視てもらいに行きましたが、般若心経を108枚書いてきなさいと言われ、
書いてこないと見れない(見ない),それで何を聞いてどうしたいのという
のかなんて言われまして。。。
結局、あまり会話せずに終わりました。
寿命
相手はもう亡くなっているんだから
(私は私で)幸せになって欲しいと言っている
ということくらいでした。
成仏云々の話は、まぁこの前真言宗高野山派の僧侶(おばあさん)
から聞いたことと、酷似していましたが、
「夢に出てこないでしょ」
と言われましたので、夢は何度も見ていますよと言いました。
カテゴリーの「私の夢日記」にある通りですから。
彼女が出来たから報告したいのかとも言われました。
彼女?
そんな彼女なんて作る心の余裕があったら、こんなに悩みませんよね。
後で考えましたら、もしかしたら、
「仮称:田中さんのことかな?」
とも思いました。
確かに、仮称:田中さんの心の病のことでは、私なりに真剣に取り組み
ました。そのときはこの人を助けないとあかん!
とういう気持ちと、もし仮称:田中さんがずっとこの調子なら、私は
自分の人生を掛けてでも一生見ていこうという気持ちでした。
ですが、幸いにも今ではまったくの心配要らず。
昨日も田中さんのお母さんと電話で1時間は話しましたが、もう元気元気
私が初めてお会いした頃の姿に100%戻っています。
今ではご商売もされています。正月には家族親族と共に買い物などにも
出かけ、半年前まで闘っていた心の病はまったくありません。
ですから、一時はずっと守らないととは決意しましたが、私の手を離れ、
今はご自身の人生を歩みだしましたので、私も心のどこかで、
「本当に、元の姿に治ったじゃない」
「役目は、いったん終わったように思うなぁ」
「私も、仮称:田中さんの街に住もうかとも真剣に考え、しかし生活が
できるだろうか・・・などとも悩んだが、どこかス~ッとした」
という心情で、私の思うところ(街)、私の思うようにできる(とりあえず
数年間は地元で貯蓄)という軽やかな気持ちになりました(今、田中さんに
関してはそうです)。
ですから、そこのところを指しての、
新しい彼女のことか?
という見方だったのかなとも思いましたが、
だとしても、読み誤っていますよね。。。
キツイこというけど、
これから先、ずっと結婚しないのか?
相手は亡くなっているんだから、その相手とは無理なんだから・・・
のようなことを言われました。
分かってますよ・・・そんなことくらい・・・ね。
般若心経を書くのはいいですけど・・・
「君は、毎晩般若心経を唱えているよね」
とは言いませんでした。
黙って聞いてまして、般若心経を書いていないということばかり
言いますので、唱えていることに関して、「毎日唱えていても、書かないと
駄目だ」とか何か言うかなと思いましたけど。
それはありませんでした。
そう、私は毎晩般若心経を唱えています。
そのイメージは、「般若心経を書いているかどうか」が分かるのなら、
「『毎日』唱えている」のも伝わるはずですよね。
・・・
私はたとえ「毎晩般若心経を唱えているね」
と言われましても、それは「私のこと」であって、
透視術(これも不思議ではありますけど)のような能力のある人なら
見れることと思います。
驚異の読心術!?ハヌッセンの館のような能力も
確かに凄いなぁとは思いますが、
私は、例えば「永平寺へ行き、10割そばを食べたいといって、わざわざ10割そ
ば屋を探したよね。そしてお店を見つけて入ったら庭が綺麗だったよね」まで期待
したいですが、そこまではいいとしても、せめて、永平寺に関して
「彼女と永平寺が見える(彼女と一緒に行ったことのあるお寺)」
くらいは聞きたいものだと思っています。
私が求めている答え、そして導き方は、
やはり、福島大学の飯田史彦教授の「生きがいの創造Ⅱ」にありますように、
ズバリとしたものです。
江原啓之氏でいうなら「天国からの手紙」のTVで語られる、故人と遺族しか
知らない事実です。
それが、語られないならば・・・
いかに
「亡き彼女はあの世で幸せにしていますよ」とか
「幸せになってほしいと言っているよ」とか
「あなたも苦労したね、彼女も生前頑張っていたね」とか
「成仏していないから、助けないと」とか
の抽象的な言葉をいくら聞いても、万人に言えることですから、
なかなか心底信じられる「お言葉」には思えません。
・・・
書いてこないと見れない(見ない),それで何を聞いてどうしたいのという
のかなんて言われまして。。。
結局、あまり会話せずに終わりました。
寿命
相手はもう亡くなっているんだから
(私は私で)幸せになって欲しいと言っている
ということくらいでした。
成仏云々の話は、まぁこの前真言宗高野山派の僧侶(おばあさん)
から聞いたことと、酷似していましたが、
「夢に出てこないでしょ」
と言われましたので、夢は何度も見ていますよと言いました。
カテゴリーの「私の夢日記」にある通りですから。
彼女が出来たから報告したいのかとも言われました。
彼女?
そんな彼女なんて作る心の余裕があったら、こんなに悩みませんよね。
後で考えましたら、もしかしたら、
「仮称:田中さんのことかな?」
とも思いました。
確かに、仮称:田中さんの心の病のことでは、私なりに真剣に取り組み
ました。そのときはこの人を助けないとあかん!
とういう気持ちと、もし仮称:田中さんがずっとこの調子なら、私は
自分の人生を掛けてでも一生見ていこうという気持ちでした。
ですが、幸いにも今ではまったくの心配要らず。
昨日も田中さんのお母さんと電話で1時間は話しましたが、もう元気元気
私が初めてお会いした頃の姿に100%戻っています。
今ではご商売もされています。正月には家族親族と共に買い物などにも
出かけ、半年前まで闘っていた心の病はまったくありません。
ですから、一時はずっと守らないととは決意しましたが、私の手を離れ、
今はご自身の人生を歩みだしましたので、私も心のどこかで、
「本当に、元の姿に治ったじゃない」
「役目は、いったん終わったように思うなぁ」
「私も、仮称:田中さんの街に住もうかとも真剣に考え、しかし生活が
できるだろうか・・・などとも悩んだが、どこかス~ッとした」
という心情で、私の思うところ(街)、私の思うようにできる(とりあえず
数年間は地元で貯蓄)という軽やかな気持ちになりました(今、田中さんに
関してはそうです)。
ですから、そこのところを指しての、
新しい彼女のことか?
という見方だったのかなとも思いましたが、
だとしても、読み誤っていますよね。。。
キツイこというけど、
これから先、ずっと結婚しないのか?
相手は亡くなっているんだから、その相手とは無理なんだから・・・
のようなことを言われました。
分かってますよ・・・そんなことくらい・・・ね。
般若心経を書くのはいいですけど・・・
「君は、毎晩般若心経を唱えているよね」
とは言いませんでした。
黙って聞いてまして、般若心経を書いていないということばかり
言いますので、唱えていることに関して、「毎日唱えていても、書かないと
駄目だ」とか何か言うかなと思いましたけど。
それはありませんでした。
そう、私は毎晩般若心経を唱えています。
そのイメージは、「般若心経を書いているかどうか」が分かるのなら、
「『毎日』唱えている」のも伝わるはずですよね。
・・・
私はたとえ「毎晩般若心経を唱えているね」
と言われましても、それは「私のこと」であって、
透視術(これも不思議ではありますけど)のような能力のある人なら
見れることと思います。
驚異の読心術!?ハヌッセンの館のような能力も
確かに凄いなぁとは思いますが、
私は、例えば「永平寺へ行き、10割そばを食べたいといって、わざわざ10割そ
ば屋を探したよね。そしてお店を見つけて入ったら庭が綺麗だったよね」まで期待
したいですが、そこまではいいとしても、せめて、永平寺に関して
「彼女と永平寺が見える(彼女と一緒に行ったことのあるお寺)」
くらいは聞きたいものだと思っています。
私が求めている答え、そして導き方は、
やはり、福島大学の飯田史彦教授の「生きがいの創造Ⅱ」にありますように、
ズバリとしたものです。
江原啓之氏でいうなら「天国からの手紙」のTVで語られる、故人と遺族しか
知らない事実です。
それが、語られないならば・・・
いかに
「亡き彼女はあの世で幸せにしていますよ」とか
「幸せになってほしいと言っているよ」とか
「あなたも苦労したね、彼女も生前頑張っていたね」とか
「成仏していないから、助けないと」とか
の抽象的な言葉をいくら聞いても、万人に言えることですから、
なかなか心底信じられる「お言葉」には思えません。
・・・
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