出発前、そして出発後もバタバタしてまして、なかなか
報告が出来ずにいました。
6月6日から8日で北海道へ行ってきました。
6月8日で、7回忌。。。もう6年も経ったのですね。
月日が経つのがとても早いように感じました。
こうやって、気づいてみると、人生あっという間に過ぎ
て行くものなのかも知れませんね。
今回は、稚内経由で北海道へ行きました。
7回忌ということもあって、日本の最北端を回ってから
亡き彼女の法要へ行こうと決めました。
前日の夜21時過ぎまで、地元で仕事をしてて、その後
夜行バスに乗って、ハービス大阪へ。
すぐに関西国際空港行きのバスに乗り換えて関空へ。
バスの長旅は、正直疲れました。
いつもは、関空からでしたら旭川空港行きで行きますので、
その際には、過去にもよく利用しましたフェリーで行くの
ですが、乗り換え時間の問題があり、初めて夜行バスを利用
しました。
・・・
そして、関空から8時5分発の稚内空港行きで北海道へ
向かいました。
10時15分には、稚内空港へ到着しまして、そこから
レンタカーを借りまして、宗谷岬へと向かいました。
ホント北海道まで行くのにも早くなりましたね。
前日の夜まで働いていて、翌日の11時頃には日本の最北端
に立っていました。
レンタカーは便利ですね。あちこち走りましたが、行動
しやすくて良かったです。
・・・
途中、北海道では有名なコンビニ、セイコーマートに
寄りました。
亡き彼女がはじめて滋賀県へ来たとき、「何でセイコーマート
があるの?!」と驚いたものでした。
北海道:小樽と福井県:敦賀市の間で船舶が行き来しています
ので、それで滋賀県まで進出していたのでしょうか、当時は
琵琶湖の湖岸道路や湖北にセイコーマートがあり、それを見た
亡き彼女は、とても懐かしがっていました。
出身校の近くにもセイコーマートがあり、高校生の時に、よく
寄っていたと聞いています。
今は、滋賀県ではファミマ等に変わってしまいましたが。。。
とにかく風が強く寒い日でしたが、宗谷岬まで行きました。
北海道は、やはり広くて大きなところですね。
亡き彼女が名古屋に住んでいた頃、部屋に「北海道、でっかい道」
と書いたポスターを貼ってあったのを思い出しました。
報告が出来ずにいました。
6月6日から8日で北海道へ行ってきました。
6月8日で、7回忌。。。もう6年も経ったのですね。
月日が経つのがとても早いように感じました。
こうやって、気づいてみると、人生あっという間に過ぎ
て行くものなのかも知れませんね。
今回は、稚内経由で北海道へ行きました。
7回忌ということもあって、日本の最北端を回ってから
亡き彼女の法要へ行こうと決めました。
前日の夜21時過ぎまで、地元で仕事をしてて、その後
夜行バスに乗って、ハービス大阪へ。
すぐに関西国際空港行きのバスに乗り換えて関空へ。
バスの長旅は、正直疲れました。
いつもは、関空からでしたら旭川空港行きで行きますので、
その際には、過去にもよく利用しましたフェリーで行くの
ですが、乗り換え時間の問題があり、初めて夜行バスを利用
しました。
・・・
そして、関空から8時5分発の稚内空港行きで北海道へ
向かいました。
10時15分には、稚内空港へ到着しまして、そこから
レンタカーを借りまして、宗谷岬へと向かいました。
ホント北海道まで行くのにも早くなりましたね。
前日の夜まで働いていて、翌日の11時頃には日本の最北端
に立っていました。
レンタカーは便利ですね。あちこち走りましたが、行動
しやすくて良かったです。
・・・
途中、北海道では有名なコンビニ、セイコーマートに
寄りました。
亡き彼女がはじめて滋賀県へ来たとき、「何でセイコーマート
があるの?!」と驚いたものでした。
北海道:小樽と福井県:敦賀市の間で船舶が行き来しています
ので、それで滋賀県まで進出していたのでしょうか、当時は
琵琶湖の湖岸道路や湖北にセイコーマートがあり、それを見た
亡き彼女は、とても懐かしがっていました。
出身校の近くにもセイコーマートがあり、高校生の時に、よく
寄っていたと聞いています。
今は、滋賀県ではファミマ等に変わってしまいましたが。。。
とにかく風が強く寒い日でしたが、宗谷岬まで行きました。
北海道は、やはり広くて大きなところですね。
亡き彼女が名古屋に住んでいた頃、部屋に「北海道、でっかい道」
と書いたポスターを貼ってあったのを思い出しました。
仕事で知り合った
私の気になる方(42歳)も
奥様を同じ時期に亡くされていて・・・
自分でもどうしていいかわからず
ネットで模索しているうちに
こちらにたどり着きました。
めがねのお写真も拝見しましたが
とてもきれいな彼女様でしたね。
婚約指輪に結婚指輪
たくさんの想いが詰まっているのでしょう。
こうしてずっと思っていてくださり
彼女様もお喜びのことと思います。
私はなぜか、若くして妻を亡くした方に
声をかけられることが2回もあり
「どんな学びなのだろう?」と
思えて仕方ないのです。
しかも、私は命にかかわる病気になり
手術・治療を経て
経過観察中です。
管理人様は彼女様一筋でいらっしゃいますが
その2人の男性
(8年前当時:私33歳・相手Aさん30歳 3年前に死別
昨年:私41歳・相手42歳 6年前に死別)は
心に亡き妻を忘れられないでいながらも
女性と出会おうとしているようです。
最初の方は、言動に亡き妻さまが多々登場し
心がついてゆかず距離を置きました。
次の方は、まだ本心が見えない状態です。
女性が放っておかないタイプなのに
一人なのは、きっと線引きができているのですね。
こんなことをお伺いして
大変無礼と思いますが
これからもずっとお一人で
いきてゆこうとお思いでしょうか?
まだお若くていらっしゃると思うので
ご意見参考にさせていただければ
幸いです。
手術・治療後の経過療養中とのことで、お体には十分気をつけてくださいね。私の場合は、デスクワークばかりとなり、随分と身体も弱くなってしまいまして、スキッとしない状態が続いています。
お互い、健康には気をつけましょー☆彡
そうですね、私は、確かに今でも亡き彼女のことを思い出しています。また、新たな女性と出会いましても、やはり心のどこかで亡き彼女と比べてしまっている面があり、そういう自分が嫌で、出会いの場には出て行こうとはしていません。
しかし、職場などで、一緒に働いていますと、「この人は素敵な人だなぁ」とか「自分の心の中では、好きになっている」と感じるときがあります。
ですから、彼女が亡くなって丸6年、今年で7年が経とうとしていますが、ようやくと言いますか「全く周りを見ない」「他の女性を見ていない」ということは無くなってきているように思います。
ですから、良き出会いがあれば、この先どういう展開になるのかは、そうなってみないと分かりませんが、また違った歩み方をすることになるかも知れないとは、自分自身の中でも思うときがあります。
確かにsanaさんに惹かれる男性は、若い時に妻を亡くされていますね。私も彼女を亡くした者の一人ですが、コメント投稿に書かれている男性の年齢と死別の年を見まして、かなり驚きました!
sanaさんと昨年出会われた6年前に死別という男性は、ようやく歩みだしたかに見えますね。奥様が亡くなったことへの現実を直視して、とき(時間)と共に「今、自分はこの世界(この世・現実の世界)に生きている」ことを認識・自覚して、現実の世界・社会で生きていこうとされているように見受けられます。
以前の方(男性)は、奥様との死別後3年ですか・・・(当時)まだまだ亡き妻のことを思い出すことも多い時期だと思いますので、sanaさんが身を引いてしまったのも分かるように思います。
人は、それぞれ十人十色、亡き彼女や亡き妻のような性格の人もいれば、そうでない人も、また感性も人それぞれですので、私はこれから出会う人へ、求めたり比べたりしてはいけないと思っています。それが出来ない間は、「自らが進んで相手に近寄り、気を引くような素振りや言葉(言動)はとってはいけない」ように思っています。
亡き彼女への想いを引きずっているうちは、自分から他の女性の気を引くようなことは、私はしない。と・・・思います。今はそういう考え方ですね。
食事やお出かけなどに誘われたこともあります。しかし、スパッとどこか突っ走れない自分がそこにあり、やはりそういうときには行動しないようになってしまっています。
しかし、恋愛に臆病?というわけではありません。「このコいいなぁ~」と思うこともあります。残念ながら結婚されていたりしましたけどね。
そういう狭間の中で、また亡くなった奥様のことも忘れることなどできないけれど、現実を見て、何とか歩もうとされているのではないでしょうかね。
そして、sanaさん自身、頼られる惹かれる何か素敵な光を持っているのだと思います。
最愛の妻を亡くした者が「行動に出ている」ということは、前を向いて歩もうとしているのは間違いありません。前向きな姿勢と考え・思考になってきているのだと思います。
あとは、それを女性側が受け入れられるどうかだと思いますね。
・・・
私は、私自身についてですが、数年間はぼ~っと過ごしたように思います。
「誰かがそばに居ないと寂しい」
という時間は、その間に過ぎ去ってしまいました。そういう気持ちから新たな出会いを探す方も多いとは思いますけどね。
私は・・・今は・・・もともとは、「よし!やってやるぞ」という姿勢を持って生きてきた者ですので、今は彼女を探してお付き合いをする、将来の伴侶を探すということよりも、地元へ帰ってきたので「地元で暮らすための基盤づくり」をして、そこで元気さを徐々に取り戻して行こうとしています。
不動産もそうです。また会社が求める資格の取得もそう。
そうしているうちに、歳だけ取ってしまうかも知れませんが、もしかしたら、また新たな出会いもあるかも知れませんよね。
とにかく「輝いて」生きていくこと、何か目標を持って生きていくこと、まだ私の場合はその辺りからのスタートですので、亡き奥様との死別を乗り越えて新たな出会いを求めて新たな女性と出会い、お付き合いや結婚等を考える地点まで到達していないのだと思っています。
取り留めのない話になりましたが、私自身はそんな感じですね。
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください♪
お忙しい中とてもわかりやすく
ご丁寧なお返事をいただきまして
ありがとうございました。
とても誠実で真摯な
管理人様のお人柄が伝わってきて
すばらしいなと思う気持ちでいっぱいです!
詳しく書いてお見苦しくなりますが
最初のAさんは、
”つきあって1年で入籍、数ヶ月暮らし
1週間後に結婚式”というところで
当時24歳の奥様が倒れたそうです。
先天性の脳疾患がそのとき見つかり
結局2度目に倒れた際に、生存困難となったそう。
やはり奥様が亡くなってから3年は
Aさんも死んだように
生きていたといっていました。
で、供養の品を定期的に買いに来ていた
店で働く私を見るうちに
気になりだしたというのです。
”忘れさせてほしい”という気持ちと
実際は年数があまりたってないから
なくなった奥様の家に出入りするのも
時間の問題、そういうタイミングだったようで
かなりの突進ぷりでした。
「(なくなった奥様に私が)似てる」とか
「好きな人と暮らせる結婚っていいもんだよ」とか
積み上げた思いと現実の埋め合わせを
したい感でいっぱいの発言が多く
家に行けば奥様のものもいっぱい
(死後引っ越したにもかかわらず
お風呂場には奥様の体を洗うタオルまで
下げてある!)
なのに私が女友達と会ったり
男性と話したりすると嫉妬ばかりで
「私は何?」という感じでいっぱいでした。
その中で私の命にかかわる病気が発覚し
結果子供が産めなくなってしまったのですが
「(奥様を)助けられなかったから
sanaは助けたい」とか
「子供はいたほうがいいに越したことはないけれど
sanaを失うほうがつらい」とか
何かと比較されることに敏感になってしまい
もうだめ、と結論を出してしまいました。
もともとその方は、恋愛経験や
人付き合いが多い人じゃないので
不器用なのもわかるのですが
すべてひっくるめてあわない、
結局縁がなかったのだと思います。
そいういうことを考えると
管理人さまはきちんと自分の地盤をかためて
しっかり人生を歩まれてるなと感心します。
お言葉の中の
「女性側が受け入れられるかどうか」というの
本当ですね。
自分の元彼の話や関係はご法度でも
なくなった奥様のことや供養、親族づきあいは
受け入れるのですから・・・
昨年あった方は
俺様風でメーカー営業なので
人と接したり飲んだりが得意なタイプ。
だから、私に声をかけたのも
そう思い切ったことじゃないのかもしれません。
立場的には
私が彼の仕事を請け負ってる役なので
すべて彼が上、です。
Facebookで会社の人の夫婦ネタや子供ネタに
いいね!を押したりコメントしてる姿、
同僚の結婚式の記事をアップし
やはり「結婚式はいいもんだ」といってる姿を見ると
いろんな思いがあるのだろうなと思います。
(本人は式をしていないそうですが)
ほぼ毎晩飲みにいき、競馬もタバコもゴルフも
やるのですが
「お金持ちだなー」と思う反面
結婚生活と引き換えに
それで紛らせてる部分も大きいんだろうなと
感じ取ってしまいます。
特に結婚にあせらなくても
役職あるし独身の同僚もいる
事情も回りはわかっている。
親兄弟あたりは「そろそろ・・・」と
いっているのかな。
若いころはやっつけ仕事的でしたが
年齢とともに立場も求められるものも
ハードル高くなるので
お仕事モードの私の接客が
もしかしたら彼らにフレンドリー的
印象を与えていたのかもしれません。
昨年の方は
同学年ということでなんか共通点も
感じたり・・
そうそう、その方関西出身で
札幌に住んでいたことがあります。
私も実は生まれはそのあたりなのです。
だからこの記事を読んで
本当にいろんな巡り会わせに
びっくりしました。
私のはSANYO製のj-phoneですが
彼女さまの使っていた携帯に似たのを
今、目覚まし用に使っていますよ!
3・11が起きて
このように模索するかたもこれから
多くなってくるのではと思っています。
以前、闘病の末友人がなくなった際
だんなさんに言っていたことは
「忘れられたくない」だったそう。
それを思うと、サポートしたい気持ちでいっぱいだし
立場が変わると揺らぐ自分を
人間的に責めてしまいます。
ただ、周りの知人から言われることは
「人生は一度きり。もう42歳でおばさんまっしぐら(笑)
引きこもっていないで、外へ出るべき。
ポジティブな意識が何かにつながるかもよ。
自分を過小評価しないで」ということ。
特に今はたくさんのファミリーを見る仕事なので
自分のマイノリティ度を自分で追い詰めている部分も
あるのかな・・・
そんな中、いろいろと綴っていただき
心の引き出しが埋まった気持ちになりました。
ありがとうございました。
雪が降るニュースなどもありますので
どうぞお足元お気をつけくださいませ。
またお邪魔するかもしれませんが
そのときはよろしくおねがいします。
12月が決算月でして、先週まで決算整理のため深夜帰りの毎日でした。。。
3年前に奥様を亡くされたAさんは投稿文を読ませて頂くと、やはり亡くなった奥様への思いを引きずりながら、sanaさまに多くの面でダブらせて見ていたり、嫉妬したり、自分がsanaさまを守るんだという思いが強すぎたように思いますね。
sanaさま女性側にとっては、ある一線以上に気を使われたり行動まで縛られたりすると、またそれが亡くなった奥様とダブらせて見られているなんて感じたら、やはり誰しも引いてしまうことと思います。
付き合いたい、本気で交際を考えている、ということでAさんは全てを打ち明け、そして奥様の生前にしてあげられなかったことを、sanaさまに一生懸命尽くす思いでしたいと取った行動なのでしょうけど、正直「重すぎる」「私は生前のあなたの奥様ではない」ですね。
私は、せめて「毎晩、亡くなった妻(彼女)にせめて手だけは合わせてから寝るね」くらいは、事前に新たに出会った人へお願いはすると思いますが、やはり、やってはいけないこととして「生前の奥様(彼女)への出来なかった思いを、新たに出会った女性にする」「女性が何かと比較しているように感じる行動や言動をする」「過剰に縛るような生活観にする」ようなことはしてはいけないと思います。
逆に、それが「せっかくの出会いを壊す」ことになってしまうのは明確ですもんね。
ただ、自分自身が当事者のときに、そこまで気づくかどうか・・・しかし、Aさんは前妻の思いを入れ過ぎてしまっていたのは確かですね。
Bさんのほうは、なかなか活発的な方ですね。同僚の結婚式を見て、結婚式はいいもんだと、少なからずご自身のことを思い出すことはあっても、どこか前向きに生きているように感じますね。
私もまだまだですが、過去は過去として歩き出すというのはなかなか難しいことですが、普段の生活の中から少しづつ明るくなるような話題や行動・題材のようなものを取り入れていくことで、一歩づつ前向きに生きていけるように感じています。
私も、今度、高校時代の同級生の女性と飲みにいきます。そして、地元の友人とも、会社の同僚や下請けさんとも飲みの日程を入れています。
お酒は普段は飲まないのですが、おつきあいで飲みに行ったときには飲みます。
上司との飲みは・・・断ることが多いのですが、同僚や同級生とはせっかくなので誘われたら出て行くようにしています。
出来るだけ前向きに歩もうと思っています☆
上司と飲みを避けているのは・・・最近、転勤できるのか?のような話を飲みで出されるからです。
今は、実家から車で10分くらいで勤務先に着きます。東京や中部、北陸、京阪神方面へ異動させられそうで・・・
若い頃は、広島・岡山・京都・滋賀・愛知(名古屋)にいたことがありますが、もう動くのは面倒です。。。
・・・
震災で、多くの最愛の人を亡くされた方がいらっしゃいますが、どの方も身近な人が亡くなって、「死=無になった=もうその人の心も何もかも無い」などとは思えないでしょうし、思いたくないことと思います。
今まで他人事だった死が目の前で起った瞬間、死後について、また自らの死生観も見つめなおすようになるのだと思います。
私自身も、彼女が亡くなったりしなければ、いつかは必ず訪れる「死別」「自己死」「最愛の人との別れ」について、歳を取り、高齢になるまで考えもしなかったことと思います。
死別の苦しみは辛いものです。今まで幸せに楽しく過ごしてきた全てが取上げられ、奪われた感でいっぱいになり、精神的にも言葉では表せないくらい落ち込みます。
しかし、よくよく考えますと、いつかは最愛の人とのお別れは必ず来るものです。それが30歳であろうと、40歳であろうと、50歳であろうと、100歳であろうと。全ての人は、全て経験しなくてはいけないことで、避けられるものではないですよね。
中には、妻(夫)が先立って自殺する夫(妻)がいます。幸せに過ごしてきた時間が長かれば長いほど、死による別れについて想像してこなかった時間が長く、反動は大きいことと思います。
しかし、自殺は、私は絶対に駄目だと思っています。亡き彼女は、生前、私が死んだら電車に飛び込むと言っていました。だから、私は亡き彼女より先には死ねないと心のどこかでそう思っていました。
あまりにも早い彼女の死ではありましたが、順番はこれでよかったのだと自分自身に言い聞かせています。
もし、死後に見えない世界があり、亡き彼女からは私が見えているのであれば、亡き彼女はいつか私も自分のように死後の世界に来るのだというのは分かりますよね。
しかし、いわゆる「この世」にいましたら、こちらからは普通の人は死後の世界は見えませんし、霊媒師にお願いして亡くなった彼女を探してもらったとしても、代理人を通しての会話なり話ですので、自分自身が実感できるものではないですから、この世にいる側としては、一方通行のようなものですよね。
それなら、死後、死んでも生きていて、この世を見てみると私が生きているのが分かる死後の世界から「彼も、あれこれ、あの世はあるのかどうかなんて思っているようだけど、私のいる世界に来るわ」と思いながら、向こうの世界でいてくれたほうが安心のように思ったりします。
「天寿をまっとうする」
これは、とても大切なことです。生きているのではなく、「生かされている」「まだこの世で修業が終わっていない」のに自ら死を選んだりして、死後に、本当に死後の世界があったなら絶対に自殺したことを後悔することと思います。
そして、もしあの世があったなら、たぶんこのブログで取上げているような世界で、しかも「もう一度やり直し」があると思います。
私は、もう二度とこのような辛い経験をしたくない(生まれ変わって)ので乗り切る気持ちで生きています。
そして、死後に亡き彼女に褒めてもらいたいためにも生き抜こうと思っています。
まぁ、死後、無になっていれば後悔する心や悔やむ魂さえないので、それはそれでよいとも思うことがありますけどね。
ただ、死後の世界があったなら、「よしっ!生き抜いたぞ!」と大きく輝いた光になってやろうという思いが強いですね。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
sanaさま、携帯、懐かしいカタチですよね。似たようなもの目覚ましで使用しているんですね☆
私も今や目覚ましは携帯電話です。
何時何分まで読み上げてくれるので、何段階
も設定して使っています。
時代とともに、想い出のように、モノも移り変わっていきますね。。。
この世では、とき(時間)共に色々なものも動いていっているんだなぁと感じますね。