中野笑理子のブログ

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春の嵐

2018年02月28日 | 日記
まだ風もそんなに強く吹いていませんでしたが、外は嵐の前の静けさならぬ、春の嵐の前の生あたたかさ、といった今日の夕暮れでした。
寒くないのはありがたいけれど、どんより雲った生あたたかさというのは少し不気味な予感がします。

今日も今日とて病院へ寄り、雨風がひどくならないうちになんとか帰宅出来ました。
母ももうすぐ退院して家に帰って来る予定ですが、今まで通り実家でひとりという訳にはいかず、夜は私が泊まり込みすることになります。

そして近いうちに同居することになると思いますが、また引っ越しかと思うと気が重い。
特に3月4月は進学や就職や転勤で、引っ越し業者の手配がつかない引っ越し難民が多く発生しているという話を聞いたばかり。
しかも普通の転居と違って、まず実家での断捨離を決行して、今の自宅の家財を入れるスペースを作らなくてはいけない。
どう頑張っても今の自宅にあるものすべてを持って行く訳にはいかないし、考えただけで頭が痛くなりそうです。
退院後の介護ベッドや車椅子(外出用と室内用の2台)の手配は済んだとホッとしたのも束の間、どんな生活になるのか具体的な想像が正直出来ません。

そんな今日でありましたが、帰りに立ち寄ったスーパーに桃の花があったので、衝動的に買ってしまいました。
今週末は桃の節句、そして桃の花には魔除け厄除けの不思議なパワーがあるそうです。
何かにすがりたい気持ちだったのかもしれません。

さっそく生けました。
少しずつ良い方向へ行けますように。

ビックリしたなぁ、もう

2018年02月27日 | 日記

夕方、会社を出て今から母の病院へ行くと夫の携帯に連絡すると「あんなぁ、鞄ないねん」エッ?!
夫はお昼に病院へ母の着替えを持って行ってくれていたのですが、自宅の最寄り駅に着いて鞄がないことに気付いたとのこと。
病院に忘れたのかと電話したけど無いとのことで、今から逆戻りでたどって行って探してみる、と言うのです。

いやいや、忘れ物センターへの電話と警察への届けが先でしょ。
自宅から病院までは私鉄をふたつ乗り換えてバスで行くので、とりあえずバスと電鉄会社の忘れ物センターへ電話するように言うと、どこへ電話して良いのかわからないという返事。
スマホで調べたらすぐにわかるのにと思いながらも、こっちで調べた方が早いと調べてすぐにLINEで送りました。
病院行きを中止して、急いで家に帰ると最寄りの交番へ行ったけど無人で帰って来たとのこと。
そしてまだ、駅まで歩いてもう一度逆戻りしてみると言うのです。

この人、大丈夫かしら?!
かばんには財布や免許証やクレジットカードも入っているのに、何を悠長なことを言っているのだ。
夫曰く、電鉄会社やバス会社の忘れ物センターに電話したけど無いと言われたから、もう一度探しに行くと。
よくよく訊いてみると、病院に着いた時はあったかばんをいつどこで失くしたのかハッキリわからないとのこと。
病院を出てバスに乗った時はあったのかと訊いてみても、う~んと唸っています。
ハッキリ覚えてもないのに、どこへどう探しに行くつもりなんだ、この人は!

もう一度交番へ一緒に行ってみましたが、やはり無人。
交番の中の「無人の時はこちらへ」という番号へかけ、何度目かでやっと出てくれて電話で届け出は無事済みました。
家に帰って再度、バス会社へ電話しました。
バス会社も路線によって管轄が違い、一番に出ていた番号にかけると、停留所の名前を言ったとたん「うちじゃありません」と言ってガチャンと切られ、また違う営業所へかけるとそこも違っていましたが今度は管轄の営業所の番号を教えてくれました。

三度目の電話で乗車した停留所と時間やかばんの特徴を言うと、「届いています」とのこと。
良かった~と思うと同時に横でじっとしている夫を見て、だんだん腹がたってきて。
どうしてパッパとこういうことができないのだろう。
そして電話したと言うけれど、本当にちゃんとかけたのか?

憮然としている私に向かって「あったから良かったやんか」と、本人はもう済んだことのようにサッパリした顔。
クレジットカードが不正利用されている可能性もあるのに、この人は。
念のためカード会社へも連絡して事情を話し、カードは止めて再発行してもらう手続きをしました。
カード会社の人によるとカードは手元に戻っていても、カード番号やセキュリティコードを書き写したり情報だけを盗んでネットで買い物されたりすることもあるそうです。

疲れた一日でありました。

ああ良かった!

2018年02月26日 | 日記
もう1ヶ月近く靴下ちゃんの姿を見ておらず、心配していました。
猫仲間のおばあちゃん達に訊いても、最近来ないのよねぇ……と心配顔。
お互いに口には出さねど、もしや、という嫌な予感もあり、ずっと心に引っ掛かっていたのです。

よくお喋りする黒と白のニャーニャーちゃん(と勝手に命名)と一緒にごはんをあげたのが節分前で、その後ニャーニャーちゃんも見かけることがなく、もしかしたら一緒に河岸を変えたのか、それとも……とつい悪い方へ考えて心配していました。

そして昨日、久しぶりにニャーニャーちゃんに会ったので、ごはんをあげて「靴下ちゃんは、どこ行った?」と訊いてみたのですが、いつもはよくしゃべるのにニャアと一声で終わってしまい、それは「知らん!」と言っているように聞こえ、どうしたものかと思っていました。

そして今日も帰り道、自宅周辺を探していますと猫仲間のおばあちゃんに偶然お会いし、「靴下ちゃんいたよ!」と嬉しい知らせ。
風邪をひいて弱っていた靴下ちゃんを、隣の棟の方が保護してくれていたとのことで一安心。
元気になったので今日から外へ出してもらったらしい、とのことでした。

元気で良かったねー、とおばあちゃんと、思わず手を取り合って喜んだのでありました。
ああ、良かった!

なぜ?

2018年02月25日 | 日記
本屋で読みたい本を探すけれど、ない。
何軒か回ってみても、ない。
古い本でもなく、マニアックな本でもないのに、なぜ?
私が読みたい本は、あまり売れ筋でない本ばかりなのか。

ものすごく怖かったとか、とても感動したと言って、勧めてくれた本や映画を読んだり見ても、それほどピンと来ないのはなぜなのか?

過去に熱中して読んだ本を年月を経て読んでみると、なぜにあれほど熱中していたのかわからなかったり、反対に一度読んでその時はよく解らなかったけれど何年か経って読んだら、感動してしまったりすることと同じようなものなのだろうか。

その時々で受け止め方や感じ方は変わっても、価値観や思考はそんなに変わるものでもないと思うのだけれど、そうでもないのか。

時に自分はひねくれているのか、どこか抜けているのか、それとも感受性が鈍いのかと、不安になることがある。

先日観た映画も感動というのではないけれど、とても良い映画だと思った。
でも観客は4人しかいなかった。
たまたまなのか、それとも?

読みたい本を見つけることができることを願って、明日は別の本屋へ行こうと思う。
当たり前だけれども、自分の好きなものにしか自分は夢中にはなれないから。

3年半ぶり

2018年02月24日 | 日記
どうしても見たい映画があって、映画館へ行った。
最後に映画館で映画を観たのは確か2014年の8月だったと思うので、3年半ぶりの映画になる。
その3年半前もその前も、行っていたのは下町の小さな映画館だったので、シネコンのシステムに少し戸惑ってしまった。

まず席を決めないといけないとは。
そして一度決めたら変更が出来ないとは。
幸い埋まっている席はふたつだけだったので、映画館の人が勧めてくれた目線の高さになるという真ん中の列の真ん中の席をとった。
飲み物とポップコーンを手に席につくと、飲み物ホルダーや前の席の背に鞄などをひっかけるホルダーはあるものの脱いだ上着を持って観るのは少しつらい。
映画が始まっても同じ列には他に客は来ず、隣の席に上着と鞄を置いて映画を観た。
けれど椅子は昔の映画館より大きくフカフカで、約2時間半をゆったり心地よく観賞することができた。

映画が終わって出ようとすると、客は全部で4人しかいなかった。
エッ、こんなんで採算とれるの?
と思わず心配になってしまう。
パンフレットもはじめ売っているのかどうかわからなくて(大々的に平積みで売ってなかったから)、今はもうパンフレットって売っていないのかと思っていたほどで、人が買っているのを見て売っていることを知ったぐらい。
慣れないシネコンをあとに帰って来ました。

映画は、やっぱり行って良かった!