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11月26日(土)に
千葉県睦沢町で行われた
「日の子坂古道再生」の報告です。
7名の参加がありました。
参加者の声
鎌倉時代末、夢窓国師が3年間過ごした千町庄の須賀谷と大上を結ぶ古道が日の子坂古道である。戦国時代末、1589年に長南・武田氏が万木・土岐氏を攻めたが、敗れ敗走し、殿軍を務めた「多賀六郎左衛門」が討ち死にしたことが房総治乱記等の軍記物語に残されている。
今回、長谷川家の御先祖の「多賀五郎左衛門」の兄弟と思しき、「多賀六郎左衛門」の跡を訪ねて、日の子坂古道整備のイベントに参加してきました。
イベントの主催は、NPO法人JUON NETWORKと長く古道整備に当たってきた行政さんであり、日の子坂古道の先の三角点(海抜95m)周辺の立木を伐採し、見晴らしを良くする目的で実施されました。作業現場までは、雨上がりで滑る山道を上がり、伐採現場も急傾斜、久しぶりに山歩きの筋肉を使い、体をねじるような作業姿勢で、翌日筋肉痛が発生しました。
事故も無く、無事作業を終了して、行政さんの案内で「日の子坂古道ツアー」へ移動。尾根上に大八車が一台通れるかという細い道が残っていました。特徴的なのが、両側が切り立った崖となっていることで、房総の山城の“垂直切岸”を思わせる地形でした。こうした狭い道の前後に平坦な場所があり、敵を迎え撃つ小規模な砦の存在を思わせるものでした。
翻って、三角点付近も古道から外れた位置にあり、鞍部からピークの比高が15m近くあるので、街道を監視する、防御施設があったのではないかと想像いたしました。
最後に、日の子坂の合戦で討ち死した将兵の“首塚”にお参りしてきました。樹木がうっそうとし、地元の方もあまり近づかないそうで、独特の雰囲気が漂っていました。
千葉県睦沢町で行われた
「日の子坂古道再生」の報告です。
7名の参加がありました。
参加者の声
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鎌倉時代末、夢窓国師が3年間過ごした千町庄の須賀谷と大上を結ぶ古道が日の子坂古道である。戦国時代末、1589年に長南・武田氏が万木・土岐氏を攻めたが、敗れ敗走し、殿軍を務めた「多賀六郎左衛門」が討ち死にしたことが房総治乱記等の軍記物語に残されている。
今回、長谷川家の御先祖の「多賀五郎左衛門」の兄弟と思しき、「多賀六郎左衛門」の跡を訪ねて、日の子坂古道整備のイベントに参加してきました。
イベントの主催は、NPO法人JUON NETWORKと長く古道整備に当たってきた行政さんであり、日の子坂古道の先の三角点(海抜95m)周辺の立木を伐採し、見晴らしを良くする目的で実施されました。作業現場までは、雨上がりで滑る山道を上がり、伐採現場も急傾斜、久しぶりに山歩きの筋肉を使い、体をねじるような作業姿勢で、翌日筋肉痛が発生しました。
事故も無く、無事作業を終了して、行政さんの案内で「日の子坂古道ツアー」へ移動。尾根上に大八車が一台通れるかという細い道が残っていました。特徴的なのが、両側が切り立った崖となっていることで、房総の山城の“垂直切岸”を思わせる地形でした。こうした狭い道の前後に平坦な場所があり、敵を迎え撃つ小規模な砦の存在を思わせるものでした。
翻って、三角点付近も古道から外れた位置にあり、鞍部からピークの比高が15m近くあるので、街道を監視する、防御施設があったのではないかと想像いたしました。
最後に、日の子坂の合戦で討ち死した将兵の“首塚”にお参りしてきました。樹木がうっそうとし、地元の方もあまり近づかないそうで、独特の雰囲気が漂っていました。