昨日、犬散歩から帰ったら午後8時過ぎで、
父ちゃんがチャンネルばちばち替えてるうちに時代劇らしきものにでくわして、そのまま見始めた。
「水戸黄門やんー」
「あ、水戸黄門かー」
「第一話みたいやな」
わたしもついずるずるつられて見てしまったら、今回の初回は二時間スペシャル。
パナソニックのCMを一年分くらいまとめて見たわ…。
カーナビのCMが一番面白かった。
参勤交代情報キャッチして迂回するとこがすっごい洒落てる♪
いやね、前から思ってたのよ。
街道途中のまわりなんもないとこで反対方向から参勤交代きたら土下座するしかないけど、
街中で大名行列にでくわして土下座してる人たちって、
お侍衆に気持ちよ~くその日の宿に入ってもらったり旅立ってもらうために本陣とかが派遣したサクラか、よっぽどどんくせー連中だったんだろうな、って。
フツーは、
「この暑いのにどこ行くん?」
「昨日の行者講のお供え、下のほうの親戚とこ持ってけいわれてん」
「いまやめとき。もうすぐ大名行列来るそうやで」
「まじ?」
「まじまじ。さっき○○の隠居んとこの孫に聴いてん」
「うわ、夕方に出なおそー。このくそ暑いのに地べたにはいつくばってられるかいな。そんでどこの殿さまなん?」
「○○藩やて、知ってる?」
「知らん。お付きに男前とかおるやろか?」
「○○さんとこから覗き見させてもらう?」
「そうしょー、そないしょー」
とか、
「おっちゃんら、ぞろぞろ集まってどこ行くん」
「土下座や土下座ー。どっかのひいさんが高野山涼みに行きよるねんて。このへんたれ通るのに道のはたにだーれもおらへんかったら気ぃ悪いやろゆうて、庄屋に頼まれてん」
「ほーしゃ池んとこでやって、裏から先回りしてごまへいとこでやって、次の新田の地蔵さんとこであがりや」
「ええやん。あとで庄屋さんとこで打ち上げで、お酒もごっつぉも出してもらえんねんろ」
「それがなかったらこんなしょーもないことするかいやー」
みたいな感じ?
街道筋とか宿場町には「今日の大名行列 ○○藩(○○宿五つ出立予定 のぼり)」とか、情報まわってたんじゃなかろうか。
で、第一話ですが。
そうかっ、水戸黄門と松尾芭蕉っておんなじ頃に生きてたのかっ。
これは今まで気づかなかったので、目から鱗でした。
そーいや、つかこうへいの『つかへい忠臣蔵』では芭蕉、松の廊下前後で死んでたな。
ひょっとしたら松の廊下の頃、黄門さまもまだ生きてた?
と調べてみたら。
水戸光圀 1628年~1701年
松尾芭蕉 1644年~1694年
松の廊下事件 1701年
うそつき。>つかこうへいさま
以上のように浅野内匠頭が「殿中でござる~」で切腹した頃、芭蕉は全然死んでますが、黄門様のほうは亡くなられたのは01年の1月、松の廊下は3月だそうなので、こっちもぜんぜん死んでますな。
そんで、黄門様って神君家康公の孫だったのねー。
だから三代将軍家光とはいとこ、四代家綱五代綱吉とはちんばいとこだったのねー。
で、「黄門」ってのは「中納言」の唐名だったのねー。
そんで家康の通称としてよく登場する「内府」は「内大臣」の唐名だったのねー。
そんで第一話、うっかり八兵衛、超ひーっさしぶりにご登場~♪
次幕「暴走外道衆」前夜祭~♪ な感じ? チャンネル違うけど。
(2日の第23幕、八兵衛の高橋元太郎がお寺のおっしょさん役でゲスト出演なのよ~)
堺正章と田宮五郎の芭蕉&曾良にもわくわくしたわー。
日野正平の丁稚あがりの材木問屋主人も、可愛くてよかったわー。
今年の盆踊りは8月15日~。
踊り始まるまでには帰ってこれっかな。
(この日はちょっと京都まで行くご予定ですの)
(チケット争奪戦に勝てたら、ですが、ええ)
ペンギン名画シリーズの松島画伯最新情報。
光文社「STORY」には6ページ載る予定らしい。
立ち読みに行かなくちゃー。
でも、この「STORY」って雑誌、雑誌コーナーのどのへんたれにあんねやろ?
家にいるときは、玄関ドア、ドアチェーンだけかけて、ドアに板をかましています。
風の向きにもよりますが、このほんのちょっとした隙間があるだけで、けっこういい風が通ります。
涼む巳夜子。
が、玄関マットが三和土にあるのは、巳夜子が涼むために三和土に敷いてやったわけでは、もちろんありません。
黒くて重たい物体のせいです。
下に滑り止めを敷いているにもかかわらず、マットめがけてスライディングしたその物体によって、毎日毎日三和土に滑り落とされるからです。
徹平 「え、吾輩? うっそー、まっじー。そんなん覚えてないしー」
あんたが覚えてなくても、わたしはこの目でちゃんと見た。(-_-メ)
そして前述の黒い物体が、本棚の上においてあったおもちゃバケツをひっくりかえしてくれたおかげで見つかった、スペンサーと老汗 。
最初みつけたとき、猫のほうは紳一だと思ったが、わたしの記憶が確かならば、こいつらは、実家から上へ100メートルほどのとこにある歯医者が前の歯医者だったときに貰ったもんである。
衛生士さんがたがあまった石膏を型に流して作ったもので、それを貰って帰って色を塗ったものである。
その歯医者が今の歯医者になったのはもう相当前だと思うので、こいつらを貰って色を塗ったのもたぶん相当前の話で、たぶん猫は紳一でなく、紳一を拾う前に亡くなった老汗である。
今年の三月、携帯をW41CAからW63CAに変えた。
ついでにmicroSDも2GBのを買った。
2GBもあるんだからと、シンケンジャーとかシンケンジャーとか携帯動画変換君で変換して放り込んでたら。
写真とかこまめにPCに移して消してるにもかかわらず、気がつけばこの惨状。
シンケンジャー第1幕~第13幕、第17幕~第20幕、付録にyoutubeから貰ってきたオトナモードの「さよならはさよなら」PV、が入ってるだけなのに…。
2GBってけっこう無力だ………。
それにしてもカシオさん、
W41CAもだったけど、このW63CAも、
フツーに通話したりメールしたりezweb見たりする分には、特に電池の保ちに問題ないのに、
musicplayerを起動させた途端、あっという間に電池残量が減ってくのはなぜ???
父ちゃんがチャンネルばちばち替えてるうちに時代劇らしきものにでくわして、そのまま見始めた。
「水戸黄門やんー」
「あ、水戸黄門かー」
「第一話みたいやな」
わたしもついずるずるつられて見てしまったら、今回の初回は二時間スペシャル。
パナソニックのCMを一年分くらいまとめて見たわ…。
カーナビのCMが一番面白かった。
参勤交代情報キャッチして迂回するとこがすっごい洒落てる♪
いやね、前から思ってたのよ。
街道途中のまわりなんもないとこで反対方向から参勤交代きたら土下座するしかないけど、
街中で大名行列にでくわして土下座してる人たちって、
お侍衆に気持ちよ~くその日の宿に入ってもらったり旅立ってもらうために本陣とかが派遣したサクラか、よっぽどどんくせー連中だったんだろうな、って。
フツーは、
「この暑いのにどこ行くん?」
「昨日の行者講のお供え、下のほうの親戚とこ持ってけいわれてん」
「いまやめとき。もうすぐ大名行列来るそうやで」
「まじ?」
「まじまじ。さっき○○の隠居んとこの孫に聴いてん」
「うわ、夕方に出なおそー。このくそ暑いのに地べたにはいつくばってられるかいな。そんでどこの殿さまなん?」
「○○藩やて、知ってる?」
「知らん。お付きに男前とかおるやろか?」
「○○さんとこから覗き見させてもらう?」
「そうしょー、そないしょー」
とか、
「おっちゃんら、ぞろぞろ集まってどこ行くん」
「土下座や土下座ー。どっかのひいさんが高野山涼みに行きよるねんて。このへんたれ通るのに道のはたにだーれもおらへんかったら気ぃ悪いやろゆうて、庄屋に頼まれてん」
「ほーしゃ池んとこでやって、裏から先回りしてごまへいとこでやって、次の新田の地蔵さんとこであがりや」
「ええやん。あとで庄屋さんとこで打ち上げで、お酒もごっつぉも出してもらえんねんろ」
「それがなかったらこんなしょーもないことするかいやー」
みたいな感じ?
街道筋とか宿場町には「今日の大名行列 ○○藩(○○宿五つ出立予定 のぼり)」とか、情報まわってたんじゃなかろうか。
で、第一話ですが。
そうかっ、水戸黄門と松尾芭蕉っておんなじ頃に生きてたのかっ。
これは今まで気づかなかったので、目から鱗でした。
そーいや、つかこうへいの『つかへい忠臣蔵』では芭蕉、松の廊下前後で死んでたな。
ひょっとしたら松の廊下の頃、黄門さまもまだ生きてた?
と調べてみたら。
水戸光圀 1628年~1701年
松尾芭蕉 1644年~1694年
松の廊下事件 1701年
うそつき。>つかこうへいさま
以上のように浅野内匠頭が「殿中でござる~」で切腹した頃、芭蕉は全然死んでますが、黄門様のほうは亡くなられたのは01年の1月、松の廊下は3月だそうなので、こっちもぜんぜん死んでますな。
そんで、黄門様って神君家康公の孫だったのねー。
だから三代将軍家光とはいとこ、四代家綱五代綱吉とはちんばいとこだったのねー。
で、「黄門」ってのは「中納言」の唐名だったのねー。
そんで家康の通称としてよく登場する「内府」は「内大臣」の唐名だったのねー。
そんで第一話、うっかり八兵衛、超ひーっさしぶりにご登場~♪
次幕「暴走外道衆」前夜祭~♪ な感じ? チャンネル違うけど。
(2日の第23幕、八兵衛の高橋元太郎がお寺のおっしょさん役でゲスト出演なのよ~)
堺正章と田宮五郎の芭蕉&曾良にもわくわくしたわー。
日野正平の丁稚あがりの材木問屋主人も、可愛くてよかったわー。
今年の盆踊りは8月15日~。
踊り始まるまでには帰ってこれっかな。
(この日はちょっと京都まで行くご予定ですの)
(チケット争奪戦に勝てたら、ですが、ええ)
ペンギン名画シリーズの松島画伯最新情報。
光文社「STORY」には6ページ載る予定らしい。
立ち読みに行かなくちゃー。
でも、この「STORY」って雑誌、雑誌コーナーのどのへんたれにあんねやろ?
家にいるときは、玄関ドア、ドアチェーンだけかけて、ドアに板をかましています。
風の向きにもよりますが、このほんのちょっとした隙間があるだけで、けっこういい風が通ります。
涼む巳夜子。
が、玄関マットが三和土にあるのは、巳夜子が涼むために三和土に敷いてやったわけでは、もちろんありません。
黒くて重たい物体のせいです。
下に滑り止めを敷いているにもかかわらず、マットめがけてスライディングしたその物体によって、毎日毎日三和土に滑り落とされるからです。
徹平 「え、吾輩? うっそー、まっじー。そんなん覚えてないしー」
あんたが覚えてなくても、わたしはこの目でちゃんと見た。(-_-メ)
そして前述の黒い物体が、本棚の上においてあったおもちゃバケツをひっくりかえしてくれたおかげで見つかった、スペンサーと
最初みつけたとき、猫のほうは紳一だと思ったが、わたしの記憶が確かならば、こいつらは、実家から上へ100メートルほどのとこにある歯医者が前の歯医者だったときに貰ったもんである。
衛生士さんがたがあまった石膏を型に流して作ったもので、それを貰って帰って色を塗ったものである。
その歯医者が今の歯医者になったのはもう相当前だと思うので、こいつらを貰って色を塗ったのもたぶん相当前の話で、たぶん猫は紳一でなく、紳一を拾う前に亡くなった老汗である。
今年の三月、携帯をW41CAからW63CAに変えた。
ついでにmicroSDも2GBのを買った。
2GBもあるんだからと、シンケンジャーとかシンケンジャーとか携帯動画変換君で変換して放り込んでたら。
写真とかこまめにPCに移して消してるにもかかわらず、気がつけばこの惨状。
シンケンジャー第1幕~第13幕、第17幕~第20幕、付録にyoutubeから貰ってきたオトナモードの「さよならはさよなら」PV、が入ってるだけなのに…。
2GBってけっこう無力だ………。
それにしてもカシオさん、
W41CAもだったけど、このW63CAも、
フツーに通話したりメールしたりezweb見たりする分には、特に電池の保ちに問題ないのに、
musicplayerを起動させた途端、あっという間に電池残量が減ってくのはなぜ???