交通が便利なので、人が多いです。
 二十代の終わり頃、二年間西院に住んでいました。表の四条通りから一筋入った路地でした。その頃は、四条通りから少し離れると田畑がありました。その中にテニスコートや免許講習所があったりで、それだけ広い土地が残っていたのです。
 三十年以上経って、風景が変わっていました。田畑が無くなり、家やマンションになっています。かと思うと、古い家が無くなり、駐車場になっています。私が住んだアパートは、地元の農家が広い庭を利用して建てた木造モルタルの二階建てで、その当時から年代物でした。風呂がついてなく、銭湯を利用しました。夏は暑く、冬は寒かったですね。
 そのアパートは、もうありません。大家さんが畑でできた茄子や胡瓜をくれたりしたのですが、その畑も無くなっています。家も建て替えていて、最初は分からなかったのです。
  大家より籠に一盛り茄子胡瓜 ひろあき
 あの二年間、私は定職が無く、高校の講師をして、なんとか生きていました。行った高校に、口語自由律俳句をされている先生がいて、その縁で俳句をやり始めたのです。それまでは一句も書いたことがなかったのです。それまでは、中国の宗教史研究をしていたのですから、人生大きく変わったものです。
 町も変わりましたが、私も変わりました。