10月29日(土)に行われた
「第13回町並みと民家を訪ねる会」(三重県亀山市)の報告です。
馬子唄が聞こえてきそうな、日本の古き街道と
穏やかで清潔な町並みに心が安らぎます。
当日は10名の参加者で訪ねました。
恒例「町並み民家シリーズ」第13回は、伊勢:関宿を訪ねました。
江戸の日本橋から京都まで東海街道として53の宿場が整備されましたが、
関宿は品川から47番目の宿場町で、これら多くの街道町の中で
唯一当時の町並みの面影を色濃く残してくれています。
中世は「関:地蔵院」の門前町として、賑わったようです。
東海道の鈴鹿越えをして、大和路・伊勢路への追分(分岐点)が
あったところで、古来宿場町として繁盛しました。
そんな町並みを歩いてみました。
街道町の見所
「街道」だなあという風情がひと目でわかる町並みは
電信柱のない通りと合い和して、雰囲気がよく伝わります。
この町の良さは宿場・街道として、今もその町並みの風情を残しながら、
生活を営んでいることであり、その存続価値にあります。
古きものが忘れられがちの今の世で、日本の「ふるさと」の
原風景の一部を今も大切に続けようとする心意気が大いに共感でき、
活きた場としての存続に感銘を受けました。
町並家屋の見所
明治・大正の建屋が多いですが、江戸からの町並み、
雰囲気を持った穏やかさのある宿場町としてのなごりが随所に残っています。
*本陣は残っていませんが、旅籠としての家屋が街道に沿って残っています。
*高札場・ご馳走場といった当時の公的施設「関の山」の語源が残る、
山車(だし)倉があちこちに見られます。
*現在も商い中の、古くからある看板のお店。
*なぜか街道の北側に集中して残るお寺が細い路地を入ったところに見られます!
地蔵院から新所町から「西の追分」へ
中町から西へ地蔵院を望む
古家屋の百五銀行から東へ木崎の町並
「第13回町並みと民家を訪ねる会」(三重県亀山市)の報告です。
馬子唄が聞こえてきそうな、日本の古き街道と
穏やかで清潔な町並みに心が安らぎます。
当日は10名の参加者で訪ねました。
恒例「町並み民家シリーズ」第13回は、伊勢:関宿を訪ねました。
江戸の日本橋から京都まで東海街道として53の宿場が整備されましたが、
関宿は品川から47番目の宿場町で、これら多くの街道町の中で
唯一当時の町並みの面影を色濃く残してくれています。
中世は「関:地蔵院」の門前町として、賑わったようです。
東海道の鈴鹿越えをして、大和路・伊勢路への追分(分岐点)が
あったところで、古来宿場町として繁盛しました。
そんな町並みを歩いてみました。
街道町の見所
「街道」だなあという風情がひと目でわかる町並みは
電信柱のない通りと合い和して、雰囲気がよく伝わります。
この町の良さは宿場・街道として、今もその町並みの風情を残しながら、
生活を営んでいることであり、その存続価値にあります。
古きものが忘れられがちの今の世で、日本の「ふるさと」の
原風景の一部を今も大切に続けようとする心意気が大いに共感でき、
活きた場としての存続に感銘を受けました。
町並家屋の見所
明治・大正の建屋が多いですが、江戸からの町並み、
雰囲気を持った穏やかさのある宿場町としてのなごりが随所に残っています。
*本陣は残っていませんが、旅籠としての家屋が街道に沿って残っています。
*高札場・ご馳走場といった当時の公的施設「関の山」の語源が残る、
山車(だし)倉があちこちに見られます。
*現在も商い中の、古くからある看板のお店。
*なぜか街道の北側に集中して残るお寺が細い路地を入ったところに見られます!
地蔵院から新所町から「西の追分」へ
中町から西へ地蔵院を望む
古家屋の百五銀行から東へ木崎の町並