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先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

カーリング協会競技委員長の阿部氏<自殺>

2007年09月24日 01時57分43秒 | □私の気になる記事
<自殺>カーリング協会競技委員長の阿部氏 北海道・網走で
9月23日23時25分配信 毎日新聞


北海道北見市の前代表監査委員で日本カーリング協会競技委員長の阿部周司さん
(58)=同市常呂町東浜=が23日早朝、網走市の能取(のとろ)湖に近い林で
遺体で発見された。木の枝で首をつっており、北見署は自殺とみている。阿部さん
はカーリングの日本への普及に尽力したことで知られる一方、北見市と昨年合併し
た旧常呂町の町長交際費の領収書を焼却していたことが発覚し、批判を浴びていた。
北見署によると、阿部さんは21日午前中に軽自動車を運転し外出したまま帰宅せ
ず、妻が22日、同署常呂駐在所に届けていた。遺書は見つかっていない。阿部さ
んは元常呂町助役で、合併後の昨年4月に市代表監査委員に就いたが、不適切な支
出が指摘された常呂町長交際費の領収書を焼却した問題で今年3月に辞任していた。
阿部さんは、常呂町住民活動係長をしていた80年にカーリング競技を普及させよ
うと常呂カーリング協会の設立に尽力。常呂町は「カーリングの町」と呼ばれるよ
うになった。トリノ冬季五輪女子カーリングで活躍した「チーム青森」も阿部さん
が指導した道内出身者で構成された。

・・・

なぜ町長が使った交際費の領収書を焼いたりしたのでしょう。。。
指摘される前に焼いて隠蔽するなら分からなくもないですけど、指摘されたら、
もう逃げも隠れもできませんし、また助役であった阿部さんが使った経費でもない
わけですから。

小さな街では、辞職したのちも批難の目が厳しく、辛かったのかも知れません。
負い目を感じていたので、他人の目が冷たく感じたのかも知れません。
ご本人にしか分からない苦しみがあったのでしょう。

しかし、トリノオリンピックで、一躍カーリング選手が脚光を浴び、コーチであっ
た阿部さんを取り巻く環境も随分と変わったのでしょうけど、この1点の不祥事で
命まで絶ってしまわなくても。。。と思ってしまいます。

何だか世間に振り回されたような感じがしてなりません。

人生の中で、カーリングというトリノオリンピックまでは地味で目立たない競技の
人材をこつこつと育ててきた方なのですから、もっと辛かったときもあったのでは
ないかなぁ。

残念でなりません。

私は、たとえあの世という世界があっても、死ぬのが恐いので自らは死にません。
自殺したら云々というよりも、
死の直前の、意識が無くなるまでの間の苦しさを考えると耐えられません。

水をいっぱい飲んで海の中で・・・
息が出来ずに苦しい・・・
跳ねられたり、飛び降りたりしたら滅茶苦茶痛い・・・

色々と想像した時期もありましたが、寝ながらイメージしていると、息が上って、
ドキドキして、閉所恐怖症のような焦りと怖さを感じました。

失敗しても、
怒られても、
何かを嫌になっても、

私には、死ねる勇気がある(出る)くらいなら、何をしてでも生きれるような気が
します。
まだ、切羽詰って首が回らないくらい追い詰められたことがないから、そんなこと
が言えるのかも知れませんが。。。

ただ58年も生きて来られて、第二の人生はまだまだこれからというときに、死に
急いでは実に惜しいと思います。

私なんか、死ぬ勇気が無くても、これから先、20年、30年、死にたくないけど
亡き彼女なくして本当に生きていけるのだろうか・・・と不安になるときだってあ
りますよ。
でも生きるしかないわけですし、生きるのを嫌がるような行動をとったりしたら、
亡き彼女もあの世という世界が本当にあって向こうから見ていたならば、そこから
見ててガッカリするでしょうし。

死ぬ勇気がない、でも亡き彼女に出来れば早く逢いたい、この先生きてても不安・・・
と、まるで中間管理職のような、板ばさみのような悩みがいつも付いて回っています。

それだけ、亡き彼女に依存していたということでしょうか。

・・・

しかし、どんな理由があれ、自ら命を絶ってはダメです。
もしも、江原啓之さんや飯田史彦先生の言うような世界があったら、死んでも生き
ていたら「そうだったのか!」「そういうことか・・・しまった・・・」
と、自分自身、誰かに咎められずともきっと後悔しますよ。

死んで「無」になるのだったら、「あれ(あの世がある)は嘘だったじゃないか」
なんて恨んだり、ガッカリする心も無くなっているわけですし、「もしも、あの世
という世界があったら」が実際に死んだときにあったなら、あの世という世界で自分
は引き続き生きるわけですから、死ぬその時まで、「もしも(もしかしたら)」と思い
つつ、生きてみましょうよ。
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