うわごと日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

第十一幕「三巴大騒動」

2009-04-29 02:21:00 | 侍戦隊シンケンジャー
怒涛の第十一幕。

殺陣はしょっぱなの、ことはちゃんの刀を借り受けてあわせて二本、ガッと地面に突き立てて、「炎」と「雷」同時発動の「火炎雷電の舞」はばりかっきーは、

第一幕では殿に「しゃがめ」といわれて慌ててしゃがんでいた流ノ介・茉子・千明・ことはが、第十一幕にもなると気配を察して見事なタイミングで腰を落としてたのもよかったなー

後半、
ウシロブシの挑発に「やれるものならやってみろーっ」と盛大な爆発背負って突っ込んでいく殿はなんべん見てもたまらんは、
殿・腑破十臓・ウシロブシの三巴の戦いは、息をもつかせぬ迫力だは、いやもう、堪能させていただきました。
激しさを増すにつれ、刀の軌跡が残像を残すのもよかったなー。

ドウコクたちに攻め込まれ、ほぼ壊滅状態になった中で、先代シンケンレッドが封印の文字を使う、回想シーンもぞくぞくしたっす。

「河童の三平」第一話の地獄の場面とか、
「マグマ大使」の守ん家にお母さんとして入り込んだニンゲンモドキとか、
「妖怪人間ベム」のオープニングとか、最終話の死刑囚の髪で作った鬘の話とか、
小さい頃見て、怖くて怖くて心に焼き付いてるけど、でも悪い記憶じゃないのよね。

わたしにとってのこれらみたいに、
火をかけられた夜の屋敷、
その中でひとり、またひとりと、倒されていくサムライたち、
これがそんな風に強烈な思い出として残る子、きっといると思う。

ところで先代レッドがドウコクを封印した文字、
一時停止してじわじわコマ送りしたら、「侍」?
偏は違うかな? でもつくりは「寺」みたいな感じしねえ?
 
そんで殿です。

第一幕、アヤカシ出現にシンケンジャーを召集しようとするじいに、
ドウコク相手にひとりで戦い続けるなど無理だと説くじいに、

殿 「だからだ。そんな奴との戦いに巻き込んでいいのか? 会ったこともない奴らを」

しびれました。
最初にじいが「そろそろシンケンジャーを召集したほうが」と言い出したときの「俺ひとりでいい」という言葉は、己の力への過信ではなく、人の命を預かる重みをわかっているからだったのかと、
ここでまず、「今年の戦隊、大当たり~♪」を確信しました。
これから一年間、殿についていくぞっ、と思いました。

そのあとの、五人結集しての初めての戦いで、
殿を守ろうとする流ノ介に「お前は自分を守ってろ」にも心臓射抜かれたわ~。

ところがこの第十一幕で、
ドウコクを封印できる文字があること、
その文字は志葉家の者にしか使えず、いま現在、志葉家で生き残っているのは殿ひとりであることが、ドウコクの知るところとなり、流ノ介たちにも明らかとされる。

すなわち。

ドウコクを封印するまで、今度こそ完全に封印するまで、自分はなにがあっても死ぬわけにはいかない。
が、そのために他の四人に守られること、彼らが彼らの命を己のために盾と使うこと、それを是とできるはずもない。

いやもう、殿が辛そうで辛そうで、満腹です。
おなかいっぱいなのに、見ても見てもまだ足りません。
次幕でとりあえずはこの問題を乗り越えてしまいそうなのは、惜しい気すらします。

最後のナレーションも、いつもと違う終わり方で渋かったわ。

そんで殿ですがな。
ひっそり家出あそばされた殿ですがな。

家出ったって、殿、流之介たち以外に友達いませんよね?
いったいどこへ…。
それより、えっと殿、財布もってます?
てか、自分でお買い物とかしたことあります?
お金って知ってます? 自分で使ってみたことあります?
いや、それ以前に、外道衆倒す用事以外で、おひとりで外出とかなさったことってあります?

すげー心配です………。
 
 
ところで殿はわりと小洒落た格好をなすってることが多いのですが、
今風のショップで自分の服を選んでいる殿というのは想像できません。
着る服のコーディネートをあれこれ悩んでいる殿というのも埒外です。

きっとね、黒子の中にばあや体質の人がいて、
その人が殿の服を調えてて、
「明日は何をお着せしましょう♪」
と、殿を着せ替え人形にしていると思うの。

そんでね、そのばあやさんな黒子さん、召集されたサムライたち、
特に茉子ちゃんとことはちゃんを、着飾らせたくてうずうずしてるの。
でも、小さい頃からお世話してきた殿と違って、「着せたいー。あんなのとかこんなのとか着せたいー。でもあの方たち、ご自分の服はご自分で選んでらっしゃるしー、そこへどうやってしゃしゃりでれば…」と手を出しかねてるの。

で、殿はその黒子さんが揃えた服をお召しになってるだけー。
もし、そのばあやな黒子さんが他に用事あって、別の黒子が殿のお召し物の用意をまかされてみょーちくりんな取り合わせで用意してしまったとしても、
夏に分厚い長袖とか、冬に半そでとか出されない限り、
まったく気にせず着ておしまいになると思うのよ、殿ー。

……真冬、ものごっつい寒い日に、ガチャピンのもこもこのあったかそうな着ぐるみ出しといたら、着るかな、着てしまうかな、殿………。

 
そんで端午の節句前の志葉邸、
いつもみんなが集まってる部屋にいつも飾ってある鎧兜、
その前にお神酒と柏餅とちまきがお供えしてあったのが、ステキでした。
お神酒には神酒口みきぐち差してあったのに、「あれ、うち、正月だけ出すけど、あれってなんつうの?」と一生懸命検索しました。そうか、神酒口っつうのか、覚えとこ。



 
ところでこんなもん作ってみました。
クリックすると、印刷用サイズのが開きます。



よろしければ、チャレンジください。
鍛えろモヂカラ!






横山裕さま。

2009-04-29 01:35:00 | 関ジャニ∞
前略

26日のvol.9、27日のvol.10の内容があまりにも気にかかりましたもので、
一筆奏上させていただくことにいたしました。

私事で恐縮ですが、我が家には三匹の猫がいます。
巳夜子という、この春13歳か14歳になる、ものすごく性格の悪い猫と、
茂吉という、今年の秋たぶん10歳になる、ガラの悪い猫と、
徹平という、いま1歳5ヶ月の、欲望のままに生きている猫です。

茂吉はにょろにょろと長細い生き物ですが、
巳夜子と徹平はデブです。
巳夜子は一日の大半を動かずぐーたらしていますが、
徹平は、



起きている時間の3分の1は家の中を全力疾走していますが、



こんなにデブです。
見事にお歳暮のハム体型の黒豚です。

こんなにいっぱい走ったり走ったりしてるのにこんなにデブなのは、
食べるからです。
なんでも食べるからです。
私が食べるものをなんでもかんでも一口欲しがるからです。
今の大好物はスーパーの惣菜コーナーの巻き寿司やお稲荷さんの甘めの酢飯です。
お稲荷さんのお揚げさんのところも、甘くてたまらないのだそうです。

ですから。

コンリハでこんなに動いてるんだから、ちょっとくらい食べてもいいか、ってのは間違ってるのよーっっっ!!
動いて消費するカロリーなんか、たかがしれてるのよーーっっっ!!
あんたが月の満ち欠けみたいに太ったり痩せたり太ったり痩せたりするのはいつものことだけど、
いまあんたが太ったら、本間(※)が太るのよーーーーっっっ!!!

※「本間」 「ザ・クイズショウ」で横山裕が演じている役

「拝啓、父上さま」の時夫もよかったけど、「有閑倶楽部」の清四郎も大好きだけど、「DREAMBOY」を観て以来、こーゆー横が、クレバーで不穏で冷酷な横が、ずーーーーっと観たかったのよーーーっっっ!!

たつよし、お前もだっ!!
「ザ・クイズショウ」の収録さえ終わったら、どんだけ巻き添えにしてもいいから、
今は横山裕の前で喰うなっ!!
喰うなら隠れてこっそり喰えっ!!
 
と大倉くんにもお伝えください。
ドラマ、がんばってくださいね。

                        かしく


追伸:葉子ちゃんというお友達がいま、二十年に一度(十五年だったかも)の抜本的大掃除をしています。
葉子ちゃんはSMAPの吾郎ちゃんの人で、
昔、SMAPがアイドル雑誌にフツーに載っていた頃はもちろん購入あそばされており、大掃除の過程で、それらがぽつりぽつりと発掘され、わたくしどもも余禄に預かっております。
五日ほど前にもまた1冊掘り出され、横山くんが載っていたのですが、それには「マコーレー・カルキン激似の横山くん」というキャプションがついていたそうです…。

追伸その2:その葉子ちゃんですが、横山くんが社長から「ヘンリー」という芸名をつけられそうになった逸話を知り、

「あ、言われてみたら、似てる、似てる」

「誰に?」

「ヘンリー八世」

「……………」

ヘンリー八世というのは昔のイギリスの王様で、血まみれメアリーとエリザベス一世のお父さんで、



の中の、



この人です………。

 
 


月曜日。

2009-04-27 01:30:00 | れいでぃお
かええってきたぞ、かええってきたぞー。
リターンズ

今週からまた、毎週聴けると思い込んでいたのに…。
月曜日だったらナイターたいがいないから時間ずれの心配もないじゃん♪とかお気楽してたのに…。

次回は7月放送予定だそうです、しくしくしくしくしくしく…。

しかし、この3人でやる「いろはにほへと」はやっぱり鉄板やな。

最近のあれこれ。

2009-04-26 03:29:00 | 日常
【最近びっくりしたこと】

■ 「裏正」→「村正」→「かごつるべ」。

「肌が粟立つほどの戦い」を求めて、生きて三途の川に入った男、腑破十臓。
彼の愛刀は「裏正」。
最初、聞いても聞いても「うらまさ」と聞こえるのに、
あんたみたいな危ない奴が愛刀にするなら当然そりゃ妖刀「村正」だろ? しっかり発音しろよー、
と思ったら、唐橋・前世はオルフェノク・充の滑舌が悪いわけではなく、聞えたまんまの「裏正」であった。

御免。>唐橋・あんたがこんな渋いいい男になるなんて、2003年には想像だにしなかったわ・充

で、腑破十臓の刀は「裏正」だったんですが、

いや、びっくりしたね、まさか逆刃刀だったとは。しかも緋村剣心のとは違い、正刃も潰してない、両刃刀

wikiの「日本刀」の「7.3 造り込みの種類」によると、「両刃作もろはづくり」というそうで、「室町時代中期以後の短刀に見られる。7寸前後の懐刀が多く、まれに両刃造りの長刀も存在するが、両者とも直ぐに廃れた」だそうです。へえへえへえへえへえ

そういえば「村正」って、ときどき血を吸わせてあげないとかたかた鍔鳴りがするとか、一度鞘から出すと生きてるもんをなんか切らない限り鞘に「ハウス」しないとか、自分の欲望のために持ち主を操るとか、いろいろ言われてるけど、具体的なエピソードってどんなのかな、とネット調べてみたら。

面白い話が載ってない~。
徳川家が村正を嫌い、そのせいで「妖刀」伝説が作られていったという、まっとうな話しかみつからない~。

他にも名刀とかにまつわる逸話とかも読んでみたかったので、
ググったらまず『名刀伝説』(牧秀彦 新紀元社)というのがみつかり、図書館探したらあって、しかも誰もいま借りていなかった。

で、借りてきて読んだんですが。

まず伊邪那岐命いざなぎのみことの佩剣「十握剣とつかのつるぎ」から始まったのには笑ったが、
次の項「叢雲剣むらくものつるぎ」から雲行きが怪しく…。
いや、八岐大蛇やまたのおろちの尻尾から出てきたのを素戔嗚尊すさのおのみことが姉天照大御神あまてらすおおみかみに献上したとか、そーゆーまともな説明はあったんですが、叢雲剣の登場する話として紹介されてたのが「妹背山婦女庭訓いもせやまおんなていきん」なる歌舞伎の演目で、いやもう、これがとんでもねーのなんの。
しばし呆然としたものの、気をとりなおして読み進めて、やっと判明したのだが。

この本、実在の刀も混ざってるけど、コンセプトとしては、歌舞伎や浄瑠璃に登場する名刀妖刀の紹介、であったのだ。

あちゃー。
わたしが読みたかったのは「実在の人物が愛用していた実在の刀にまつわるうさんくさい逸話や伝説」だったのなのなのなの…。

ともあれ、めんどくさいとこはとばしとばし読んでたら。

「村正」の項が。
おお、やっと「村正」~♪と思ったら、その横に「籠釣瓶かごつるべ」の文字が…。

え、え、え、「かごつるべ」って、こないだまでうちの安(安田章大) がやってた芝居のタイトルじゃんーーーっ!!

チケット申し込みはしたんです、こっちは片仮名の「カゴツルベ」。
でもハズレてさー、観に行かれた方々がお書きあそばされてる感想とか、やさぐれてぜんぜん読んでなくて、だから内容もぜんぜん知らなかったのよ、「カゴツルベ」。

タイトルがまさか刀の名前、それも「村正」だったとはー。
「かごつるべ」なる異名をもつ「村正」が大暴れする話だったとはー。




 
■ 安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んだ叢雲剣はレプリカ、かも。

で、さっき書いた「叢雲剣」ですが、わたし、これの本物は平家滅亡のとき、安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んで、熱田神宮にあるのはレプリカと、ずーーーっと思ってたんですよ。

が、これもさっき書いた『名刀伝説』、これの巻末の参考文献一覧の中のおもしろそうなのをまた図書館で借りてきたんですが、
その中に『日本刀よもやま話』(福永酔剣 雄山閣)ってのがあったんですが、それのしょっぱなの「皇位と神剣」の中に、

「熱田神宮は、日本武尊やまとたけるから草薙剣くさなぎのつるぎ(=叢雲剣)を預かった宮簀媛みやすひめが、それを神として祀ったのが始まり、とされているが、確証はない」(19頁より無断転載

その後、熱田神宮から盗まれるという事件があり、熱田神宮に置いておくのは危険だと皇居に戻されたのだが。

「第四十代天武天皇が病の床に臥せられた。陰陽師に占わせたところ、神剣の祟りと出たので、さっそく熱田神宮に返還された。それ以来、連綿こんにちに至るまで、同社に鎮座ましましている」(20頁より無断転載

どっひゃー。

と、『日本書紀』下巻(訳:宇治谷孟 講談社学術文庫)を引っ張り出してみれば。

「(朱鳥元年六月)十日、天皇の病を占うと、草薙剣の祟りがあると出た。即日、尾張国熱田社に送って安置させた」(308頁より無断転載

うっわー、ほんまやー。

が、あらためてwikiの「叢雲剣」の項を読んでみたら、
熱田神宮のが本物説と、本物は壇ノ浦の底説と、決着はついてないらしい。

このネタ調べてっ、「決着!歴史ミステリー」っっ!!
 
しかし、ほんまもんがずーっと熱田神宮にあったのなら、「太平記」の立つ瀬は………。
 
 
■ 7000年前、大阪市内の大部分は淀川の河口だった。

24日の「ビーバップハイヒール」で初めて知りました。
それによると、7000年前の大阪市は、



24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載



24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載

で、河口にあった島々の名前がいまの地名に使われてて、だから大阪市内って「島」のつく地名が多いんだって、へえへえへえへえへえ。

その後、淀川の運ぶ土砂がどんどん溜まってったけど、織田信長&豊臣秀吉が大阪城建てて、

この回のかしこブレインだった奈良大学の地誌のセンセによると、最初に織田信長がいま大阪城あるとこに大阪城建てて、信長が死んだ次の年に今度は秀吉がそれをでっかいのに建てなおしたんだって

あたりを開発しだすまでは、ずくずくの湿地帯だったんだって、へえへえへえへえへえ。

したあとで、思い出したんですが。

無事故の日なし大化の改新のあと、皇極天皇の弟の孝徳天皇が即位して、都が飛鳥板蓋宮あすかのいたぶきのみやから難波長柄豊崎宮なにわながらのとよさきのみやに移されたんですが、戦後の発掘でみつかったその場所が、



GoogleMAPより無断転載)

なんです。
ということは、さっきの7000年前の地図でいうと。



ビーバップハイヒールより無断転載、無断プチ二次加工

このへんか?
 
「ビーバップハイヒール」の奈良大のセンセによると、
信長は海外進出のためにこのあたりに目をつけたということですが、
それより、ええっと、1580年くらい?-645年=900年ちょい前、
中大兄皇子や藤原鎌足も、信長とおんなじようなこと考えたのかな?

が、中大兄皇子たちは十年もしないうちに、孝徳天皇ここに置き去りにして、もとの都に戻りますが

でも、中大兄皇子、即位してから琵琶湖畔に都開くのよね。織田信長の安土城も対岸側だけど琵琶湖畔。その上、難波に目をつけたという共通点まであったのか


 
■ 関ジャニ∞の「無責任ヒーロー」や「ズッコケ男道」の詞を書いて、今月からNHK総合の「あほやねん、すきやねん」金曜日レギュラーの、イナズマ戦隊の上中丈弥は堺出身。

って、お前、第八学区やったんかーっ!!

と高校調べたら、美原にある農芸高校でした。
あはははは、むっちゃジモやんけーっっ!!

 
おかしいな。
今日の大事件はなんといっても「殿の家出」だったはずだったんだが、
なんでわたし、こんなもん書いてんだろう………。
 
 
そんで。

【最近、困ってないけど困っていること】

■ 溝端淳平と東京一郎あずまきょういちろう@「秘密のケンミンショー」の見分けができない。