嫌な時こそありがとう、そんな話が以前、読んだ本にありました。
そんなの無理に決まってますわ(脳科学者 澤口先生風)。
一千万歩ゆずって、これ以上嫌なことが続かないようにの「えんがちょ」的なおまじないとしても難しいですわ。
と、つい、本当につい少し前まで思っていました。
それが、ある出来事でついについに開眼
それは、ある人に見当違いのことを言われたのがきっかけなのですが、その時は言われたこと自体に全く反応ができず、というか、何を言われているのかがわからなかったのです。自分でも本当にツクヅク鈍いと思うのですが、しばらくたってからなんとなく嫌な気分がフツフツと湧いてきて。湧いてきたらドンドン気分がブルー。あ、こう見えてすごく気にしてしまう性質なんです。だから、最初は自分が相手の気分を害するようなことを何かしたのだろうか?と考えてしまって。
でも、こういう嫌な時こそ強い味方、『セドナメソッド』があるじゃぁないですか
と、いうわけで、この嫌な気持ちを解放してみたのだけど、あまり気分が晴れない
ふと、気が付いたら、相手のことをイロイロ分析している自分がいたのです。
きっと、○○だからそういう風に受け取ってしまったのだろう。とか
自分が○○だから、わたしもそうだろうと決めつけたのだろう。
きっと、この人はかわいそうな人なんだ。
と。
でも、そこで最近ある方から聞いた話を思い出したのです。
状況を分析しない。あるがままを観察し、認める。
そこで、その状況を思い出して観察してみました。
そうしたら、わたしが嫌な気持ちになった具体的な感情が次から次へと湧いてきて・・・。
条件反射的に湧いてきた感情をフリーズ(凍らせる)しようとしている自分に気づいて、なだめて、只々、湧いてくる感情を眺めて味わっていました。
そう、わたしは幼少期の環境から、ネガティブな感情を感じることなくフリーズさせることを覚えました。
その時はそうすることで、自分の精神のバランスを取っていたのですが、結局、いくらその時感情をフリーズさせても、自分の中に溜まる一方でよくない、ということを大人になってだいぶ経ってから知って、そのために『セドナメソッド」という強い味方も手に入れはしました。
でも・・・。
あまりにも長く感情をフリーズする、ということを習慣的にしてきたために、自分では気が付かないうちに、反射的に感情を凍らせて、仕舞い込んでしまうようになっていたのです。
これではいくら、感情を解放するテクニック、『セドナメソッド』を使えても、意味がありません。
だって、解放すべき感情を自覚できていないのだから・・・。
そのことがずっーとネックだったのですが、今回のことで自分の感情と向き合う、ということができたのです
感情を眺めていた最後にこのことがでてきて。
そうしたら、自然とでてきた言葉が
ありがとう
でした。
嫌な気持ちにならなければ、決して自分の感情と向き合う、なんてことはなく、今回のことは本当にわたしにとっては得難い経験をさせてもらうことができ、だから
ありがとう。
心からこの言葉がでてきました。
嫌なこと時こそ、自分と向き合える貴重な機会なのかもしれません。
だから、嫌な時こそ
ありがとう。
あぁ、素晴らしきかな人生。