何回かに分けて、今から14年前、2004年4月19日に開催された『佐藤康行 復帰講演会』について、書かせて頂きました。
なぜ、私が、これほどまで感動したのか、いや、『魂』動したのか、
それを書いてみたいと思います。
その理由は、講演会から7年前に遡ります。
今から、約20年前の事です。
今、私は51歳ですから、30歳過ぎた頃です。
佐藤学長と出会う前にも、真理との出会いがあったのです。
当時、私は社会に出て8年目、保険会社のサラリーマンの頃。
全国転勤の職種で2~3年周期で転勤し、四国で働いていた頃の事です。
そこで、私は、突然ノイローゼになります。
社内の人間関係で苦しみ、仕事も進まず、仕事上もトラブルを抱えていました。
私に係わる仕事で、必ずしも私に責任がある訳でもないのに、
仕事自体がスムーズに進まず、四方八方から批判され、矢面に立たされ、身動き取れなくなっていました。
何とか、踏ん張って、一つ一つ仕事を片付けていきました。
そして、仕事が一通り一段落着いた頃に、会社より昇進通知をもらいました。
すると、別のグループも責任者として受け持つ事になり、部下の数が倍になりました。
私の仕事自体も倍になりました。
その時に突然、今まで経験した事のない状況が、私に訪れました。
心がピクリとも動かなくなったのです。
人に話かけられなくなりました。
職場で話しかけられても、何を言っているのか、理解できなくなってしまいました。
人とコミュニケーションが取れなくなってしまったのです。
社内文書を読んでも、新聞を読んでも、言葉の意味が全く理解できなくなってしまいました。
部下に指示を出す事もできず、自分自身で仕事をこなすこともできず、未決の仕事が雪だるま式に膨らんできました。
そして、納期に間に合わない仕事が山積みになってしまい、クレームの嵐になりつつありました。
とうとう私は、心が不安恐怖で覆い尽くされ、呼吸が激しくなり、ついには会社に行けなくなってしまいました。
何が起こっているのか、私自身もわかりませんでした。
とにかく、過呼吸の状況が続き、倒れてしまいました。
会社に、『今日は体調が悪く休みます。』という電話一本すら、できなくなってしまいました。
精神科を受診したら、神経症(ノイローゼ)と診断されたのです。
人生で初めての出来事に、私も家族も、どうしていいかわからず、途方に暮れていました。
その時に、真理との出会いがあったのです。
思いの外、長くなってしまいました。(笑)
次回に続きます。
ありがとうございました。