自分の死

2015年12月05日 12時26分45秒 | Weblog
身体に痛いところがあり、もうそれは止んだのですが。

もしガンだったらどうしようかな。

と、一晩考えて居た。

もし死ぬ事があれば、私はその死を、受け入れるのだろうか?

死とはこの世界が閉じて終わってしまう事だ。

もう、思う存分楽しんだ。勉強も仕事も恋もした。

入院したら、デートできなくなって寂しいけど、今までどうもありがとう。

後悔してない。やるべき事は全てした。がんばった。努力した、と言い切れると思う。

もともと死に向き合った事はあったので、慣れてはいるものの、生存競争に疲れ果てた感があり、ガンになって感謝してる、って感じなのかも知れない。

積極的治療は受け入れず、ホスピスに行く事になると思う。

ガンと病と闘う事無しに、ガンに感謝し共存することで、最後まで生を全うする、というもの。

そうすると、いままで何気なく飲んでたミネラルウォーター、インスタントコーヒーが美味しく感じられたり、いままで育ててくれた家族に感謝したり。

他人の死は悲しいし受け入れがたいけれど、自分が死ぬのが怖くないみたいで。

それはちょうど、黒人が葬式の時に明るくJAZZを演奏して賑やかに過ごすのと何だか似ている。