週末、モンテッソーリの研修に行ってきました。
大人の態度はどうあるべきか?
子どもが次のステップへ移行しようとしているとき、
どんな対応すればいいのか?
など、自分の子育ても振り返りつつ、
受講してきました。
大事なことはたくさんありましたが、
特に私が、気に留めておきたいと思ったのが
これです。↓
「子どものありのままを認める」
子どもが親の思い通りにしていなくても、
それはそれと子どもを認めること。
「子どもを評価しない」
子どものありのままを認めるとつながっていると思うのですが、
できているか、できていないかで評価しない。
子どもが自分でよかったと思っていることを
「よかったね」と、一緒に喜ぶ。
頭では、分かっていても、
自分の思い通りにしようとしている自分がいるなぁ・・・
と耳が痛かったです(><)
どうしても母親は、一心同体になりやすいんですよね。
別の人格をもつ人間であるにもかかわらず。
見えないへその緒が、まだつながっているかのように。
「評価しない」
モンテッソーリ園ではなかった評価ですが、
小学校に入ると、評価の世界に突入です。
※小学校の先生も読んでいらっしゃると思うので、
以下、お気に召さない内容でしたら、ごめんなさい。
私個人の思いですので、読み流してください。
小学校に入学してからびっくりしたのが、
日記や作文に、先生が書いてくださる
大きな「ぐるぐる花丸」です。
赤ペン先生のようにコメントも書いてあります。
日記も作文も評価対象なんですね。
自分の子ども時代を思い出せば、普通のことですし、
子どももうれしいのだと思いますが、
モンテ園では、作品はもちろん、日記や作文などにも、
○もコメントも書いてありません。
(まだ文字が書けないときの絵日記には、
先生に説明して、先生が文を書いてくださっていました)
ひらがなが見本通り書けたかどうか、
○をつけたりしませんし、なおしたりもしません。
切手あそびで足し算や引き算をやっても、
自分で答え合わせをして、間違っていたら、
やり直すだけで、先生は○をつけたりしません。
本人の書いた文字だけが残っています。
「子どものやる気を引き出すために、
花丸やカタツムリの○など、○のつけ方をいろいろ工夫するとよい」
と何かで読みましたが、モンテッソーリ園で○をつけてもらわなくても、
子どもは自分がやりたいと思えば、どんどんやっていきます。
私も子どもたちに評価しない言葉がけをしようと気を付けています。
ところが、自分の子どもとなると、失敗だらけです。
五重の花丸か、三重の花丸かを見てしまうし、
テストで、点数や×(レ点)の数を見てしまうとか。
赤ペンで目立つからなんでしょうか?
自分が評価社会で生きてきたからなのでしょうか?
○に惑わされてしまいます。
○の数だけでなく、
その○の中に、子どもが、がんばって書いた文字を
ちゃんと見ているだろうか?
と、ふと、考えてしまいました。
○に惑わされないで、中身を見てあげようと
気づいた日でした。