昨日、産経新聞の朝刊を開いてアレッ? と思い、そうか先週で終わったんだった、と気づくと同時にがっかりした気持ちになりました。
23年間にわたって産経新聞の水曜日の朝刊に連載されていた、曽野綾子さんのコラム「透明な歳月の光」は、先週の第843回をもって終了していたのでした。
ふいに城山三郎さんの著書「そうか、もう君はいないのか」を思い出し、それは愛猫を失くした直後、帰宅して昨日までそうしていたように「ただいま~」と声をかけ、その姿を探した後、現実を思い出して胸の奥がしんとなる気持ちにも似ていました。
いつもそこにいる、いつもそこにあると思って安心していても、すべてはある日突然、姿を消して手を触れることさえ叶わなくなってしまう現実を今まで何度か経験してきたけれど、終わりや別れは何度経験しても淋しいものです。
けれどすべてに終わりがあるように淋しさや悲しみにも終わりがある、別れに涙しても笑顔の出会いもまたある、帰りに曽野綾子さんの本を買って帰ろう、そう思って顔を上げて満員電車に乗り込むのでありました。
23年間にわたって産経新聞の水曜日の朝刊に連載されていた、曽野綾子さんのコラム「透明な歳月の光」は、先週の第843回をもって終了していたのでした。
ふいに城山三郎さんの著書「そうか、もう君はいないのか」を思い出し、それは愛猫を失くした直後、帰宅して昨日までそうしていたように「ただいま~」と声をかけ、その姿を探した後、現実を思い出して胸の奥がしんとなる気持ちにも似ていました。
いつもそこにいる、いつもそこにあると思って安心していても、すべてはある日突然、姿を消して手を触れることさえ叶わなくなってしまう現実を今まで何度か経験してきたけれど、終わりや別れは何度経験しても淋しいものです。
けれどすべてに終わりがあるように淋しさや悲しみにも終わりがある、別れに涙しても笑顔の出会いもまたある、帰りに曽野綾子さんの本を買って帰ろう、そう思って顔を上げて満員電車に乗り込むのでありました。