【5月24日(木)】
ピロティホールで志の輔さん。
例によって、いずみとふたりで行きました。
みわこが大阪に帰ってこれたら、奴も混ざる予定なんだけどね。
(
みわこ、いま神奈川県民。秦野市ってとこに住んでいる)
(
秦野市、地図の印象では、神奈川県の河内長野市か富田林市って感じかなあ?)
(
みわこ、ここに引っ越してから車買い換えたのよ。そしたらナンバーなんと「湘南」。神奈川県の河内長野市か富田林市のくせに、ナンバープレートは潮の香り漂う「湘南」)
(
秦野市の前は茨城県つくば市に住んでたんだけど)
(
ちょっと前に茨城県が震源の地震あったとき、TVの地図見ながらN塚長姉と)
(
「震源のあるとこ、千葉の上やけど、あれって何県?」「福島県?」「そうなん?」「さあ?」などと言っていたわたしたち)
(
茨城県って千葉県のお隣だったのね)
(
そういや震災の頃、「岩手って右側やってんね」「山形って右側やった? 左側やった?」「そんなん知らん。ところで秋田って右? 左?」などとも言っていたわたしたち)
(
閑話休題)
席は、舞台「ビューティフルサンデイ」観に行った日、
京橋のファミマで戦いとった
最前列ほぼセンタ~♪
二本立て。
一本目は「ハナコさん」。
「商品もしくはサーヴィスを提供する側の説明義務」のせいでせちがらくなった世の中への、
痛烈な風刺をこめたお話。
そういえば家電、
そういう使い方をしたらいかんのは自明のことまで「しないでください」の説明ついてるけど、
説明つけておかないと、もしそれをしてトラブル起きたとき、
作った側売った側の責任が問われるせいだったのね、
と気づいたのは、かなり大人になってから。
説明といえば、
ホーム炬燵の取り扱い説明書、
してはいけないことをわかりやすくイラストにした一覧見て。
かっちょ
「前の炬燵でこれやってたな。本を積んで足代わりにする。あ、中で生乾きの洗濯もん乾かすのもちゃんと載ってる」
わたし
「すごいなあ、半分くらいやったことあることやわ」
ま、わたしら、たぶんほんとはしてはいけないことなんだろうなあと思いつつ、自己責任でやってたわけですが。
そういや「フジ三太郎」に、
昔なら、電車に駆け込もうとして転んだ人は、恥ずかしさにえへへと照れ笑いしたものだが、
今は、逆ギレして電鉄会社を訴えるといきまく、というネタがあった。
読んだのはたぶん大昔なんだけど、いまふと思い出しちゃった。
「そんなんやったらあかんて書いてへんかったやんけ」とごねる数千人にひとりくらいのアホウに対する備え、「予めお断りいたします」のせいで、
大半のまっとうな人間がとってもめんどくさい思いをしているよなあ、というところから志の輔さんが思いついたんだろうなあと思われるお話でした。
二本目は「中村仲蔵」。
いずみはひとりで行った南座で一度聞いてる話だったけど、
わたしは初めて。
歌舞伎の血筋ではない中村仲蔵という役者が、
歌舞伎の血筋ではないのに、己の工夫才能で、やがて名代になる話。
いわば
江戸歌舞伎版「ガラスの仮面」。
四歳で両親と死に別れ、船頭をする祖父に引き取られた中村仲蔵、
祖父の船の客になった謡の師匠の養子となったが、
謡が合わずにあちこちたらいまわし、
伝九郎という歌舞伎役者に引き取られて子役に。
子役ができなくなった14歳くらいで一度歌舞伎から離れるが、
19歳で役者に戻り、大部屋役者、いわゆる「稲荷町」に。
「稲荷町」の上は「中通り」、
これはほんのちょい役ながらひとつかふたつは単独のセリフがある。
「中通り」の上が「相中」、
これは脇役ながらそれなりの役がつく。
そしてその上が主役クラスを勤める「名代」。
仲蔵の頃には歌舞伎界、すでに血筋主義になっていて、
歌舞伎界のそれなりの家の出身でないと「相中」以上にはなれなくなっていた。
仲蔵、まじめに精進していたおかげで、四世市川團十郎のところで中通りをつとめることになる。
花道を走り出てきて、花道7:3のあたりで座り、
舞台にいる團十郎扮する殿様に来客を告げるだけの役。
ところが芝居は替わっても仲蔵の役はほぼ一緒、
毎日毎日おんなじようなことをやってたせいで、
最初の緊張感が抜けてしまい、
ある日、いつものように花道途中で膝を付いたところで、
團十郎に告げるべき来客の名前が頭からすっぽ抜け、思い出せない、という事態が起こる。
仲蔵、立ち上がり、さらに花道を進んで舞台へ。
團十郎の耳元に口を寄せ、小声で
「すいません、名前を忘れました」。
客はもちろん仲蔵が言うべきセリフを忘れたなどと思わない。
来客の名前を團十郎に耳打ちしたものだと思う。
この機転から、團十郎は仲蔵を、
仲蔵のような歌舞伎の家の出ではない者がまずあがることはない「相中」にあげる。
周囲の反対を
「俺がそうしたいんだよ」の一言で押し切って。
相中となった仲蔵、
「鎌髭」という芝居で團十郎と共演することになる。
團十郎は倒幕を企てて六部姿で全国を巡る平家の残党。
仲蔵は宿屋を営む幕府の隠密。
仲蔵が草を刈ってるところに團十郎の六部が来て宿を乞う。
顔が剃りたいので剃刀はないかと問う六部に、宿屋の主人の仲蔵、自分はこの草刈鎌でいつも剃ってるからあんたも剃ってやろうと、剃るふりをして六部の喉をかききる。
が、團十郎は死なずに見得をきる。
普通は見得を切って客が湧いて終わりのはずなのに、
なぜかもう一度客が湧く。
不思議に思った團十郎、他の役者に尋ねると、
正面を向いた團十郎の後ろで、仲蔵が團十郎と自分が手にした鎌を、不思議そうにかわるがわる見ていたせいだった。
この工夫で團十郎はまたもまわりの反対を押し切って仲蔵を名代に。
「俺がそうしたいんだよ」の一言で、仲蔵を相中にした四世團十郎であったが、
相中にしたときとは比べものにならないくらい激しい周囲の反対に、このときは
「あいつは名代にしなきゃならないことに、俺が気づいちまったんだよ」と。
ところが名代となったものの、周囲の嫉妬で仲蔵は四面楚歌、
なかなか役が回ってこない。
そこにやっと回ってきた役が、忠臣蔵五段目の
斧定九郎。
当時は五段目、客の息抜きタイムというか、お弁当タイムだったんだそうです。
おかるの身を売って作った50両、これを勘平に届けに行こうとするおかるの父与一兵衛。
与一兵衛が50両を持ってることを知った斧定九郎、与一兵衛のあとをつけ、夜道で与一兵衛を切り殺し、50両を奪うが、そこに猪がやってきて、その猪を狙った鉄砲にあたって死ぬ。
斧定九郎を猪と間違えて撃ち殺したのが、なんと与一兵衛が50両を届けようとしていた相手の勘平。
勘平は誤って撃ち殺してしまった男が50両もの大金を持っているのに気づき、これを自分の懐に入れてしまう。
元は勘平が受け取るはずだった50両。
それが斧定九郎を経由してしまったばっかりに、
勘平が義父与一兵衛を殺して奪ったことになってしまい、六段目で勘平は切腹に。
わたし、歌舞伎の忠臣蔵は七段目以降しか観てなくて、
おかると勘平については、なんでおかるが遊女に身を売って作った50両を勘平が受け取ったからって、勘平が切腹することになったのか、
ずっと謎だったんです。
そうかあ。
そういうことだったのかあ。
志の輔さんの説明のおかげでやっと事情が判明し、
最前列センターで思わず
「ガッテン!」しそうになったわあああ。
が、つまりは勘平を切腹させるための、
おかるの身売り金をストレートに勘平に渡らないようにするための、
ご都合オリキャラ。
そんで斧定九郎、装束ももっさかったんだそうです。
どてらに頭巾に藁靴。
そういや米朝さんが枕でこの五段目について「季節がわからん」と愚痴ってたのって、特選&上方収録のどの話だったっけ?
ともあれ、やっと回ってきたのが、そういうもっさいぱっとしない役。
これをどうにか工夫しようと芸能部門担当の神様(
名前忘れた…)に3×7=21日間、お参りするんだけど、満願の日になっても、これといったいい案が思い浮かばない。
ところがその帰り道、突然の強烈な夕立に出くわして雨宿りに飛び込んだ蕎麦屋、
そこにびしょ濡れの浪人ものが入ってくる。
伸び放題の月代、合わせを無理やり剥いで一重にした黒紋付、破れ放題の傘。
仲蔵は「これだっ!」と思う。
「忠臣蔵」初日。
仲蔵は全身白塗りに。
黒紋付に帯は白。
着物の裾を尻かたげにし、朱塗りの刀を二本差し。
口元だけ立て一文字に紅を差し、水を頭から何杯もかぶって花道の出のところに。
そこには破れ傘が水につけてあった。
揚幕がシャリンと音たてて開き、仲蔵の斧定九郎、破れ傘をくるくるとまわして水を跳ね飛ばしながら花道へ。
しかし客席は
しーんと静まりかえったまま。
与一兵衛を殺しても
しーん。
突進してくる猪を稲掛け藁の中に隠れてやり過ごし、
出たところで猪を狙った鉄砲に撃ち殺され、口に含んだ紅を仕込んだ鶉卵を噛み潰し、吐いた真紅の血のりが白い喉を伝って白い足へとたらたらと流れても、
やっぱり
しーんと静まったまま。
これはやりすぎた、しくじったと思った仲蔵、
女房に別れを告げ、江戸を出ようとするのだが、表を歩くのをはばかって、建物と建物の間の細い路地を歩いていて、壁越しにこの日の初日を観に行った人の感想を聞く。
仲蔵の斧定九郎が
あまりに凄すぎて声が出なかったと語る芝居好きの職人。
今日まで生きててよかったと語る芝居好きのご隠居。
漏れ聞いた彼らの話から自分が成功したことにやっと気づいた仲蔵、
家に帰ると團十郎の使いが待っていて、團十郎のもとへ。
團十郎に褒められて最後、
「二度としーんとするのは御免です」がさげ。
いやもうほんっと気持ちよかった。
カタルシス満載の本当に気持ちのいい話だった。
仲蔵の斧定九郎の凄さを、
芝居マニアの職人が、
芝居ヲタクのご隠居が、
自分がその日どれほど凄いものを観てきたのかを語るところで、
わたし、気が付いたら、目から涙がこぼれてました。
落語聴いて泣いたのは二回目。
最初は特選米朝全集の「まめだ」、
主人公の役者がまめだの亡骸を見て、びっくり膏の使い方を知らなかったまめだを哀れむとこで泣いたのが最初。
気持ちよすぎて泣くというのは、これが初めて。
次はいつ大阪に来てくれるかなあ、
次は何を聴かせてもらえるのかなあと思ってたら、
B'zのせいで今月契約せざるを得なかったWOWOW、
ご新規さんサービスで
いま契約したら一か月分の料金で二ヶ月観られるので、
来月末まで視聴できるんですが、
1月3日にWOWOWで志の輔さんがあるの~♪
「志の輔らくご in Parco」がWOWOWライブで放送されるの~♪
と喜んでたら、今日の朝日新聞の広告。
来年三月、
志の輔さんが堺に来るーーーっっっ!!!
3月21日、堺市民会館大ホールに
志の輔さんが来るーーーーっっっ!!!