故:宜保愛子氏のおっしゃっていることと、飯田史彦先生や江原啓之氏のおっしゃ
っていることに相違があった場合、私は「飯田先生」「江原さん」の考え、おっし
ゃることを信じています。
しかし、故:宜保愛子氏の書籍でなかなか具体的なことを言っていることは、
もちろん共感できるところも多いというのが事実です。
故:宜保愛子氏は、
「死んですぐに霊は上るのではありません。」
「しばらくは家の周辺に留まっています。」
「自分のお葬式も家の屋根の近くからじっと見ています。」
「生前に親しかった人たちの顔を見ながら、『あの人が来てくれた。この人も』
と、ちゃんと見とどけています。」
「自分の親しい人たちが生前、『きみの葬式には、どんなことがあっても
駆けつけるから。』とうまいことをいっていながら、来てくれないとがっかり
します。また、『あの人はそれほど親しくなかったのに、わざわざ来てくれて』
と喜んだりしています。」
とおっしゃって、
「なにもいわなくてもわかってしまうから不思議です。」といい、
恨み辛みがあったとしても、心から哀悼の意を表してくださいといっています。
故:宜保愛子氏 著書「死後の世界 霊から聞いた霊界の本当の姿」日東書院
・・・
やはり、「見ている」んですよね。
見れるんですよ。
他書でもそうですが、
あまり悲しみすぎると仏様も安らかに成仏できずないともおっしゃっています。
分かっているんですけどね。。。
しかし、このような話に目を通しますと、
故:宜保愛子氏がおっしゃっていたことで、矛盾を感じるところが
出てきてなりません。
「寂しいとか、悲しいという感情は生きている人間だけのもので、霊にはそのよう
な感情の表現などありませんから、能面のように無表情で行進するのです。」
や、霊界で誰かと会っても、
「感情を表現するという肉体的機能が、まったく失われてしまっているように、ど
こかでいつか見たことのある相手がいるという程度の反応しか示さないのです。」
という言葉と正反対なことだと思います。
「おっ、あの人が来てくれた。嬉しいなぁ」
「あいつは、来るっていってたのに・・・ガッカリだ」
と思うということは、
「死んでも(死後も)、飯田先生や江原さんのいうように『意識』もあるってこと
じゃないの!」といいたい。
なぜ、宜保さんは頑なにこのような故人を思う遺された人が期待したいことを
否定するようなことを書いたのかちょっと理解できません。
こういう幽霊とか魂なんていう話は、「矛盾点が出てくる=怪しく思う」
のは人として当然の心理ですから。
・・・
っていることに相違があった場合、私は「飯田先生」「江原さん」の考え、おっし
ゃることを信じています。
しかし、故:宜保愛子氏の書籍でなかなか具体的なことを言っていることは、
もちろん共感できるところも多いというのが事実です。
故:宜保愛子氏は、
「死んですぐに霊は上るのではありません。」
「しばらくは家の周辺に留まっています。」
「自分のお葬式も家の屋根の近くからじっと見ています。」
「生前に親しかった人たちの顔を見ながら、『あの人が来てくれた。この人も』
と、ちゃんと見とどけています。」
「自分の親しい人たちが生前、『きみの葬式には、どんなことがあっても
駆けつけるから。』とうまいことをいっていながら、来てくれないとがっかり
します。また、『あの人はそれほど親しくなかったのに、わざわざ来てくれて』
と喜んだりしています。」
とおっしゃって、
「なにもいわなくてもわかってしまうから不思議です。」といい、
恨み辛みがあったとしても、心から哀悼の意を表してくださいといっています。
故:宜保愛子氏 著書「死後の世界 霊から聞いた霊界の本当の姿」日東書院
・・・
やはり、「見ている」んですよね。
見れるんですよ。
他書でもそうですが、
あまり悲しみすぎると仏様も安らかに成仏できずないともおっしゃっています。
分かっているんですけどね。。。
しかし、このような話に目を通しますと、
故:宜保愛子氏がおっしゃっていたことで、矛盾を感じるところが
出てきてなりません。
「寂しいとか、悲しいという感情は生きている人間だけのもので、霊にはそのよう
な感情の表現などありませんから、能面のように無表情で行進するのです。」
や、霊界で誰かと会っても、
「感情を表現するという肉体的機能が、まったく失われてしまっているように、ど
こかでいつか見たことのある相手がいるという程度の反応しか示さないのです。」
という言葉と正反対なことだと思います。
「おっ、あの人が来てくれた。嬉しいなぁ」
「あいつは、来るっていってたのに・・・ガッカリだ」
と思うということは、
「死んでも(死後も)、飯田先生や江原さんのいうように『意識』もあるってこと
じゃないの!」といいたい。
なぜ、宜保さんは頑なにこのような故人を思う遺された人が期待したいことを
否定するようなことを書いたのかちょっと理解できません。
こういう幽霊とか魂なんていう話は、「矛盾点が出てくる=怪しく思う」
のは人として当然の心理ですから。
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まだ霊界に行ってないからでしょう。
私は、「霊界では感情がない」という故:宜保さんの言葉は、ちょっと違うのではないかなと思っています。表情はこの世に居たときのように豊かには出来ないかも知れませんが、感情=心や念、思いや思考は生身の人間のようにあるのではないかと思っています。でないと、逆に恨む気持ちが抑えきれずに成仏し切れないという未浄化霊の存在というのも有り得ないことになりますし、なにより飯田先生や江原さんの話を読んだり聞いたりしていますと、思い=思念という感情は、やはりあるように思えます。
「死んだ直後に葬式に来てくれない事を寂しがる」という故人もいると思います。葬式にはたくさんの知人友人が来てくれる,あの人ならきっと来てくれると期待していたり、葬式とはそういう場だと思っている方などは、がっかりするのではないでしょうか。
「霊界に行ってないから」
そうでしょうね。いわゆる死後直後は未浄化状態ということでしょうね。
また、亡くなった直後、飯田先生や江原さんの言う通り、肉体から離れてもこの世を生きていたままの思考であったならば、自分が死んだことにうろたえたり、落ち着きを取り戻しても、「あの人は私の葬式には来てくれなかったなぁ」などとこの世的な考え方をしてしまうのではないかと思います。本当に死後の世界というものが存在していて、肉体は無くなっても心はそのままの自分ということであればですけどね。
なかなか体験出来ない世界のことですから何とも言えないですけど、私はそういうあの世があったならばそういう世界なのかなぁと思っています。
またお気軽にお立ち寄りください。
ありがとうございました。