以前、ミクシィに載せた日記の内容です。
中学生の頃の読んだ音楽雑誌を載せています。
音楽雑誌から シリーズ・1編集する 2007年09月02日14:16
昭和62年(西暦1985年)当時の
音楽雑誌 アンサンブル ENSEMBLE からの
引用です。
テーマは「祈り」
ちなみに、宗教・政治団体には中立の立場で
掲載させていただきます。
↓
黒人霊歌とゴスペル
青木 啓
「
祈りというのは、ある一定の目的をもって神様や仏様に願い念ずることだ、とされている。また、心底からの強い願望のことだ、ともいう。
長いあいだ、”祈り”は、ポピュラー・ミュージックの世界でも、まことに重要なテーマの一つであった。
と言うよりも、あらゆる作曲家、作詞家、演奏者、歌手たちが、日常生活のなかの”祈り”を、どのようにとらえ、形づくり、表現し、伝えるか、ということに全力を注ぎ、苦労もしてきた、と言えるのではなかろうか。だからこそ、その優れた作品と演奏(歌唱)に接した時、私たちは感激感動し、祈りにも似たエモーションを覚えるのだ、と思う。信仰による強くて深いよろこびをあらわす言葉に”法悦”と同等、あるいはそれに近いものと言ってよさそうだ。
もちろん、ポピュラー・ソングのジャンルとして扱われる歌のなかに、宗教における祈り、祈祷には、言語を用いない黙祷という形式もあるけれど、一般的には言語が使われるし、祈りの歌もあるというわけだ。
ポピュラー・ソングのスタイルによる宗教の歌といえば、やはりスピリチュアルが最もよく知られている身近な歌であろう。これは白人のスピリチュアルとアメリカ黒人のスピリチュアルがあり、前者は白人霊歌、後者は黒人霊歌というぐあいに日本では呼ばれている。白人霊歌(ホワイト・スピリチュアル)は1700年代末ごろから1800年代後期までにかなり作られたそうだが、現在も残っていて私たちが聴くことのできる歌はあまり多くはない。そのなかでは、1870年代から広く知られたという「さすらいの旅人」が有名だ。この世の生活を旅になぞらえ、やがてヨルダン河を渡って天国へ行く、という歌。これは1960年代前半、フォーク・ソングが若者を中心にブームとなったころ、白人だけでなく黒人もさかんに歌ったもので、ご存知の方が多いことだろう。
黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)は現在でもたくさん残っているし、白人霊歌よりもポピュラーだと言えよう。アフリカからアメリカに無理やり運ばれた黒人たちは、白人の奴隷にされ、自由も、生活習慣も文化も、そして宗教も禁じられ、奪われた。そして1700年代後期に、あの信仰復興運動の影響から白人は黒人奴隷たちを強制的にキリスト教に入信させはじめた。こうして”完全に精神的な未来の幸福”の約束を得た黒人奴隷たちは、やがて自分たちのキリスト教の宗教歌を歌うようになる。これが黒人霊歌で、内容は物語として面白い、あるいは興味深い旧約聖書中の事柄が多い。
たとえば「行け、モーゼ」だ。これはモーゼがエジプトへ行き、そこで奴隷として重労働させられているユダヤ民族を神の名によって解放する物語。「ジェリコの闘い」は、モーゼの遺志を継いだジョシュア(ヨシュア)が多くの同胞をひきいて困難な旅を続け、ようやく故国イスラエルに戻る。そして聖地カナンをエジプトの手から奪い返す最後の戦いがジェリコ砦の戦闘で、ジョシュアは同胞に砦を包囲させ、ラッパを吹かせ、大声で神の栄光を叫ばせると、堅固な城壁は音を立てて崩れ落ちた、というお話。
聖書中の物語とは関係のない歌もある。たとえば「誰も知らない私の悩み」だ。私のトラブルは誰も知らないが、イエスさまだけは知ってくださる、という歌。「時には母のない子のように」は、母を失った子のような気持ちになる時がある、私の故郷から遠くはなれてしまった、と歌われる。
黒人霊歌が本当に黒人奴隷たちの間から自然発生的にうまれたのかどうか。これは疑問だ。おそらく、そのはじまりは白人の牧師とか音楽家が、黒人の感覚や興味に合わせて作り、歌わせたのではないだろうか、という推測もできるのだ。
とにかく、黒人霊歌には”祈り”が脈打っている。奴隷という境遇から解放され自由になる祈り。悩み、苦しみに満ちた現世をはなれ、自由と平和の世界(天国)へ行きたい、約束の地へ行きたいと願う祈り。その祈りはまことに悲痛な響きを持っている。奴隷解放後、黒人霊歌は忘れてはならないアメリカ黒人の歴史の歌、自由と平和の祈りの歌として歌い継がれてきたし、今後もそうであろう。
1920年代からアメリカ黒人の教会で、ゴスペル(福音歌)という、新しいスタイルの宗教歌が生まれ、発展してきた。ジャズやリズム&ブルースに影響を及ぼしている点でも見逃せない。多くは強いビートとスイング感で叫ぶように歌われる。しかし「主の祈り」は静かで美しい。新約聖書マタイ伝の祈りの言葉にアルバート・ヘイ・マロットが1936年に曲をつけた。1958年のニューポート・ジャズ祭記録映画「真夏の夜のジャズ」のラストで、今は亡き偉大なゴスペル歌手マリア・ジャクソンがこれを歌っていたが、それに感動した人は少なくないはず。
そのマリアの持ち歌の一つに「アイ・ビリーヴ」があった。1952年に書かれたポピュラー・ソング調の賛美歌と言える名曲。私は雨のしずくが花を開かせることを信じます。暗い夜にもどこかに灯りがあることを信じます。道に迷った時、だれかが教えてくださることを信じます。嵐の中でも小さな祈りはとどくでしょう・・・・・。という詞もメロディーもすばらしい。
さて、宗教歌とは別に、永遠の愛、恋の成就を祈るポピュラー・ソングだが、これはもう代表作の例を挙げる必要はなさそうだ。私の好きな歌の一つにバート・バカラックとハル・デイヴィッドが書いた「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」(小さな祈り)がある。朝に起きてお化粧する前に、あなたのためにささやかな祈りを捧げる。いつまでもあなたが私の心にとどまって、二人は決して分かれないようにと。バスに向かって走り、乗っている間も、働いている時も、休憩の時も、あなたのために祈ります・・・・。というひたむきな愛の歌。1967年にディオンヌ・ワーウィックが大ヒットさせた。
祈りがすべて叶うとは限らない。それでも人は願い、祈る。だから世の中は動き続け、ポピュラー・ソングも生まれ続けるのだろう。
(音楽評論家)
中学生の頃の読んだ音楽雑誌を載せています。
音楽雑誌から シリーズ・1編集する 2007年09月02日14:16
昭和62年(西暦1985年)当時の
音楽雑誌 アンサンブル ENSEMBLE からの
引用です。
テーマは「祈り」
ちなみに、宗教・政治団体には中立の立場で
掲載させていただきます。
↓
黒人霊歌とゴスペル
青木 啓
「
祈りというのは、ある一定の目的をもって神様や仏様に願い念ずることだ、とされている。また、心底からの強い願望のことだ、ともいう。
長いあいだ、”祈り”は、ポピュラー・ミュージックの世界でも、まことに重要なテーマの一つであった。
と言うよりも、あらゆる作曲家、作詞家、演奏者、歌手たちが、日常生活のなかの”祈り”を、どのようにとらえ、形づくり、表現し、伝えるか、ということに全力を注ぎ、苦労もしてきた、と言えるのではなかろうか。だからこそ、その優れた作品と演奏(歌唱)に接した時、私たちは感激感動し、祈りにも似たエモーションを覚えるのだ、と思う。信仰による強くて深いよろこびをあらわす言葉に”法悦”と同等、あるいはそれに近いものと言ってよさそうだ。
もちろん、ポピュラー・ソングのジャンルとして扱われる歌のなかに、宗教における祈り、祈祷には、言語を用いない黙祷という形式もあるけれど、一般的には言語が使われるし、祈りの歌もあるというわけだ。
ポピュラー・ソングのスタイルによる宗教の歌といえば、やはりスピリチュアルが最もよく知られている身近な歌であろう。これは白人のスピリチュアルとアメリカ黒人のスピリチュアルがあり、前者は白人霊歌、後者は黒人霊歌というぐあいに日本では呼ばれている。白人霊歌(ホワイト・スピリチュアル)は1700年代末ごろから1800年代後期までにかなり作られたそうだが、現在も残っていて私たちが聴くことのできる歌はあまり多くはない。そのなかでは、1870年代から広く知られたという「さすらいの旅人」が有名だ。この世の生活を旅になぞらえ、やがてヨルダン河を渡って天国へ行く、という歌。これは1960年代前半、フォーク・ソングが若者を中心にブームとなったころ、白人だけでなく黒人もさかんに歌ったもので、ご存知の方が多いことだろう。
黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)は現在でもたくさん残っているし、白人霊歌よりもポピュラーだと言えよう。アフリカからアメリカに無理やり運ばれた黒人たちは、白人の奴隷にされ、自由も、生活習慣も文化も、そして宗教も禁じられ、奪われた。そして1700年代後期に、あの信仰復興運動の影響から白人は黒人奴隷たちを強制的にキリスト教に入信させはじめた。こうして”完全に精神的な未来の幸福”の約束を得た黒人奴隷たちは、やがて自分たちのキリスト教の宗教歌を歌うようになる。これが黒人霊歌で、内容は物語として面白い、あるいは興味深い旧約聖書中の事柄が多い。
たとえば「行け、モーゼ」だ。これはモーゼがエジプトへ行き、そこで奴隷として重労働させられているユダヤ民族を神の名によって解放する物語。「ジェリコの闘い」は、モーゼの遺志を継いだジョシュア(ヨシュア)が多くの同胞をひきいて困難な旅を続け、ようやく故国イスラエルに戻る。そして聖地カナンをエジプトの手から奪い返す最後の戦いがジェリコ砦の戦闘で、ジョシュアは同胞に砦を包囲させ、ラッパを吹かせ、大声で神の栄光を叫ばせると、堅固な城壁は音を立てて崩れ落ちた、というお話。
聖書中の物語とは関係のない歌もある。たとえば「誰も知らない私の悩み」だ。私のトラブルは誰も知らないが、イエスさまだけは知ってくださる、という歌。「時には母のない子のように」は、母を失った子のような気持ちになる時がある、私の故郷から遠くはなれてしまった、と歌われる。
黒人霊歌が本当に黒人奴隷たちの間から自然発生的にうまれたのかどうか。これは疑問だ。おそらく、そのはじまりは白人の牧師とか音楽家が、黒人の感覚や興味に合わせて作り、歌わせたのではないだろうか、という推測もできるのだ。
とにかく、黒人霊歌には”祈り”が脈打っている。奴隷という境遇から解放され自由になる祈り。悩み、苦しみに満ちた現世をはなれ、自由と平和の世界(天国)へ行きたい、約束の地へ行きたいと願う祈り。その祈りはまことに悲痛な響きを持っている。奴隷解放後、黒人霊歌は忘れてはならないアメリカ黒人の歴史の歌、自由と平和の祈りの歌として歌い継がれてきたし、今後もそうであろう。
1920年代からアメリカ黒人の教会で、ゴスペル(福音歌)という、新しいスタイルの宗教歌が生まれ、発展してきた。ジャズやリズム&ブルースに影響を及ぼしている点でも見逃せない。多くは強いビートとスイング感で叫ぶように歌われる。しかし「主の祈り」は静かで美しい。新約聖書マタイ伝の祈りの言葉にアルバート・ヘイ・マロットが1936年に曲をつけた。1958年のニューポート・ジャズ祭記録映画「真夏の夜のジャズ」のラストで、今は亡き偉大なゴスペル歌手マリア・ジャクソンがこれを歌っていたが、それに感動した人は少なくないはず。
そのマリアの持ち歌の一つに「アイ・ビリーヴ」があった。1952年に書かれたポピュラー・ソング調の賛美歌と言える名曲。私は雨のしずくが花を開かせることを信じます。暗い夜にもどこかに灯りがあることを信じます。道に迷った時、だれかが教えてくださることを信じます。嵐の中でも小さな祈りはとどくでしょう・・・・・。という詞もメロディーもすばらしい。
さて、宗教歌とは別に、永遠の愛、恋の成就を祈るポピュラー・ソングだが、これはもう代表作の例を挙げる必要はなさそうだ。私の好きな歌の一つにバート・バカラックとハル・デイヴィッドが書いた「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」(小さな祈り)がある。朝に起きてお化粧する前に、あなたのためにささやかな祈りを捧げる。いつまでもあなたが私の心にとどまって、二人は決して分かれないようにと。バスに向かって走り、乗っている間も、働いている時も、休憩の時も、あなたのために祈ります・・・・。というひたむきな愛の歌。1967年にディオンヌ・ワーウィックが大ヒットさせた。
祈りがすべて叶うとは限らない。それでも人は願い、祈る。だから世の中は動き続け、ポピュラー・ソングも生まれ続けるのだろう。
(音楽評論家)