5月16日(火)に滋賀県長浜市で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
11名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
さわやかな五月のお天気に恵まれ、雲一片もない青い空と、滑らかな湖上を、船で巡ることができました。
尾上おのえ漁港から菅すが浦うらまで、奥琵琶湖の葛つづ籠ら尾お崎を回りながら、近くに竹生島、西遠くに比叡山・比良山、東に伊吹山・小谷山を遠望しながら、心地よい風に浸ることができました。
菅浦は奥琵琶湖、葛籠尾崎を回ると西側に広がる湖岸の集落でその景観は国の重要文化的景観に選定されています。
北近江の隠れ里ともいわれ、琵琶湖と険しい山々とに囲まれ、周囲とやや隔絶したその地理的環境から独自の歴史と文化を育みました。
“隠れ里”として白洲正子の紀行文で著名になった所です。
舟から上陸して、西に向かい須賀神社至り、ここで西の四足門及び須賀神社(歩ける人)に参拝しました。
菅浦は古来より、天皇の食物を献上する贄人にえびとが定着したのが始まりとされ、この須賀神社は淳仁天皇が祭神として祀られています。
中世から江戸末期までの動向を記す「菅浦文書」(国指定重要文化財)がここで発見され、集落構造や村おきてなどを伝える貴重な史料として著名です。
舟の都合で村落の様子をじっくりとは見られませんでしたが、建屋の佇まいなどは石垣など古いものは除いて漁村といった雰囲気ではなく、
落ち着いた豊かな雰囲気に包まれていました。
帰路は竹生島の近くに寄せていただき、宝厳寺を湖上から拝ませていただきました。
舟を降りて弁当を戴き、高月の近くの渡岸寺に向かいました。
滋賀の奥琵琶湖の高月エリアは「観音の里」と呼ばれ、完成度の高い観音様が多い地域です。
その中でも代表格が、国宝にも指定されている渡岸寺(向源寺)の十一面観音立像です。
平安初期の木造一木彫りだそうですがその立ち姿が白鳳仏にお色気を加えた、実物でなければ体感できない絶妙なお姿で感動しました。
その後、反省会を開き次回の候補地など話し合い秋に実施を考えます。
明るいうちに帰ることができました。
11名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
さわやかな五月のお天気に恵まれ、雲一片もない青い空と、滑らかな湖上を、船で巡ることができました。
尾上おのえ漁港から菅すが浦うらまで、奥琵琶湖の葛つづ籠ら尾お崎を回りながら、近くに竹生島、西遠くに比叡山・比良山、東に伊吹山・小谷山を遠望しながら、心地よい風に浸ることができました。
菅浦は奥琵琶湖、葛籠尾崎を回ると西側に広がる湖岸の集落でその景観は国の重要文化的景観に選定されています。
北近江の隠れ里ともいわれ、琵琶湖と険しい山々とに囲まれ、周囲とやや隔絶したその地理的環境から独自の歴史と文化を育みました。
“隠れ里”として白洲正子の紀行文で著名になった所です。
舟から上陸して、西に向かい須賀神社至り、ここで西の四足門及び須賀神社(歩ける人)に参拝しました。
菅浦は古来より、天皇の食物を献上する贄人にえびとが定着したのが始まりとされ、この須賀神社は淳仁天皇が祭神として祀られています。
中世から江戸末期までの動向を記す「菅浦文書」(国指定重要文化財)がここで発見され、集落構造や村おきてなどを伝える貴重な史料として著名です。
舟の都合で村落の様子をじっくりとは見られませんでしたが、建屋の佇まいなどは石垣など古いものは除いて漁村といった雰囲気ではなく、
落ち着いた豊かな雰囲気に包まれていました。
帰路は竹生島の近くに寄せていただき、宝厳寺を湖上から拝ませていただきました。
舟を降りて弁当を戴き、高月の近くの渡岸寺に向かいました。
滋賀の奥琵琶湖の高月エリアは「観音の里」と呼ばれ、完成度の高い観音様が多い地域です。
その中でも代表格が、国宝にも指定されている渡岸寺(向源寺)の十一面観音立像です。
平安初期の木造一木彫りだそうですがその立ち姿が白鳳仏にお色気を加えた、実物でなければ体感できない絶妙なお姿で感動しました。
その後、反省会を開き次回の候補地など話し合い秋に実施を考えます。
明るいうちに帰ることができました。