【10月23日(土)】
午前3時起床。
午前3時50分、N塚長姉の178R、うちの前に到着。
178Rの車内には、すでにRP祐子。

午前5時26分撮影。
山陽道を西に走る途中。

午前7時8分撮影。
どこかは知らんが、トイレ休憩に寄ったSAにいた、
桃太郎と犬と猿と雉。
うちを出発してから約五時間後、
安芸の宮島到着。

わたくし、今回来るまで、
宮島が「島」だということも知りませんでした。
駐車場に車を停め、
宮島フリーパス(広島市内のチン電+宮島へのフェリー+宮島内ロープウェイ)2000円也を購入、
フェリーに乗る。

10時6分撮影。
フェリーにて。

10時19分撮影。
お辞儀をしながらわらわらとせんべいをカツアゲに来る奈良の鹿しか知らなかったわたしたちは、
全国的に観光地の鹿はお辞儀をしながらわらわらとカツアゲに来るものだと思っていたので、
鹿を見た途端に警戒態勢に入ったが、
宮島の鹿は温厚であった。
不気味に温厚であった。
宮島では鹿せんべいを売っておらず、
宮島の鹿にとって観光客はおやつをカツアゲできる「カモ」ではないせいであった。
(が、四、五年前、じろりんと宮島を訪れたみわこによると、
その頃はまだ、奈良の鹿とほぼおんなじゴロツキであったらしい)
まずは、表参道商店街をぶらつき、広島焼きの店へ。

10時46分撮影。

10時53分撮影。
食べ終わったあと、厳島神社へ。

11時34分撮影。

11時47分撮影。
厳島神社は平清盛が建立したと思っていたが、
もともとの建立は推古天皇(554年~628年。聖徳太子はこの人の甥で摂政であった)の頃で、
これを今のような形に建てなおしたのが清盛らしい、へーへーほー。
宗像三女神(姉天照大神に対して素戔男尊が自分の身の潔癖を証明しようとしたときに、彼の剣@十握剣 から生まれた三女神。ちなみに十握剣は元は彼ら姉弟の父である伊邪那岐 の佩剣であった)が主神らしいが、
海の中に建つあの大鳥居、

表側には「厳島神社」とあるが、
その裏側には「伊都岐 島神社」、

宗像三女神の祖父で、彼女らを生んだ剣の元の持ち主の名前が記されているのはなぜー。
あと、清盛の嫁の「二位の尼」&清盛の孫の「安徳天皇」(どっちも壇ノ浦で死亡)を祀ってるお社もあった。
ところで、今回初めて宮島に来るまで、
「安芸の宮島」がほんとに「島」であることすら知らなかったわたしなので、
島の中に山があり、その上までロープウェイで上がれることも知らなかった。
ロープウェイ乗り場までは無料バスが往復しているのだが、
わたしたちが乗り場へ行こうとした時間はちょうどバスがお昼休みの時間帯で、
乗り場までぶらぶらと歩いた。

12時13分撮影。

12時39分撮影。

同じく12時39分撮影。
途中で、別のロープウェイに乗り換えて。

13時10分撮影。
獅子岩駅到着ー、してからちょっと間してから撮ったので、
何分くらいロープウェイに乗ってたかは不明。
ここから頂上までは山道ハイキング。
まあ、ここまで来たからには行くしかあるまいと。
これが意外と楽しかったのだ。

13時27分撮影。
途中まで下りで、あとは登り。
下りも登りもそれなりにきつかったが、
わたしの体力でも大丈夫な程度のきつさで、
道の作りも、野趣を失わないぎりぎりながら、ものすごく歩きやすく作られていて、
そして誰が最初に始めたのかは知らないが、
すれ違う人に「こんにちは」と挨拶するらしいルールがあり、
すれ違うたびに「こんにちは」、
行き会うたびに「こんにちは」、
相手が外人でも「こんにちは」、
これがやってみたらなんだか愉快で愉快で。

13時37分撮影。
画面左に見えてる建物が、「消えずの火」の霊火堂。
N塚長姉はここでギブアップ。

13時53分撮影。
弥山頂上付近にて。
安芸の宮島は古戦場でもあった。
「平家物語」の源平の合戦かと思ったら、
時代はぐっとくだって戦国時代、
毛利元就ゆかりの古戦場であった。
しかも、日本三大奇襲のひとつ、名前もそのまんまの「厳島の戦い」の舞台で、毛利元就VS陶晴賢戦の場所であった。
知らんかったわー。
で、毛利元就といえば、戦国BASARAのあのキミドリ。
織田信長が死んで、豊臣秀吉も死んだのに、まだ若者の姿で生きているあの妖怪。
というわけで。

やら、

やらの、BASARAタイアップ商品が。
戦国BASARAの経済効果って、もう誰か試算してるんだろうか。
たぶんものすげえ数字になると思うんだが。
着いたときは鳥居は完全に水に浸かっていたが、
頂上から戻った頃には干潮で。

15時12分撮影。
鳥居まで、ずくずくとぬかるみを踏み分けて歩いていく物好きたち。
物好きには、N塚長姉とRP祐子も含まれる。
わたしは表参道商店街で、もみじ饅頭のてんぷらとか食って、遊んでたー。
だってコンバースのハイカット履いてたから、あんなとこ歩いたら靴下まで水がしみとおるの、わかりきってたんだもん。
しかし、宮島がこれほどたっぷり遊べる場所だったとは。
長姉が「計算したら、朝の4時にこっち出んなあかんねんけど、えみちゃん(わしの本名)いける?」などと言い出しやがったときは、
「朝4時ぃっ?!
正気か、お前っ?!
ちょっと考えてみいや、今回のメインは晩7時開演の稲葉やろっ?
朝の4時なんかに出たら、肝心の稲葉のときはよろよろになってるでっ!」
などとごて倒したわたくしですが、
いや、朝の10時から午後4時頃まで、力いっぱい楽しく遊んでしまったわー。
で、確か午後4時過ぎくらい、
再びフェリーに乗って、178Rに戻り、広島市内へ。
予約したホテルを探しあて、チェックインして、部屋に荷物を放り込み、
最初の予定ではチン電で広島グリーンアリーナへ向かうはずが、開演時間が目の前で、フロントでタクシーを呼んでもらう。

もうツアー最後近かったせいか、
稲葉くんはいい感じに油断していて、何度も歌詞を忘れていました。(= ̄∇ ̄=)

20時42分撮影。
もう1台のツアートラックのナンバーは「178」でしたが、
こっちのほうのナンバーは特に意味はないと思っていたのですが。

長姉がB'zブログはしごしてて見つけたんですが、
「504」→「こ・お・し」→「浩志」、だったんだってー。
帰りはチン電でホテルに帰った。
晩ご飯は、ホテル隣りの居酒屋さんで食べた。
ここで食べてあまりの美味しさに感動して、二回注文してしまったのが。

赤ごぼうの皮のとこだけ揚げたてんぷら。
午前3時起床。
午前3時50分、N塚長姉の178R、うちの前に到着。
178Rの車内には、すでにRP祐子。

午前5時26分撮影。
山陽道を西に走る途中。

午前7時8分撮影。
どこかは知らんが、トイレ休憩に寄ったSAにいた、
桃太郎と犬と猿と雉。
うちを出発してから約五時間後、
安芸の宮島到着。

わたくし、今回来るまで、
宮島が「島」だということも知りませんでした。
駐車場に車を停め、
宮島フリーパス(広島市内のチン電+宮島へのフェリー+宮島内ロープウェイ)2000円也を購入、
フェリーに乗る。

10時6分撮影。
フェリーにて。

10時19分撮影。
お辞儀をしながらわらわらとせんべいをカツアゲに来る奈良の鹿しか知らなかったわたしたちは、
全国的に観光地の鹿はお辞儀をしながらわらわらとカツアゲに来るものだと思っていたので、
鹿を見た途端に警戒態勢に入ったが、
宮島の鹿は温厚であった。
不気味に温厚であった。
宮島では鹿せんべいを売っておらず、
宮島の鹿にとって観光客はおやつをカツアゲできる「カモ」ではないせいであった。
(が、四、五年前、じろりんと宮島を訪れたみわこによると、
その頃はまだ、奈良の鹿とほぼおんなじゴロツキであったらしい)
まずは、表参道商店街をぶらつき、広島焼きの店へ。

10時46分撮影。

10時53分撮影。
食べ終わったあと、厳島神社へ。

11時34分撮影。

11時47分撮影。
厳島神社は平清盛が建立したと思っていたが、
もともとの建立は推古天皇(554年~628年。聖徳太子はこの人の甥で摂政であった)の頃で、
これを今のような形に建てなおしたのが清盛らしい、へーへーほー。
宗像三女神(姉天照大神に対して素戔男尊が自分の身の潔癖を証明しようとしたときに、彼の剣@
海の中に建つあの大鳥居、

表側には「厳島神社」とあるが、
その裏側には「

宗像三女神の祖父で、彼女らを生んだ剣の元の持ち主の名前が記されているのはなぜー。
あと、清盛の嫁の「二位の尼」&清盛の孫の「安徳天皇」(どっちも壇ノ浦で死亡)を祀ってるお社もあった。
ところで、今回初めて宮島に来るまで、
「安芸の宮島」がほんとに「島」であることすら知らなかったわたしなので、
島の中に山があり、その上までロープウェイで上がれることも知らなかった。
ロープウェイ乗り場までは無料バスが往復しているのだが、
わたしたちが乗り場へ行こうとした時間はちょうどバスがお昼休みの時間帯で、
乗り場までぶらぶらと歩いた。

12時13分撮影。

12時39分撮影。

同じく12時39分撮影。
途中で、別のロープウェイに乗り換えて。

13時10分撮影。
獅子岩駅到着ー、してからちょっと間してから撮ったので、
何分くらいロープウェイに乗ってたかは不明。
ここから頂上までは山道ハイキング。
まあ、ここまで来たからには行くしかあるまいと。
これが意外と楽しかったのだ。

13時27分撮影。
途中まで下りで、あとは登り。
下りも登りもそれなりにきつかったが、
わたしの体力でも大丈夫な程度のきつさで、
道の作りも、野趣を失わないぎりぎりながら、ものすごく歩きやすく作られていて、
そして誰が最初に始めたのかは知らないが、
すれ違う人に「こんにちは」と挨拶するらしいルールがあり、
すれ違うたびに「こんにちは」、
行き会うたびに「こんにちは」、
相手が外人でも「こんにちは」、
これがやってみたらなんだか愉快で愉快で。

13時37分撮影。
画面左に見えてる建物が、「消えずの火」の霊火堂。
N塚長姉はここでギブアップ。

13時53分撮影。
弥山頂上付近にて。
安芸の宮島は古戦場でもあった。
「平家物語」の源平の合戦かと思ったら、
時代はぐっとくだって戦国時代、
毛利元就ゆかりの古戦場であった。
しかも、日本三大奇襲のひとつ、名前もそのまんまの「厳島の戦い」の舞台で、毛利元就VS陶晴賢戦の場所であった。
知らんかったわー。
で、毛利元就といえば、戦国BASARAのあのキミドリ。
織田信長が死んで、豊臣秀吉も死んだのに、まだ若者の姿で生きているあの妖怪。
というわけで。

やら、

やらの、BASARAタイアップ商品が。
戦国BASARAの経済効果って、もう誰か試算してるんだろうか。
たぶんものすげえ数字になると思うんだが。
着いたときは鳥居は完全に水に浸かっていたが、
頂上から戻った頃には干潮で。

15時12分撮影。
鳥居まで、ずくずくとぬかるみを踏み分けて歩いていく物好きたち。
物好きには、N塚長姉とRP祐子も含まれる。
わたしは表参道商店街で、もみじ饅頭のてんぷらとか食って、遊んでたー。
だってコンバースのハイカット履いてたから、あんなとこ歩いたら靴下まで水がしみとおるの、わかりきってたんだもん。
しかし、宮島がこれほどたっぷり遊べる場所だったとは。
長姉が「計算したら、朝の4時にこっち出んなあかんねんけど、えみちゃん(わしの本名)いける?」などと言い出しやがったときは、
「朝4時ぃっ?!
正気か、お前っ?!
ちょっと考えてみいや、今回のメインは晩7時開演の稲葉やろっ?
朝の4時なんかに出たら、肝心の稲葉のときはよろよろになってるでっ!」
などとごて倒したわたくしですが、
いや、朝の10時から午後4時頃まで、力いっぱい楽しく遊んでしまったわー。
で、確か午後4時過ぎくらい、
再びフェリーに乗って、178Rに戻り、広島市内へ。
予約したホテルを探しあて、チェックインして、部屋に荷物を放り込み、
最初の予定ではチン電で広島グリーンアリーナへ向かうはずが、開演時間が目の前で、フロントでタクシーを呼んでもらう。

もうツアー最後近かったせいか、
稲葉くんはいい感じに油断していて、何度も歌詞を忘れていました。(= ̄∇ ̄=)

20時42分撮影。
もう1台のツアートラックのナンバーは「178」でしたが、
こっちのほうのナンバーは特に意味はないと思っていたのですが。

長姉がB'zブログはしごしてて見つけたんですが、
「504」→「こ・お・し」→「浩志」、だったんだってー。
帰りはチン電でホテルに帰った。
晩ご飯は、ホテル隣りの居酒屋さんで食べた。
ここで食べてあまりの美味しさに感動して、二回注文してしまったのが。

赤ごぼうの皮のとこだけ揚げたてんぷら。