かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
この「日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ」が、日本で初めてその作品づくりを現実に実現したものです。ぜひ、すべての作品がわずか3分間以内で読み切ることが出来る、さまざまな人間ドラマを描いた短編小説の数々をお楽しみください。
僕のふるさと。母のふるさと。
村の子供でたったひとりだけ、三輪車を買ってもらえずに、母を恨んで泣いた場所。
唐草模様の風呂敷を、鞄代わりに背負って、裸足で学校へ通った場所。
父が、農作業中に吐血して肺結核で入院したのをきっかけに、我が家から昨日まであった笑い声が、シャボン玉の泡のようにすべて消えてなくなった。
そして今度は、父の闘病生活が長引くにつれ、入院費や借金の肩代わりになって、我が家から家財道具や灯りが消えて、まるで我が家は人が住んでいない空き家のようになった。
母は働いた。
朝から晩まで働いた。
女手ひとつで、家族を守るために働いた。
母の一日は、四人の子供と祖父母の二人を含めた家族の世話から始まり、父の看病、農作業、担ぎようの山菜採り、薪拾いと、息つく間もないほどの、重労働の毎日だった。
そんな母の、家族のために苦労している純朴な気持ちに逆らい、貧乏が嫌で嫌でたまらなくて、まだ中学校の卒業式も終えないうちに家を飛び出した僕。
あれから三十余年。
僕にも家族ができ、母の気持ちが少し判るような年齢になった。
だから・・・きっと素直に言えるのかもしれない。
「長い間、家族の生活を守るために働きどうしで、本当にご苦労様でした・・・」
そして、「母ちゃん、僕を産んでくれてありがとうと・・・」と。
母が泣いた。
僕が泣いた。
お盆休みが終り、明日上京する夜のことだった。
「あと何回、私が生きている間に、セイちゃんの顔が見られるのだろうね?」母の涙ながらの問いかけに、「一年なんか、アッという間じゃない・・・・」と、最初は笑い飛ばして陽気に振舞っていた僕だった。
だが、母の顔や手に死にボクロ多さが目に入るや否や、もしかしてもう会えないのでは?と、変な予感が頭をよぎった。
その瞬間、そこにはそんな痛ましい母の姿に、もらい泣きしている母の子供の僕がいた。
僕と息子が実家を発つ朝。
やはり、母のことが気になっていたのだろう。
タクシーの後部座席のガラス越しに、何気なく後ろを振り返ったときだった。
「足が痛いから、もう外まではもう見送りには行かないからね・・・」と言っていた母が、苦労しすぎて腰が直角に曲がった身体をまるめ、無理やり杖をついて立っていた。
一歩も動かず、立っていた。
いつまでも、いつまでも立っていた。
僕はとっさに窓を開け「母ちゃん、母ちゃん」と大声で叫んだ。
僕は泣いた。
年甲斐もなく泣いた。
今、自分が息子や運転手と一緒に、タクシーに乗っていることも忘れて、当たりかまわず泣いた。
やがて、母の姿が朝の眩しい太陽に日差しの中に、吸い込まれるようにして小さくなって、視界から消えていった。
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