父親との葛藤、婚家の義母(姑)と義妹との確執・・・
それらが、結局は自分自身の自我の思い違いによって引き起こされたことだと、『天地統一体』とそれを教えてくださる先生との出会いによって、身を持って理解でき、ようやっと長い長い間、がんじがらめにされてきた束縛から解放されることができました。。。
そして、全ては自分の自我の思い違いが原因であったと理解できたとき、初めて、義母(姑)や義妹に対して持つ不快感そのものが自分自身の鏡であったということを認めて受け入れることができたのです。
このきっかけとなったダブル個人セッションで、『天地統一体』の先生と一緒にわたしをセッションしてくださったもう一人の方は言います。
全ての物事には時機というものがあるし、また、物事には必ず順番というものがある。
だから、ここで躓いたから、それならソコはすっ飛ばして、次へ。
ということにはならない。
先へ進めたつもりでも回りまわって、結局はまた元の位置に戻って、ソコをクリアしないと先へは進めない。
と。。。
確かに少し前のわたしは義母と義妹が自分自身の鏡である、ということを認めることが出来ずに、そこはポイ(・x・ノ)ノ⌒ポイッとウッチャッていたのですが、結局は、その先へと進むことは出来ずに、散々回り道をした結果、またもとの場所に立って、自分の鏡と向き合うこととなりました。
だけど、それにもやっぱり時機というのはあって、散々回り道をしながら、自分が取りこぼしてきたことを拾い上げたり、経験を積んだり、自己愛や自己信頼を築き上げたりしてきて、ようやく、この時になって初めて認めることができたのだと思うのです。
そして年が開け2011年、未曾有の大震災がありました。
震災だけでも大変なことに、更に福島の原発事故・・・誰もが放射能汚染に恐怖したとき、わたしも微力ながらエネルギーワークや祈りのサークルに参加しました。
でも、少ししてある時、フト気がついたんです。
自分が本当の意味で何者であるのかということに・・・
そのことに気づけば、放射能も地震も何のことはない。
のですよ。。。本当は。
でも、それは人から話を聞いてどうこう出来るものではなく、自分自身の腑に落ちないと意味のないことなんですが。。。
ともかく、その時から急速に意識が広がりました。
そして5月。
また、恒例のメキシコ人の占星術家、ザビエさんによる個人セッションを受ける時期となったのです。
そして、この時のセッションでは、はっきりとわたしの天命を教わりました。
それに伴って、ブログを始めるように。と去年よりもハッキリと強く言われましたんです。。。
で、結局、ブログを始めることとなりました。
それが、このブログ。
余談ですが、わたしが散々ねちっこく探し回った天職ですが、この天職について少し(・ω・)/
天職とは全ての人が就けるわけではなく、また、天職に就いている人も、皆が皆、生活を支える、いわゆる生計を天職でたてれるわけではないようです。
中には生計をたてるための職と兼業している人もいますし、子供を育てるのが天職である、という人もいます。
さらに、生計をたてるための仕事から天職へと移行するときにも、
今迄の仕事がことごとく上手くいかなくなったり、続けることが出来なくなったりして、天職へと移行せざるをえない状況で変わる人もいれば、
初めは生計をたてるための仕事がメインでありながら、徐々に天職がメインとなるように緩やかに移行する人もいるようです。
わたしの場合は、緩やかに移行するタイプのようで、生計をたてるための仕事から天職がメインへと変わる時期というのが、その時に教えてもらった時点では7年後、ということでした。
だから、現在の段階だとあと6年後ですかね。
6年後、一体どうなっているのか
今からとても楽しみです
とはいえ、具体的に何をどうしているのかが今の段階ではまるっきり見えていないので、今は唯、今できることを楽しんで取り組むしかないんですが。。。
そんなわけで、1ヵ月半続いた『履歴書』もこれでようやっとブログを開設するところまで至り、終了~
となるんですが・・・
ブログを初めてやっと分かったことがあります。
それを最後に〆といたします