スピリチュアル・カウンセラー 江原啓之氏の「あの世の話」文春文庫
では、菊池寛賞作家の佐藤愛子氏との対話形式であの世のことを語って
おられます。
-死んで親に会えるのか-
江原氏は、「会えます。」「自分自身が一番その方をよく知っていた状態で、
また一番懐かしいと思う姿で出てくるそうです。」と語っています。
そこで、江原氏は霊衣と言われる、
エクトプラズム、エーテル体といわれるもので、いくらでもつくれる
そうだと、言っています。
では、個人は再生(輪廻)していないのか、という疑問に対して・・・
再生はとても難しくて、色々な方が違う言い方をしていますけど、
江原氏は、自分の背後霊はいわゆる「類魂説」という説を説いており
死んだ人間がそのまま生まれ変わるということはないと言っている
そうです。
グループ・ソウルからの再生(輪廻)のことですね。
<ここが江原啓之氏の語りのポイント>
「死んだ人間をいわゆるろうそくの炎にたとえれば、火を移してこの人間の
元の部分、素だけが移って、そしてそれだけが再生していく。で、その
死んだ人間は永遠に個性は存続していく。」
「霊界のほうで残っている」
-霊になってもその人の癖は残るのか-
江原氏は、(癖と言うものはなかなか)消えないと語っています。
浄化していけばいくほど、自分の個性は捨てていくそうですが、
ただ癖が消えない=未浄化の形とか、未練や執着とかいったもの
ではないなにかのような感じで語っておられます。
-この世に生まれるということと、自分の守護霊はいつ、つくのか-
江原氏は生まれてきたときに霊団がつくのではなく、再生を決めたときに、
再生というものを決めた時点で霊界のほうで協議されて、
「どの家庭の中に降りるかとか、そのようなことをすべて決めるわけです。」
と語っています。
また、「その家庭の先祖霊と言われる人たちもそこで絡んでくるわけです。」
「誰々が担当しようということを決めて、この現世に降りてくるんですけど、
向こうは涙ながらに別れるそうです。」
「つらいつらい修行に出るんだということで涙ながらに出る。」
・・・江原氏の他書にもよく語られていることですが、あの世という非物質
で精神の世界が実在するならば、本当にこの世のほうがつらい世界なんだろう
なと思います。しかし、この世でしか味わえない感動や経験があることも
分かっています。だからこそ、私たち(私たちの魂)は、この世に生まれて
きて不自由な中から、色々な出来事を通して学んでいることだと思います。
「こちらの現世の人たちは赤ちゃんができるということで大いに喜んで
いるんですが、全くの反対です。死ぬときも臨終でこちらはわんわんと泣いて
悲しんでいても、向こうから迎えに来る人たちは非常ににこやかによく帰って
きたというふうに迎えるんだそうです。」
語りを聞けば聞くほど、
あの世とこの世は、表裏一体と感じます。
自分自身が亡くなった瞬間、あの世が実在することを自らが知ったならば、
そして、あの世がどのような構造で、どうであっても、今の肉体(特に脳)
が無くても考えたり生前の記憶が残っていたりしたら、江原氏の数々の書籍で
言われているような「この世こそ裏の世界であった。あの世こそ光の世界。」
「あの世がここなら、この世こそまさに地獄のような試練の場だった。」と思
うことでしょうね。
□私は、「なぜ、このような書籍ばかりを今読んでいるのか」□
いつ頃からか・・・自問自答しながら、過ごしてきました。
そして、はっきりとした答えが出たように思います。
それは、
はじめは・・・まさしく最愛の彼女を亡くした悲しみから救われたい気持ち
で読みあさってきたと思います。気を紛らわすためにとも言えるでしょうね。
当分の間、彼女に薦められてはじめたブログも書く気になれませんでしたし。
今でも、あまり言っては亡き彼女の成仏ないしは浄化に影響があっては
いけないのですが・・・悲しい、寂しい、という気持ちは変わりません。
しかし、出きるだけ、この世にいる時でも「あの世と呼ばれる『精神世界』」
について知り、知ることによって「何を意識しながら生きていくことが、本来
生まれる前に自らが決めてきた目的に通ずるのか」を考え、自分自身を
見つめながら生き抜くことによって、いつか寿命を迎えたとき、この世で学ぶ
べきと決めてきたことをできるだけ多く学び、そして生前(今)は精神世界の
存在を妄信できなくとも、仕組みを理解しておくことで、死後に魂、意識体
として存在した場合、出きるだけ早く「亡き彼女と逢い」、そしてあの世へ行
ったのちにも、彼女が内観して過ごしている心域にまで行きたいと願う気持ち
から、今の自分の行動があることが分かりました。(気づきました)
そして、これらの精神世界を綴った書籍に触れることは、この世を生き抜くため
だけでなく、精神世界を詳しく知りたいのは「どんな世界であれ、『あぁ、あの
書籍で紹介されていた域と、あの書籍で語られていた状態が、今の自分の姿
なんだな。」ということをあの世でもしっかり把握したいんだと思います。
では、菊池寛賞作家の佐藤愛子氏との対話形式であの世のことを語って
おられます。
-死んで親に会えるのか-
江原氏は、「会えます。」「自分自身が一番その方をよく知っていた状態で、
また一番懐かしいと思う姿で出てくるそうです。」と語っています。
そこで、江原氏は霊衣と言われる、
エクトプラズム、エーテル体といわれるもので、いくらでもつくれる
そうだと、言っています。
では、個人は再生(輪廻)していないのか、という疑問に対して・・・
再生はとても難しくて、色々な方が違う言い方をしていますけど、
江原氏は、自分の背後霊はいわゆる「類魂説」という説を説いており
死んだ人間がそのまま生まれ変わるということはないと言っている
そうです。
グループ・ソウルからの再生(輪廻)のことですね。
<ここが江原啓之氏の語りのポイント>
「死んだ人間をいわゆるろうそくの炎にたとえれば、火を移してこの人間の
元の部分、素だけが移って、そしてそれだけが再生していく。で、その
死んだ人間は永遠に個性は存続していく。」
「霊界のほうで残っている」
-霊になってもその人の癖は残るのか-
江原氏は、(癖と言うものはなかなか)消えないと語っています。
浄化していけばいくほど、自分の個性は捨てていくそうですが、
ただ癖が消えない=未浄化の形とか、未練や執着とかいったもの
ではないなにかのような感じで語っておられます。
-この世に生まれるということと、自分の守護霊はいつ、つくのか-
江原氏は生まれてきたときに霊団がつくのではなく、再生を決めたときに、
再生というものを決めた時点で霊界のほうで協議されて、
「どの家庭の中に降りるかとか、そのようなことをすべて決めるわけです。」
と語っています。
また、「その家庭の先祖霊と言われる人たちもそこで絡んでくるわけです。」
「誰々が担当しようということを決めて、この現世に降りてくるんですけど、
向こうは涙ながらに別れるそうです。」
「つらいつらい修行に出るんだということで涙ながらに出る。」
・・・江原氏の他書にもよく語られていることですが、あの世という非物質
で精神の世界が実在するならば、本当にこの世のほうがつらい世界なんだろう
なと思います。しかし、この世でしか味わえない感動や経験があることも
分かっています。だからこそ、私たち(私たちの魂)は、この世に生まれて
きて不自由な中から、色々な出来事を通して学んでいることだと思います。
「こちらの現世の人たちは赤ちゃんができるということで大いに喜んで
いるんですが、全くの反対です。死ぬときも臨終でこちらはわんわんと泣いて
悲しんでいても、向こうから迎えに来る人たちは非常ににこやかによく帰って
きたというふうに迎えるんだそうです。」
語りを聞けば聞くほど、
あの世とこの世は、表裏一体と感じます。
自分自身が亡くなった瞬間、あの世が実在することを自らが知ったならば、
そして、あの世がどのような構造で、どうであっても、今の肉体(特に脳)
が無くても考えたり生前の記憶が残っていたりしたら、江原氏の数々の書籍で
言われているような「この世こそ裏の世界であった。あの世こそ光の世界。」
「あの世がここなら、この世こそまさに地獄のような試練の場だった。」と思
うことでしょうね。
□私は、「なぜ、このような書籍ばかりを今読んでいるのか」□
いつ頃からか・・・自問自答しながら、過ごしてきました。
そして、はっきりとした答えが出たように思います。
それは、
はじめは・・・まさしく最愛の彼女を亡くした悲しみから救われたい気持ち
で読みあさってきたと思います。気を紛らわすためにとも言えるでしょうね。
当分の間、彼女に薦められてはじめたブログも書く気になれませんでしたし。
今でも、あまり言っては亡き彼女の成仏ないしは浄化に影響があっては
いけないのですが・・・悲しい、寂しい、という気持ちは変わりません。
しかし、出きるだけ、この世にいる時でも「あの世と呼ばれる『精神世界』」
について知り、知ることによって「何を意識しながら生きていくことが、本来
生まれる前に自らが決めてきた目的に通ずるのか」を考え、自分自身を
見つめながら生き抜くことによって、いつか寿命を迎えたとき、この世で学ぶ
べきと決めてきたことをできるだけ多く学び、そして生前(今)は精神世界の
存在を妄信できなくとも、仕組みを理解しておくことで、死後に魂、意識体
として存在した場合、出きるだけ早く「亡き彼女と逢い」、そしてあの世へ行
ったのちにも、彼女が内観して過ごしている心域にまで行きたいと願う気持ち
から、今の自分の行動があることが分かりました。(気づきました)
そして、これらの精神世界を綴った書籍に触れることは、この世を生き抜くため
だけでなく、精神世界を詳しく知りたいのは「どんな世界であれ、『あぁ、あの
書籍で紹介されていた域と、あの書籍で語られていた状態が、今の自分の姿
なんだな。」ということをあの世でもしっかり把握したいんだと思います。
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