亡き彼女と一緒に走ってきました車ですが、9月20日に
手放しました。
通常の街乗りでは問題なかったのですが、普通車2台を
維持し続けることと、やはりどんどんと不具合の箇所も
出てきましたので、この車を頂いた自動車屋(京都)さん
の所へ行き、廃車の手続きをしました。
23時過ぎに仕事を終えて、少し寝てから行こうと思い
ましたが、朝まで寝てしまうことになると思い、寝ずに
地元から京都へ向かいました。
さすがに、京都まで高速を利用しました。
朝方4時過ぎに桂川PAに着きまして、そこで8時過ぎまで
寝ました。
この車で京都へ来たのは、6年振りくらいでした。
(朝の西大路通)
滋賀県に住んでいた頃、愛知県の春日井市で車を買おうと
して夜逃げされて、亡き彼女とその自動車屋へ行き・・・
亡き彼女は面白がっていましたけどね。そのときの記念?
写真もあります。
そして、当時、勤めていた会社の役員さんが自動車屋をして
いて、使っていなかったこの車を貰い、滋賀に住んでいたとき
から乗っていました。
しかし・・・最近は乗ることが少なくなっていました。
タクシーみたいなクラウン。
車高を下げて、
再塗装もしながら、見栄えを良くして乗ってきましたが、
とうとうお別れのときがきました。
(車高を落とす前の写真)
(純正のホイールをわざわざ買って取付)
京都まで何とか走ってくれました。
自動車屋さんを出たとき、振り返ると寂しくなると思い、
立ち止まらずにその場を去りました。
手放しました。
通常の街乗りでは問題なかったのですが、普通車2台を
維持し続けることと、やはりどんどんと不具合の箇所も
出てきましたので、この車を頂いた自動車屋(京都)さん
の所へ行き、廃車の手続きをしました。
23時過ぎに仕事を終えて、少し寝てから行こうと思い
ましたが、朝まで寝てしまうことになると思い、寝ずに
地元から京都へ向かいました。
さすがに、京都まで高速を利用しました。
朝方4時過ぎに桂川PAに着きまして、そこで8時過ぎまで
寝ました。
この車で京都へ来たのは、6年振りくらいでした。
(朝の西大路通)
滋賀県に住んでいた頃、愛知県の春日井市で車を買おうと
して夜逃げされて、亡き彼女とその自動車屋へ行き・・・
亡き彼女は面白がっていましたけどね。そのときの記念?
写真もあります。
そして、当時、勤めていた会社の役員さんが自動車屋をして
いて、使っていなかったこの車を貰い、滋賀に住んでいたとき
から乗っていました。
しかし・・・最近は乗ることが少なくなっていました。
タクシーみたいなクラウン。
車高を下げて、
再塗装もしながら、見栄えを良くして乗ってきましたが、
とうとうお別れのときがきました。
(車高を落とす前の写真)
(純正のホイールをわざわざ買って取付)
京都まで何とか走ってくれました。
自動車屋さんを出たとき、振り返ると寂しくなると思い、
立ち止まらずにその場を去りました。
一つは・・・・今年5月に息子と死別しました。
管理人さん・・・同じく彼女を事故で亡くされたのですね。
息子も事故死です。
こんなにも悲しい出来事が我が身に起こるとは夢にも思いませんでした。今は前を向いて生きてるだけで精いっぱいという感じです。
もう一つは、私も元銀行員です。と言っても結婚してパートで3年半務めただけですが・・・
3目・・銀行勤めの後資格を取りました。
建設業経理事務士2級です。
猛勉強したのに不況により職を失いました。
また何かに役立てたいですが、今は失業中です。
まだあります。
私は岡山在住です。
倉敷は思い出の場所なんですね。
すごく親近感を覚えコメントさせていただきました。
管理人さんの前向きなブログを読んで私も頑張らないと・・と思っています。
突然長々と失礼しました。
苦しいですけど・・・頑張りたいと思います。
良かったらリンクよろしいですか!?
ずっとこの車を頑張って所有されてきたのですね。
読んでいて、とても胸に迫るものがありました。
切ないとか、簡単な言葉では表せない思いです。
随分と決意がいった事だったと思います。
私も今当時の、もう流石に使えない、様々な品を整理しかけているのですが、些細な品でさえ、躊躇してしまっています。
それが一緒に過ごした車ですから、、その全てまでは察する事が出来なくてもお気持ちお察しいたします。
管理人さん、貴方は私の心の支えです。
大袈裟かもですが、、。
パートナーが旅立ち、そのように過ごされているのは、私の見本です。
表だって手助けの叶わない身ですが、本当に応援しております。
今週は、ほぼ毎日0時まで仕事があり、ブログを見れていませんでしたm(_ _)m
息子さまを今年の5月に・・・事故で亡くされたのですか。。。何とお声をかけたらよいのか・・・ご愁傷さまです。。。
銀行勤務、建設業経理士、岡山とは、何かご縁を感じています。
息子さまを亡くされて、今は悲しくお辛い日々をお過ごしだと思います。そう簡単にお気持ちを切り替えることなどできません。
私も時間がかかりましたが、少しづつ前を向いて歩こうという気持ちへと変わってきていることに、私自身もそう感じています。
無理に、何も考えないようにして、気持ちだけを切り替えることなど、やはり人には心というものがありますので、そのようなことでは出来ませんよね。
約3年間はぼ~っとしていますと、亡き彼女が息を引き取ったときの姿、楽しく過ごした日々がいつも浮かんできました。
しかし、彼女を失ったあとから、読み始めましたブログに紹介しています書籍を読んでいるうちに、心のどこかで「彼女が亡くなってしまったのは事実(現実)」「しかし、自分自身もいつかは逝く道」「多くのスピリチュアルな書籍を読むと、死後、心(魂・意識体)は生きている可能性がある」と思うようになりまして、それなら、寿命までこの世を生き抜いて、死後の世界で亡き彼女に逢おう、それが次に逢える一番の方法だ」と感じて、その考えを自分の心の中にしっかりと持てるようになってきたところから、ようやく一歩づつ歩めるようになってきたと思っています。
楓さまは、今は・・・そこまでの気持ちになられるのは、私は無理だと思います。私もそうでしたから。
亡くなった息子さまに心配をかけることになりますが、今は悲しい気持ち、辛い気持ちは、亡くなられた息子さまに正直と伝えられたらよいと思います。
伝える?と思われるかと思いますが、私は亡き彼女に対して「寂しいじゃないか」「辛いよ」と寝る前に、部屋の灯りを消した中で語りかけていました。
そのうちに、あの世の仕組みのようなものをブログに記載の書籍から知ったのちは、この世では何もしてあげることができない分、自分自身が知った話を語りかけていました。
それが、唯一、先立った最愛の彼女に出来る・導ける・教えてあげられることでした。
亡き息子さまは、まだまだ傍にいることと思います。それは、やはり死にたくて死んだわけだはないからです。
私も亡き彼女は傍にいるなぁと感じたことは色々とありました。今は、ほとんど亡くなりましたが。私自身が変わってきたことで、亡き彼女もあの世で安心?大丈夫?だろうと思って、自分のやるべきことへ進んでいっているのかも知れませんね。
また、不思議なことって色々あります。色々と亡き息子さまを感じることもあると思いますよ。
いつかは、前を向いて歩けるようになればよいと思います。今は、息子さまの生前を思い出し、息子さまが居てくれた日々のことを感謝してお過ごしになられたらよいかと思います。
どうぞ、このような内容のブログで良ければリンクしてください☆
お互い、少しづつ歩んでいきましょうね。コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
さすがに、もう車検を受けて維持することが出来ない状態となってきましたので、色々な思い出がありましたが手放すことにしました。
ご近所さんからも「よく思い切って処分したね」なんて声をかけられました。
ほとんど乗ることが無くなった状態は、やはり車も使わないとドンドン調子が悪くなってきまして、手放すことを決めましたが、よく京都まで走れたなぁと思っています。
亡き彼女も名古屋に住んでいた頃、運転したことのある車でしたので、やはり車屋さんに置いて帰るときは寂しさが込上げてきました。。。
やはり、整理するとなると躊躇しますよね。手放さないものです。
私もやはり思い出の品などは、今も持ったままです。この件(車)に関しては、まだ動いている間に動かして片付けることが先決と感じて、思い切って手放したという感じです。
支えとまで、言って頂いて、とても照れます(^_^;)が、支えますよっ!(^o^)v
出会う人というのは、何かしらの「ご縁」があるからこそ、出会うものだと、つくづくそう感じている毎日を送っています。会社での上司・同僚もそうです。
ご近所さん、そして学生時代の友人やこのブログを見つけてくださった方々、やはり縁というものが無いと出会わないものだと思っています。
出会った皆さん、みんな幸せになってほしいです。
私も2007年の夏さまの歩んでいく人生を応援していますので☆
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。