このシリーズも6回目となりました。
で、何度も出ていますが、『呼吸』ということはどうやら核(コア)をなすキーワードのようです。
そもそもなんで『呼吸』なのか?
わたしなりに考えてみました。
その結論としては、
『呼吸』は『魂』を肉体につなぎとめる『鎖』のようなものではないのかと。
そう思い至りました。
呼吸ができなければ、肉体を維持することはできません。
でも、『魂』自体は不変で不滅のもの。
だから、呼吸できる、できないはあまり関係はない。
でも、この小さな器(肉体)に魂をつなぎとめるためには、魂が肉体にとどまるためのそれなりの理由が入ります。
以前にも何回か書きましたが、『魂』はエライ快楽主義者ですから、悲しいこと、つらいこと、ストレスなどを感じるとイヤになってわたしたちの身体から「逃避」してしまいます。
魂が逃避してしまうと、当然ながら思考は自我に支配されたものとなり、周りの状況に大きく左右されいわゆる『ブレた状態』になります。
で、そんな時に意識をして深呼吸することによって、『魂』に
まだ、わたし(の意識)はここにいるの!だから出て行っちゃダメ!!
と言い聞かせるのではないか、とわたしは勝手に思っています。
でも、実際、意識して深呼吸することによって自分の芯がシャンと整う感じがするのであながちでたらめではないんじゃないかと思っています。
魂がまちがいなく肉体から離れ引き上げる時、それは肉体が「死」を迎えたとき。
呼吸は肉体を維持するための必要不可欠なもので、呼吸が正しく行われているということは「肉体は生きている」ということを示します。
ですから、意識的に呼吸をすることによって、
「わたしは今、この身体でこの世界に生きている」
と魂に宣言するのではないか、
呼吸とは
「わたしが今、この世界で身体を持って生きている」
のだと確認する行為なのではないかと、そう思うのです。