3月19日(月)〜20日(火)に京都府伊根町・宮津市・与謝野町で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。12名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は北丹後にある重伝建地区:伊根舟宿・ちりめん街道を尋ねました。
雨に煙る伊根湾に、チャーター船を繰り出してもらい、湾を取り囲むようにして海辺ぎりぎりに伝統的な建物が立ち並ぶ中をつぶさに見て回りました。
潮の満ち引きが少ないことから、こんな舟作業のガレージとして、機能的に活用されている光景は、今はもうこのあたりしかないそうです。
約230軒もの舟屋が建ち並ぶ中を、海と陸からの散策で堪能することができ、夜は舟宿で大きな「蟹と魚尽くしの豪華料理」を出され感動しました。
今回は路線バスによる乗り継ぎの旅でした!
伊根から加悦に至る途中で、宮津湾の対岸で「逆の天の橋立」が見える「傘松公園」に寄りました。
北から見る天橋立の眺めは「昇龍観」と呼ばれ、南から見るものと違った絶景を見ることができました。
江戸期より加悦地区に「ちりめん」の製織技術が伝えられ、「丹後ちりめん」の発祥の地として、大いに栄えた町です。
匠の伝統は加悦(かや)の名が示すように、古くは朝鮮半島からの畿内への丹後ルートにあったからかも知しれませんが、特に大正から昭和時代にかけての立派な屋敷が、今でも現役住宅として活用されていることからも伺えました。
なかでも昼食を御馳走になった井筒屋さんの心にこもった“おもてなし”と、ガイドさん方のこよなくこの町を愛し誇りとする心意気を感じさせてくれました。
「町並民家探訪」も特別開催を含めると35回を迎え、畿内にある殆どの「重伝建地区」は訪れました。
今回の訪問では雨に会いましたが、稲作農本に頼らない漁労(海人)と製織(工人)が、この日本でしたたかに生きてきた町並みの、継続の何たるかを知ることができた旅でもありました。
皆さんで、この会の活動反省会と、これからの方向付けを話し合い、今秋から新趣向で再出発(継続が大事)をすることになりました。
関西中国地域ブロック事務局より
今回は北丹後にある重伝建地区:伊根舟宿・ちりめん街道を尋ねました。
雨に煙る伊根湾に、チャーター船を繰り出してもらい、湾を取り囲むようにして海辺ぎりぎりに伝統的な建物が立ち並ぶ中をつぶさに見て回りました。
潮の満ち引きが少ないことから、こんな舟作業のガレージとして、機能的に活用されている光景は、今はもうこのあたりしかないそうです。
約230軒もの舟屋が建ち並ぶ中を、海と陸からの散策で堪能することができ、夜は舟宿で大きな「蟹と魚尽くしの豪華料理」を出され感動しました。
今回は路線バスによる乗り継ぎの旅でした!
伊根から加悦に至る途中で、宮津湾の対岸で「逆の天の橋立」が見える「傘松公園」に寄りました。
北から見る天橋立の眺めは「昇龍観」と呼ばれ、南から見るものと違った絶景を見ることができました。
江戸期より加悦地区に「ちりめん」の製織技術が伝えられ、「丹後ちりめん」の発祥の地として、大いに栄えた町です。
匠の伝統は加悦(かや)の名が示すように、古くは朝鮮半島からの畿内への丹後ルートにあったからかも知しれませんが、特に大正から昭和時代にかけての立派な屋敷が、今でも現役住宅として活用されていることからも伺えました。
なかでも昼食を御馳走になった井筒屋さんの心にこもった“おもてなし”と、ガイドさん方のこよなくこの町を愛し誇りとする心意気を感じさせてくれました。
「町並民家探訪」も特別開催を含めると35回を迎え、畿内にある殆どの「重伝建地区」は訪れました。
今回の訪問では雨に会いましたが、稲作農本に頼らない漁労(海人)と製織(工人)が、この日本でしたたかに生きてきた町並みの、継続の何たるかを知ることができた旅でもありました。
皆さんで、この会の活動反省会と、これからの方向付けを話し合い、今秋から新趣向で再出発(継続が大事)をすることになりました。