祐さんの散歩路 Ⅱ

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・ 日本が自滅する日 第1章第1節 誰も知らない日本国の予算

2015-05-03 23:27:37 | 石井紘基


昨年6月に刺殺された元民主党議員であった石井紘基氏の事を知りました。闇の世界から命を狙われるほどの事がなんであるのか興味を持ち、いろいろと情報を探している最中に、石井紘基氏の著書の一部がネット上に出ていることを知りました。
一部で利権のために動いている官僚や政治屋がいるとは感じていても、どのくらいの規模で利権の獲得に夢中になっているかは分かりません。そのことに、国会議員の調査権を活用し、鋭く切り込んでいったのが石井紘基氏ですね。ここまで調べ上げたのはすごい力です。その凄さに命を抹殺しようと影の力が働いたのでしょう・・・・・今回は第1章の第1節を掲載します。
以下、ブログ阿修羅さんより一部を転載します。


日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)
  投稿者 たけしくん 日時 2009 年 8 月 17 日 11:35:50: IjE7a7tISZsr6
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614140/asyuracom-22



第一章 利権財政の御三家 ― 特別会計、財投、補助金

第一節 誰も知らない日本国の予算

 本当の予算額は二六〇兆円
われわれはこの章においては、わが国の政官一体の利権システムを台所で支える財政の仕組みについてみることにしよう。利権システムを財政の面から支えている財政制度は、特別会計と財政投融資計画、そして補助金である。

これを私は「利権財政の御三家」と呼んでいる。政官権力はこの 「御三家」を使って、財政的に特殊法人や認可法人、公益法人を支え、増殖し、天下り、巨大な権力ビジネスを展開する。これこそ経済・財政を根底から犠牲にする国をあげての利権システムの要である。

まず、図表1-1によって、この国の財政をめぐる資金の流れをみておこう。
財政の第一の枠組みは、表の顔である「一般会計」だ。平成一二年度でいえば、税金と借金(国債発行)を主な財源として八五兆円を集める。それを社会保障や公共事業、教育、防衛などに使う。その使い方を別の角度から分類してみると、図のように、特別会計への繰り入れが五一・六兆円で最も多い。補助金等も二一・二兆円に達している。

財政の仕組み

図表1-1 財政の仕組み(資金の流れを中心に:平成12年度) (単位:兆円)


通常、国の予算というと、この一般会計のことをいい、マスコミもこれしか報道しないが、じつは「特別会計」と呼ばれる裏の予算があり、こちらのほうが規模ははるかに大きいのである。特別会計については次節で詳しく説明するが、国が郵政とか道路整備とかといった特定の事業を営む場合や、厚生年金保険のような特定の資金を保有してその運用を行う場合につくることができる、一般会計とは別の会計のことだ。

その特別会計がいま三八もあって、それらの歳入を合計すると三三六・五兆円、歳出を合計すると三一八・七兆円にもなる。ここに入ってくるのは、揮発油(ガソリン)税のような税金もあれば、厚生年金の保険料もある。一般会計の四倍もの規模をもつ、この特別会計こそが”財政の横綱″なのである。

この国の財政にはもう一つ、他の先進国には見られない 「財政投融資」という大きな枠組みがある。詳しくは第三節で説明するが、私たちの郵便貯金や簡易生命保険の保険料、年金の積立金を集めて、それを特殊法人に融資したり、国債や地方債を引き受けたりしている。その規模が平成一二年度の計画段階では四三・七兆円だった。

これら三つについては通常、一般会計を第一の予算とみなし、財政投融資を「第二の予算」ということが多いが、それはことの本質をみていない。規模の点でも、実質的な意味でも、特別会計こそ第一の予算であり、財政投融資はそれに次ぐ第二の予算、一般会計は単なるたてまえ予算といっても過言ではないのだ。

また、これら三つの枠組みの問では、たとえば一般会計から特別会計に資金が繰り入れられたり、財政投融資で調達された資金が特別会計に繰り入れられたり、相互に複雑な資金のやり取りが行われている。そしてその財政資金がさまざまなルートを通って地方自治体に流れたり、特殊法人・公益法人に流れたりし、さらには関連企業に流れて、この国の”管制経済”体制の動脈を形成しているのである。

それではわが国の本当の予算はいくらなのか。これをはじき出すためには「一般会計」と「特別会計」から、複雑極まりない出入りや二重三重の重複部分を除いた数字を算出しなければならない(さらに正確には財政投融資会計との関連においても集計しなければならないが、それは不可能に近いほど複雑であるので、ここではこの関係を捨象する)。

まず平成一二年度の一般会計予算は八五兆円である。
次いで平成一二年度の特別会計の概要をみると、(歳入)の単純合計が三三六・五兆円であり、そのうちの重複分(一般会計、他の特別会計から入ってくる分)は一九二・三兆円である。つまり、重複分を差し引いた総計は一四四・二一兆円である。

これに対して(歳出)は単純合計が三一八・七兆円であり、その内の重複分(一般会計、他の特別会計へ出ていく分)は一四三・三兆円である。つまり、重複分を差し引いた総計は一七五・四兆円となるわけだ。

ここで重複分というのは、歳入であれば、国債整理基金特別会計に一般会計から入る二二兆円や、地方交付税として交付税及び譲与税配付金特別会計に入る一四・九兆円などを指す。歳出であれば、一般会計へ繰り入れられる印紙収入一・二兆円や、重量税〇・八兆円などを指す。

以上の通り、一般会計の歳出が八五兆円、一般会計との重複分を除く特別会計の支出が一七五・四兆円であるから、わが国の歳出における財政規模(=年度予算額) は二六〇・四兆円ということになるのである。



 税収二二年分の借金大国
つぎに、二一世紀初頭におけるわが国の借金について見ていきたい。「平成一三年度末で国と地方を合わせた借金は六六六兆円になる」とよくいわれる。この数字は、旧大蔵省が平成一三年度予算案を編成したときに発表した「国および地方の長期債務残高」に示されている。国債や長期借入金など国の長期債務が五〇六兆円、地方の長期債務が一八八兆円、重複分二八兆円を差し引いて六六六兆円というわけである。

しかし私にいわせれば、この数字は債務を長期に限るなど過小評価である。そこで、財務省、総務省などで把握されているデータに基づいて推計してみた。それによると少なくとも、わが国の借金は六六六兆円などというものではない。実際には一〇〇〇兆円を上回っていると思われるのである。

まず国の借金について、財務省が平成一三年六月二五日に出した「国債および借入金並びに政府保証債務現在高」に示されている数字は図表1-2、他方、総務省が把握している地方債の平成一一年度末の現在高は図表1-3の通りだ。
国債などの債務残高


二つの図表に示された国の借金と地方の借金を合計すると、(若干の時期的ズレはあるが)ざっと七八〇兆円となり、これだけでもすでに六六六兆円をはるかに超えている。 政府の六六六兆円という計算には、特殊法人の借金の一部を保証している「政府保証債務」と恒常的な調達資金である「政府短期証券」、さらに地方の公営企業分の一部を含めていない。

だが、特殊法人の借金残高は、第二章の特殊法人の項でも述ベる通り、年々歳々大幅な増加を続けている。しかも、特殊法人の経営構造はほぼ例外なく赤字体質で、莫大な欠損金を政府補給で埋めている。

さらに、若干の資産はあるものの、それらは売却しても今日までの政府出資金にも到底満たないことと合わせて、現実には行政による社会資本整備部門の資産評価は論外というべきであるから、現在、特殊法人(認可法人も同様)が抱えている借金は事実上、国の借金なのである。特殊法人と認可法人が積み上げてきた借金残高は、財投からの二五七・三兆円を含め計三四四兆円である。

なお、特殊法人の借金のうちの一部は「政府保証債務」に計上されており重複するので、この分は特殊法人の借金から除く。また、「政府短期証券」は外貨資金証券や食糧証券などの資金繰りに使うお金であるが、恒常的にある借金である。

これらの借金のほかに、一般会計と交付税特会のやりとりの中に隠れた借金がある。財務省の試算では五兆円前後ということだ。 以上、わが国の長期・短期の借金総額ははっきりしているだけでも一〇六六兆円超となるのである。これは国税収入の二二年分に相当する。

中には、この借金の一部に見合う資産があるので、借金は実際には、もっと少ないかのごとく吹聴する向きもある。しかし、それは後述するようにまやかしであり、正真正銘、わが国は一〇〇〇兆円以上のマイナス勘定である。

また、約一四〇〇兆円の個人金融資産(国民の預貯金等)があるではないか、とする見方もあるが、これは国のものではなく国民のものである。しかも、この数字には、国民が将来受けるはずの社会保険給付分なども含まれている。さらには住宅ローンなどの負債もあるのだから、実質的な個人金融資産はこの半分程度しかないのである。

わが国の財政が想像を超える恐るべき事態に直面していることは、国債の状況を見ればさらに明らかである。平成二一年度に返済しなければならなかった「国債償還額」は五七兆七五七九億円で、じっに、当年度の税収入を一〇兆円も上回っている。

なぜ収入以上の借金返済をクリアできるのかといえば、借金返済のための借金に併せて返済繰り延べのための借金操作もしているからにはかならない。五七兆七五七九億円の国債償還額のうち、五三兆二六九七億円は借替債の発行によって返済が先送りされているのである。それに上乗せして新たな国債発行による借金の積み増しも行われている。政府は、三四兆五九八〇億円の新規国債発行を行った。一方、国債整理基金特別会計に入れられた国債費は二一兆九六五三億円。このうち九兆九〇〇〇億余円が償還に、一〇兆余円が利払いに、残りが手数料などにあてられた。一日当たりの利息等は三〇〇億円超となる。借金返済のための借金、そして新たな借金である。

ところが、「借金のための借金」 のほうは特別会計という襖の奥で操作され、目立たないようになっている。



 自分の借金を自分が引き受ける自家撞着国家
日本政府の国債発行残高は、世界に類例を見ない四四〇兆円(平成一三年度末、図表1-4)という巨額に達している。しかもその過半は発行者である政府自身の関係機関が所有しているという恐るべき実態だ。

日銀の資金循環統計(図表1-5) によると、国債の時価総額は四二四兆円であり、そのうち政府機関財政融資資金(特別会計、以下特会と略す)が、七六・六兆円郵貯や簡保(特会)が六一・三兆円、(国家機関である)日銀六〇・七兆円その他で計二一四兆円を保有している。全体の五〇・五%である。つまり、国債発行残高の半分以上は、じつは国自身がかかえているのである。

国債


さらにこの統計では、事実上の政府機関である農林中金が所有する国債(七兆五七三七億円)は、「市中金融機関」に分類されていると思われる。同様に特殊法人(以下(特)と略称)年金資金運用基金、(特)簡易保険福祉事業団など四二の特殊法人が財投資金で運用委託している分(約一八兆三九〇〇億円、図表1-6参照)は、「証券投資信託」や「証券会社」などの分類に含まれているはずである。

国債を保有している特殊法人


そうだとすれば、国の機関の保有高は、さらに(特殊法人と農林中金の保有分を合せて)約二六兆円も増える。したがって、実質政府関係機関の保有高は二四〇兆円、五六・六%になる(国債総額の数字に、財務省の資料と日銀統計で相違があるのは、財務省は発行残高、すなわち簿価で、日銀の数字は時価評価額となっているからである。ちなみに、財務省資料はあくまで発行残高を表したものである。たとえば、「財政融資資金」の四三・九兆円は発行した金額であり、同じく「財政融資資金」であっても日銀統計の七六・六兆円は、財政融資資金特別会計が保有している国債額である)。

一方、民間が保有する国債においても、銀行や証券会社のものは、必ずしも自主的な市場原理による保有とはいえない。旧大蔵省の強い指導・監督下にあり、その子会社といわれた市中銀行や証券会社は、国債を買ったのではなく、否応なく割り当てられたといってよい。

このようにわが国は、際限のない借金財政の結果、市場の許容範囲と返済能力をはるかに超える、とてつもない規模の借金の証文を出し続けたため、自分で自分の足を食わなければならない事態に陥った。いまや足から胴体へ、胴体から心臓へ、自分の口が伸びている。心臓に触れるのをむりやり緊急避難したのが日銀の国債買い切りオペ (本章第三節) であった。しかし、もはや、そうした問題先送りの悪循環も限界にきた。

わが国の、洪水のように溢れ出した国債は、定まらない構造改革によって、日本列島を倒壊の危機にさらしている。国債の暴落ももはや一触即発の段階に入ったといってよい。国債の暴落によって長期金利が急上昇すれば、市場が失われた官制経済国家日本は、ひとたまりもなく経済恐慌に直面してしまう。この日本崩落を防ぐ道は、意を決した、正しい構造改革、すなわち市場経済革命しかないのだ。


 この国のバランスシートはできない
大蔵省(現・財務省)は政府の指示に従って平成一二年一〇月一〇日、「国の貸借対照表(試案)」なるものを発表した。これによると、公的年金を除く負債の合計は六三八兆円であるのに対し、資産総額は六五八兆円となっている (公的年金については、三通りの試算を示しているが、ここではそのうちの「案一」によって、公的年金が一五三兆円の預かり金をもっているとした)。

これを見る限りにおいては、資産が負債を上回り、バランスしているように見えるが、この「バランスシート」には大きな問題点がある。

第一に「資産」評価にどれほどの意味があるかという点である。まず、貸付金(二六八兆円)と投資等(三九兆円) の大半は、資金運用部、郵貯、年金などの財政投融資から出ている特殊法人や地方公共団体、公益法人に対するものである。これら貸付金や出資金の大部分は実際にはすでに消えてしまっているものが多く、とても簿価によって資産に計上できる性質のものではない。

またそれ以前に、特殊法人、公益法人については本質的に行政との関係があいまいであるため「国のバランスシート」に載ってこないという問題がある。他方、特殊法人等の財務、経営実態に手を伸ばせば、それが基本的に投資による収益事業であるがゆえに、国の財務の範囲を逸脱することにもなるという矛盾を含んでいる。このため「バランスシート」に載せられないのである。

あるいは、道路や国有林、建造物、土地、公共設備等についても売却できないものを資産といえるのか。建設費や投下予算額をもって資産価値とすることに意味があるだろうか。むしろ国民の目をあざむくものである。基本的に営利事業ではなく清算を前提としない国の財務に関して「資産」を計上することはばかげている。

わが国には外国に売却できそうな地下埋蔵資源のようなものは、きわめて少ないうえ、人的資源や技術などは国家が自由にできる財産ではない。ましてや、個人の金融資産などをあてにするなどは論外である。つまり、わが国の貸借対照表には貸方(資産)はほぼないといってよいのである。借金の額がそのまま国の資産状況を表し、国民の負担の重さを表すのである。

第二に、国の負債に関しての問題である。「バランスシート」では国の債務を(公的年金分を除いて)六三八兆円としている。しかしこれには、特殊法人等の借金の他に地方公共団体の借り入れが含まれていない。地方公共団体が財政破綻に直面した場合には再建団体として国の財務管理に移行する建て前から、地方の債務を国の借金にカウントすべきである。

特殊法人についても行政上の法人である以上、破綻に際して基本的に私的責任を追及することはできない。したがって、特殊法人等の借金も当然に国の借金である。しかも、繰り返し述べているように、この借金は返済がほぼ不可能なものである。


 「企業会計」の導入と「長期予算論」は危険
第三に、国の会計のあり方の問題である。そもそもわが国政府は憲法違反を犯し、法律に反した財政運営を行っている。憲法第八三条は「国の財政を処理する権限は国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」と謳っている。

しかし、国の一般会計予算から特別会計、特殊法人などへ年間約三〇兆円も投資されており、この財務については現実には国会の与(あずか)り知らぬところとなっている。特別会計における〝公共事業″などの事業予算・箇所付けについても国会を素通りして決定されているのである。一方、財政法第二条は、国の会計についてその 「現金主義」を定めており、企業会計における「発生主義」と明確に異なる概念に立っている。つまり、営利を目的とする企業会計においては、期間損益計算を行うため「発生主義」がとられているのに対し、国の予算・決算は損益計算を目的とするものではないから「現金主義」となっているわけである。併せて憲法第八六条と財政法二条は予算・決算の単年度主義を定めている。

そもそも国の予算とは、税収の範囲内ですべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し、「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」 (憲法第二五条) のための配分を行うものであって、税収を収益事業に投下することを目的とするものではない。国には費用と収益の対応関係は基本的にあり得ないので、企業会計の原則で費用を把握することは不可能である
と同時に、誤りなのである。

したがって、旧大蔵省がいうように「国において企業会計と同様に損益計算を行う場合には、本来伝達されるべき会計情報が伝達されない、あるいは歪められた形で提供される」 (「国の貸借対照表」)ということになる。旧大蔵省がいいたいのは、わが国の財政は、現実には特別会計や財政投融資で多くが動いているにもかかわらず、国の損益計算では、それが出てこないのだから
「バランスシート」は矛盾なのだ、ということである。

この指摘は正しい。憲法や財政法は、資本主義に立脚し、国には投資・収益事業を予定していないのだから、企業会計のようなバランスシートを作ったところで意味をなさないのである。

最近国会の審議などで 「企業会計」を導入すべきだとか、予算の単年度主義を改めるべきだといった議論が増えている。また、「行政評価法」も俎上(そじょう)に昇り“公共事業”を含めた事業評価を行うという傾向が強まっている。政府の投資活動としての公共事業が常態化したからだ。

これらの動きは公共事業のあり方とともに行政の原則を踏みはずすものであり、断固排斥されなければならない。むしろ反対に行政による投資活動としての “事業” や開発をなくし、行政事務を基本とする財政に戻ることこそ必要なのである。



 決算せずに予算を組む国
わが国では、税金の使い方や配分には血道を上げるが、その金がどう使われたか、つまり、決算にはほとんど無関心である。すなわち、わが国の決算は二一世紀になったというのにまだ平成九年度までしか行われていない。平成一〇年度分の委員会審議は、ついに平成一四年に持ち越しというありさまなのだ。つまり決算がなくても予算が組める、決算の結果が予算に影響を及ぼさない国会では四年前の決算が行われなくても何ら不都合はない(!)、というのがわが国の現状なのである。

また、わが国には一応、会計検査院という機関がある。補助金や交付金など国の予算が不正に使われていないかを検査する建て前だが、実際には使い途を決める各省庁に対してほとんど口出しできない足し算引き算の間違いや水増し支出などを捜し出す程度で、幾多の議員の“口利き”や利権による不正支出や無駄な“政策”をチェックする力はない。強制権限もなく、比較的細かな不正を「指摘事項」などとして公表するのみだ。

これには財政や法律、政策を各省庁が所管し、権限も握っているという要因がある。予算の多くは省庁が持つ特別会計、事業法、事業認可などの権限に基づいて“合法的”に執行されるため、問題があっても、その限りでは不適正といえないのである。

また、九〇〇人程度の調査官では、調査対象の補助金交付団体等が七万団体近くあるのだから、とうてい十分な検査もできるわけがないうえ、族議員が群がる他省庁に比して補助金の配分先を持たない会計検査院には利権の手がかりもなく、わが国政界から見向きもされない存在なのだ。私が仲間に呼びかけて「国民会計検査院」を設立したゆえんである。

企業経理では、こんな監査制度はありえない。企業では監査役による監査が義務づけられており、監査役がなれ合いの監査ですませていると背任に問われることも珍しくない。国税庁などの監視の目も光っている。経理上の不正や不当支出が見つかれば、すぐにフィードバックして、その不正の芽を摘むというのが、企業経理の原則だろう。

国の決算がお座なりにされている理由はただ一つ、税金の本当の使途を国民に知らせることができないからなのである。ご承知のように、予算委員会ではもっぱら政策論議やスキャンダル追及が主で、予算そのものについての具体的な議論は少ない

これにはさまざまな要因があるが、根本はわが国の財政制度に問題があるのだ。わが国の財政制度は行政権力による“事業”展開の体系として各省庁が所管する「特別会計」を軸に構成される。その中で歳出については大半が「補助金」 であり、それは行政権限による配分の形で決められる。

年間予算二六〇兆円のうち「一般予算」として提出されるのは八〇兆円余であり、それも大半は「特別会計」に繰り入れられ、省庁による箇所付けに付されるため、予算は事実上、決して憲法の定めるように国会で決められているとはいえないのである。国会で決めるのは単に抽象的な「予算」 に過ぎない。「予算」支出の中身は省庁(官僚) が与党の指示や族議員の意向などを考慮して決めるのである。

この節で示したようなわが国の全体予算の総額については、私が指摘するまで国会で議論されたことはなかった。国の主たる予算に浮上した「特別会計」についても、その実態については語られたことすらほとんどないのである。もっぱら予算といえば「一般会計」で論議されてきた。 しかし、「一般会計」はまさに“大本営発表”以外の何ものでもなく、実際の国の会計とはまったく異なるものである。

このような“カモフラージュ (迷彩)”された 「一般会計」を重要な予算として示すのは国民に対する欺瞞(ぎまん)であるし、これを真に受ける議員も議員である。

なんと、わが国の国会やマスコミ、学会のほとんどがこの“大本営発表”にマインドコントロールされてきたのである。このように、わが国では予算の実態がわからない仕組みであることが、予算委員会をはじめとする国会の議論で予算審議が空回りしている原因の一つである。


第一章 第一節 ここまで

 

・ 安倍首相の“赤っ恥”訪米

2015-05-03 00:42:12 | アベシ政府


アメリカの議会で演説をするのは日本の首相としてはアベシが初めて・・・・・しかし、それは形だけのことのようです。決してアメリカ政府が、わざわざ準備をしてくれたものでは無く、単に議会からの要請であって、その演説内容についてはアメリカ政府よりくぎを刺されているようです。以下日刊ゲンダイより転載します。



安倍首相の“赤っ恥”訪米…演説には注文、国賓級も形だけ
2015年4月29日

ハーバード大で講演


オバマ大統領との日米首脳会談を終えた安倍首相は日本時間の30日夜、上下両院合同会議で演説を行う。日本の首相が合同会議で演説するのは初めてとあって、鼻高々らしいが、ちょっと待ってほしい。この演説を巡っては米高官が中身に注文を付けるなど、「内政干渉か」という騒ぎになっている。安倍首相が舞い上がっている演説で浮き彫りになったのは、安倍首相の危うさと情けなさだ

安倍官邸は今度の訪米と議会演説に並々ならぬパワーを注いできた。イスラム国による人質事件で注目を集めたイスラエル国旗と日の丸に挟まれて行った記者会見も、「イスラエルに恩を売り、米国議会におけるユダヤロビーに議会演説を後押ししてもらうための布石だったんじゃないか」(国際政治筋)なんて見方もあるほどだ。で、合同会議での演説が決まり、安倍官邸は得意満面だったのだが、そこからが誤算続きだ。米国から演説の中身について、注文が相次いだ

スピーチライターの谷口智彦・内閣官房参与が訪米し、駐米大使と一緒になって、根回しに奔走することになったという。アジア・アフリカ会議での演説も“予行演習”の位置づけで、米の反応などを見て、本番は最終調整するというから大変だ。

そこにもってきて、24日にはローズ米大統領副補佐官が訪米前の記者会見で、「米国は安倍首相に歴史問題に建設的に取り組み、地域でよい関係をはぐくんで緊張を和らげるように働きかける」と踏み込んだ。

首相の訪米直前に米政府高官がこうして釘を刺すのは極めて異例のことで、在米の日本人ジャーナリストは「ここまで安倍政権がナメられているとは思わなかった」と驚いていた。早大客員教授の春名幹男氏はこう言った。

「米国がいかに安倍首相に不信感を抱いているかがわかりますね。議会演説は議会の招待なので、行政府は直接関与できず、何を言うかとヒヤヒヤしているところがあるのでしょう。韓国を刺激するようなことを言われたら、米国議会の場を利用されたことになり、メンツがつぶれてしまう。それで、ますます警戒しているのだと思います。安倍首相の訪米は国賓級待遇ということになっていますが、オバマ大統領と顔を合わせるのは首脳会談と晩餐会だけ。議会演説という場は与えるものの、厚遇は形だけであるのがわかります

 恥をかきに訪米しているようなものだ