在りし日のM茂さん。鹿教湯温泉病院祭で一緒に演奏しようと誘われて何年か通わせてもらったっけ。
ウチが鎌倉の時、逗子の時も行った。黄色いフィットの時、赤いフィットの時も。
神奈川県から長野県上田市は一人では、かなり運転のしがいがある。それでも鹿教湯までウクレレ持って
アンプ持って行った。行かずにはいれなかった。ハモニカとウクレレとギターでO3(オゾン)というユニットを
組んでいた。ギターのT砂くんは元私の部下で、おっさんグループに無理やり引き込んだけど、いい奴だ。
M茂さんが鹿教湯温泉病院に入ってリハビリしていたが、私の印象では少しづつ手足が麻痺している様子
だった。上の11年前の彼の写真にリンクを貼った10年前の動画では、
それでも立派に”真夏の果実”を吹いている。この時私は、前にもましてハモニカが吹きづらそうなのに、
手が動かない分、身体を動かしたり唇を動かしたりして最後まで曲を吹く姿に胸が熱くなった。
上の動画はM茂さんと鹿教湯温泉病院祭に行って演奏した時のもの。この3ケ月前にはあの東日本大震災で
そりゃ大変な思いをしたのに、5~6時間かけて長野県の鹿教湯温泉に行くまでM茂さんも私も回復している。
しかしながら、この3年後の2014年3月13日にM茂さんは、大好きだった鹿教湯温泉病院で亡くなっている。
3月15日には上田市でK村部長や私他僅かな人に見送られ、荼毘に付され壺に入って東京に帰って行った。
私は一人上田に残って、翌日、鹿教湯温泉病院他を訪ねて在りし日のM茂さんを偲んだのだった。
彼の正式な葬儀は骨になって東京に戻ってから、改めて日を選んで行われた。
吞兵衛で、いい加減で、だらしなくて、山や自然が好きで、ハモニカが好きで、女性も好きで
でも仕事やるときは徹夜でもやり遂げて、やってないような顔をしていた。
だから仲間や部下に慕われていたM茂さん。今更ながら寂しいよ。