今日は今年一番の夏日。
東京でも30度超えです。
こう暑くなると食欲がなくなるよねー、と職場で話していたら急に『冷汁』が食べたくなりました。
と、いうことで今日の夕食は自家製冷汁と牛タン塩。
牛タン塩は最近めっきりスーパーで見かけなくなって、たまにあるのはアメリカ産。
アメリカ産はねぇ。ちょっと・・・。狂牛病とか心配だし。
だから、高いのは承知の上で横浜駅の成城石井で国産和牛の牛タンを購入。
外食よりは安いはず・・・。
店内をぐるっと回ってレジへ向かう途中、見つけてしまった。
今日みたいな暑い日にピッタリの微発泡性の冷酒。出羽桜『咲』。
こちらも購入。
そして家に帰って、ポードペシェの泡風呂で汗を流した後はキンキンに冷やした出羽桜と枝豆で乾杯
そして、自家製冷汁。
満足、満足
節電の影響のお陰というのもなんですが、社内はいつもに比べて冷房が控えめだからかなり過ごし易いし、街を歩いていても各テナントから漏れる大音量のBGMもなく静か。
節電の意識が高まってこの状態なら、普段からこの状態でいいじゃん、と思う。
夏なのに防寒対策が必要なくらい室内をキンキンに冷やさずともいいだろうし、話し声がかき消される位の大音量のBGMなんて必要ないし。
節電の影響を我慢するどころか、わたしにとってはこの状況のほうがかえって過ごしやすい。だから、節電をする必要がなくなっても無理に電気を使わず、今の状態でいいじゃん、今の状態を普通にすればいいじゃん、と思うのです。
こんなことを考えるようになったのもやっぱり、震災があったから。
震災があって、大変なことになってはじめて気づいたこと、考えさせられたことがたくさんあります。
たくさんある中で、とくに大きな問題が『原発』。
福島の『原発』が津波で大変なことになって、その所為もあって電力不足で節電を余儀なくされているのですが、こうなってはじめて『原発』が実にいかにいい加減な認識のもと、運営されてきたかが否が応でも知ることとなりました。
それにしても、原発推進のキャッチフレーズのいい加減なことといったら・・・。
原発は環境に優しいクリーンエネルギー
⇒土壌、大気、海、地球のありとあらゆる場所を放射能汚染させておいて何を言いますのそれも、汚染を浄化する方法は地球の浄化作用に100%依存。完全に浄化されるまでの年月はウン百年とも。
原発は安全
⇒って、大ウソ。原発のせいで家や故郷を失うことになった、たくさんの人たち。いつ戻れるのかも全くわからない・・・。
原発は安価
⇒今回の事故で地域の人の生活保障はもちろん、出荷制限などで損害をこうむった農家、漁業関係者への損害賠償など多額の賠償金が必要になります。結果的にはたぶんこの賠償金も我々の税金が投入されることでしょう。
こんないい加減なうたい文句にわたしたちは洗脳されてきたわけですが、ここにきて、イヤというほど実態を見せ付けられて、もはや自分自身をごまかせなくなりました。
やっぱり原発は危険だった、人の手に負えるものではなかった
のだと。
いままでの日常が原発の危険と隣りあわせで成り立つのなら、多少不便な日常を送ることになっても原発なんてないほうがいい。
原発だけではなく、いままでないがしろにしてきた家族や地域の絆の大切さ。
ごくごくありふれた普通の日常が、実は、当たり前で、永久に続くものではなく、あっという間に崩れ去ってしまうもろいものだったということ。
だからこそ、普通の生活を送れることが本当にありがたいことなのだということ。
今回の震災後、いままではあえて考えようとしなかったことに本気で向き合い、思う人が本当に増えたと思うのです。
そして、今年も前半を折り返して後半戦。
いままで得たたくさんの気づきを自分の中で消化して、今度は自分のものとして日々の生活に落とし込み、のこり半年を更にパワフルに過ごしたいものです。
今日はもう、すっかり夏ですな。
節電の影響で社内も冷房は禁止。事務所内の窓という窓は全開。
心地よい風が夏の匂いを運んできます。
いままではチョコット汗をかく位になると、即座に冷房のスイッチON。
で、設定温度はこれでもかの18度。
外から来る人はいいだろうけど、日がな一日中、室内にいるわたしは冷房が入るとひざ掛け、ウールのカーディガンを羽織り防寒。
こんなのおかしい何か間違っている
と、いつも思う最近の夏。
でも、今年は3月の震災の影響で会社にも節電のおたっしが
結果、冷房はまだ使われず。
でも、これが普通だと思うのですよ。
夏は暑くて汗をかくものだし。
窓を開ければ風が入って結構、涼しいし。
去年の夏みたいに、気絶するような暑さになってから冷房かければいいと思う。
なんだか久々に自然な、普通の夏を体感している今日、暦では夏至だそうで、今年も早くもほぼ半分が過ぎました。
思えば、3月の震災から3ヶ月がたち、わたしたちの生活も普段と変わらない日常が送れるようになりました。でも、このたった3ヶ月の間にわたしたちの日常や意識はもはや以前には戻れないくらい、根本的に大きく変わったように思うのです。