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斎藤4連投で早実初の夏制覇…執念で駒苫田中打ち崩す

2006年08月21日 23時53分59秒 | スポーツ
 「クールな剛腕」斎藤が4試合連続2ケタ奪三振となる13奪三振、118球完投で、早実に深紅の優勝旗をもたらした。第88回全国高校野球選手権大会最終日は21日、前日に延長15回引き分けとなった駒大苫小牧(南北海道)-早稲田実(西東京)の決勝戦再試合が行われ、早実が4-3で駒大苫小牧に逃げ切り、27度目出場で悲願の初優勝を果たした。先発は駒大苫小牧が菊地、早実は4連投の斎藤。1回に早実が先制すると、駒大苫小牧は早くもエース田中が登板。序盤から前日に続く両投手の激突再現となった。昭和44年の松山商-三沢以来、37年ぶり史上2度目の決勝引き分け再試合。駒大苫小牧は73年ぶり史上2校目の夏3連覇を逃した。

 クールな鉄腕が、マウンド上で喜びを爆発、涙を見せた。先発斎藤はどこまでもタフガイだった。1回、1番・三谷を遊ゴロ、2番・三木を左飛に抑えると、前日に2安打された中沢を迎えた。カウント2-1から真ん中低めに沈むスライダーで空振り三振に仕留める。これが斎藤の奪三振ショーの始まりだった。

 前日、あれほど1点を取るのに苦労したのに、この日は早々と早実が得点した。前日に続き先発した駒大苫小牧の2年生右腕・菊地から1回、先頭の川西が四球を選ぶ。内野安打、四球などで2死一、三塁のチャンスにチーム一の10打点を叩き出してきた勝負強い5番・船橋が、中前に弾き返し先制点を奪った。

 ここで駒大苫小牧は、エース田中がマウンドへ。試合前、香田監督は「田中は疲れがまったくないというわけではない」と話していたが、いきなり迎えたピンチは、エースに託すしかなかった。迎えた7番・斎藤との対戦に場内は大歓声。左直で、田中はピンチをしのいだ。

 しかし2回、内藤の四球などで2死二塁とすると、1番・川西が左翼線へ二塁打を放ち2-0とリードを広げた。

 この日の試合前、早実・和泉監督は斎藤の回復ぶりに驚いていた。「3回戦から4日連投になるのは心配だが、斎藤は思ったほど疲れていないという。強い体を持っている」。前夜、肩や腕へのはり治療のほか、疲労回復に効果があるとされる酸素カプセルに入り、体力回復に努めた。今春のセンバツ以降、スタミナ強化を図ってきた自負があった。

 2回には先頭の本間篤を142キロ速球で見逃し三振、田中も見逃し三振だ。7回までに4試合連続となる2ケタ奪三振の圧巻だった。

 駒大苫小牧に6回、左中間本塁打、9回には2ランを浴び、1点差に詰め寄られた。

 「なんとしても、優勝旗を東京に持ち帰りたいんです」と話していた早実・和泉監督の執念がナインを奮い立たせた。

 大先輩のソフトバンク・王監督を励ましたいとの思いが強かった早実が、深紅の大優勝旗を手にした。

 早実・斎藤投手の話「(早実の先輩)王さん、荒木さんも達成できなかった夏の大会で優勝できて、とてもうれしい。とにかく、仲間を信じて投げ抜いた。(駒苫の)田中は、ぼくたちの世代では最高の投手。でも、負けないように投げようと思いました」


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 再試合は、早実に理想的な試合展開となった。駒大の先発投手を打って先取点。さらにエース田中からも追加点。

 エース斉藤がピンチでタイムリーを許さない見事なピッチング。誤算はやはりHRだった。試合内容ではほぼ圧倒していたが、スコアでは4-3だった。

 もちろん、苫小牧も良く戦った。お互いのチームががっぷりと組んだ、いい試合だった。

 とにかく今大会は他の試合も含めて、とても見応えのある試合が多かった。打撃戦で大味が試合が多かったが、それを締めくくる決勝戦は見事な投手戦だった。
 今大会はすっと自分の心に刻まれると思う。

【早実エース斎藤】2つのリベンジ

2006年08月21日 10時29分33秒 | スポーツ
 球史に残る死闘再び-。第88回全国高校野球選手権大会は21日、夏3連覇がかかる駒大苫小牧(南北海道)と夏初制覇を狙う早実(西東京)が、昭和44年の松山商(愛媛)-三沢(青森)以来、37年ぶり2度目の決勝戦引き分け再試合で激突。今大会最大の注目株となったのが、早実の右腕エース、斎藤佑樹だ。端正なマスクでファンを魅了し、連投を重ねてきた鉄腕。斎藤の「気迫」を支えるのが2つのリベンジだった。

 大会規定により延長15回、1-1で引き分けた20日の決勝戦。延長15回表2死走者なし、マウンド上の斎藤が、駒大苫小牧の4番で主将の本間篤に投じた直球は147キロ。球場全体がどよめいた。最後は133キロのフォークで三振に仕留めた。

 この勝負、斎藤にとっては、昨秋の明治神宮野球大会準決勝のリベンジでもあった。同試合で初回に2点を先制した早実は、斎藤が5回まで無失点に抑えたが6回に同点とされ、続く7回、本間に二塁打を浴び逆転を許すなど、3-5で敗れた。

 斎藤は試合後、本間と携帯のメールアドレスを交換し、互いに夏の甲子園での再会を誓い、地区予選中から甲子園出場決定までエールを送り続けてきた。甲子園組み合わせ決定後は、「決勝戦での対戦を心待ちにしていた」という。

 しかも、延長15回の最後のバッターが本間。燃えない理由はない。クールな斎藤をして、打ち取ったあと「ヨッシャ」と叫んだのは、そのときのリベンジともいうべき会心の三振に打ち取ったからでもある。

 そして、斎藤にはもうひとつ、過去の自分へのリベンジがあった。今春センバツ2回戦の関西戦、延長15回の末に引き分け再試合。翌日勝利をものにして次の日、3連投となった準々決勝の横浜戦は3回6失点と打ち込まれて敗戦。そのときの自分に勝つためには、「優勝まで全試合、ひとりで投げ抜く」(斎藤)しかなかった。

 まさか、決勝戦再試合で4連投は想像しなかっただろう。試合後、「まいったなあ」と思わず口にしてみせた。

 マウンド上ではポーカーフェースを通し、相手に表情を読ませない。ポケットにきれいに折りたたんだ青いハンドタオルで汗をふきとる。タオルは母、しづ子さん(46)に買ってもらったもので、本人は「ゲン担ぎ」という。インターネット上では「ハンカチ王子」と名付けられた。マスコミにもその姿が注目されたせいか、決勝戦ではわずか数回使っただけだった。

 そのスタイルと甘いマスクから「クールな剛腕」とも呼ばれる。「意識して始めた。男なんで気持ちでは絶対に負けたくない」。白川捕手にいわせれば、「戦略」だという。

 20日の決勝戦を観戦した父、寿孝さん(57)は、「昔はあんなクールではなかった。早実に入ってから、それも2年秋にエースになってから顔つきが変わった」と明かす。クラスメートが「授業中もまったく表情を表に出さず、疲れた顔も居眠りするところも見たことがない」と話すほど、斎藤は「気持ち」を内に秘める。

 それもこれも、昭和32年春のセンバツでエースとして優勝した偉大なOB、ソフトバンクの王貞治監督と優勝して肩を並べるため、同55年準優勝したエース荒木大輔投手(現西武投手コーチ)を超えるため。高校野球の歴史を斎藤が塗り替える。


ZAKZAK

 早実エース斉藤と駒大苫小牧の本間の二人の勝負にはそういういさつがあるとは知らなかった。