今日は『振袖火事の日』、すなわち明暦の大火があった日です。
明暦3(1657)年1月18日、江戸城天守閣のほか、数多の大名屋敷や市街のほとんどを焼き尽くす大火事が発生しました。
これにより亡くなった人の数は10万人以上にもおよび、江戸時代最大の火事と言われています。
当時の江戸は前年から数えて80日近くも雨が降らず、カラッカラに乾いていたそうです。
その日は、北西からの強い風が吹き、砂ぼこりが舞い上がって人の往来もまばらな日でした。
午後2時ごろに本郷丸山の本妙寺から出火した火は瞬く間に広がり、江戸の町を焼き尽くしました。
その焼失面積はおよそ26平方キロメートルとも言われていますが、桁が違いすぎて想像できませんね😅
ちなみに鎮火したのは、一昼夜以上も経った20日の午前だったとか。
これほど大きな災害となったのは、江戸が連続した市街へ発展していたからだと言います。
そしてこの後、幕府は区画整理のために建築制限令を公布したり、避難路として両国橋を架設、火元になる燈明を持つ神社仏閣を中心部から移転、道の拡張や広場の設置などを行いました。
この復興計画により江戸の町は大改造され、1700年代に入ると人口100万人という大都市に成長したのです。
さて、明暦の大火が『振袖火事』と呼ばれるのは、とある因縁話があるからです。
「とある商家の娘が、偶然見かけた若衆に恋いこがれるが、恋叶わず死んでしまった。
彼女の紫ちりめんの振袖は、古着屋を介して2人の娘に渡るが、どちらも手に入れて間もなく亡くなった。
縁起が良くないとして、振袖は1月18日に本妙寺で供養のために火をつけられた。
すると突如吹いた強風にあおられて、火がついたままの振袖が宙に舞い、本堂に燃え移った。
この火が次々に辺りへ飛び火し、江戸中を焼き尽くす大火の原因となった」
というものです。
恐ろしや恐ろしや。
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